第8話 佐倉真奈①

 桜の木の下で特別な男の子と出会った――。




 久我遥真。

 私の年下の彼氏は子供の頃から凄く可愛かった。


 見た目も愛嬌があって可愛いし、私に合わせて背伸びをしている中身は困ってしまうほど可愛い。

 本人に言うときっとショックを受けると思うけれど、子犬のような愛らしさ!

 彼が私に好意を伝えてくれたのは私が小学校新入生だった時だ。

 その頃、私は犬を飼いたかったのだが、母に動物アレルギーがあるので断念したところだった。

 まん丸の目をキラキラさせて懐いてくる彼に、落ち込んでいた私はとてつもなく癒された。

 彼を犬扱いをしたわけではない。

 犬を飼うということよりも楽しい気持ちを彼がくれたのだ。




「真奈ちゃん! 真奈ちゃん!」


 ピカピカのランドセルを背負った遥君が私を見つけて駆け寄って来る。


 一緒の学校に通えることが嬉しいらしく、毎朝私の通学路に現れる遥君。

 遥君の家からの規定ルートとは少し外れてしまうから、大人に見つかって叱られないかとビクビクしながら私が現れるのを待っている姿を見ると、駆け寄ってナデナデしたくなる。

 私を見つけた瞬間はにぱっと笑うけど、すぐに「ビクビクなんかしてなかったよ?」アピールでフフンと澄ました顔をするのも愛おしい。

 ああもうなんでこんなに可愛いのー!


「あのね! それでね!」

「遥君、車が来るから危ないよ」


 私に話しかけることに必死になり、前をちゃんと見ていない。

 危ないから手をつないであげると嬉しそうににこっと笑う。

 つられて私も笑ってしまう。


「真奈ちゃん、にこにこしてるの可愛いねー」

「あはは、ありがと」


 おじいちゃんとおばあちゃんに褒められているみたいで笑ってしまう。

 可愛いのは君だよ!

 繋いだ手をぶんぶん振りながら学校まで歩く。

 楽しい大事な時間だ。

 遥君のお母さんや先生に「面倒をみてくれてありがとう」といつも言われるけど、この時間は遥君よりも私が望んでいるかもしれない。




 私は六年生になり、遥君は三年生になった。

 遥君の最近のブームは「寒くても半袖しか着ない」だ。

 遥君のお母さんが言うには、テレビで無敗の格闘家が「子供の頃、年中半袖だった。だから強くなった」なんて言っていたのを真に受けているらしい。

「強くなって真奈ちゃんを守るね!」なんて言ってくれてきゅんとしたけど、次の日に風邪をひいて学校を休んだのが遥君らしくてまたきゅんとした。


「半袖はモロハノツルギだった……」


 風邪を引くと私に会えないと悟った遥君は半袖修行法を止めた。

 今度は好きな漫画にあった『諸刃の剣』という言葉を使いたいブームらしい。

 今は意味を理解しているけど、最初は剣の種類だと思っていたんだって。

 そういえば「モロハノツルギ!」と言いながら落ちていた木の枝を掲げていたなあ。

 男の子あるあるよねえ、と遥君のお母さんは笑っていたけど、私はまた「可愛い」と、ときめいたのだった。


 六年生になってからも一緒に登校する習慣は続いていたが、手を繋ぐことは自然となくなった。

 別に恥ずかしがっているわけではなく、やんちゃな遥君は石を蹴ったり横道に逸れてみたり、大人しく歩かないからだ。

 石や寄り道に負けるなんて私もまだまだね!

 

「真奈ちゃん、またねー!」

「うん、またね」

「真奈ちゃんだいすきー!」

「ふふっ、分かったから」

「じゃあね!」


 上靴に履き替え、元気よく手を振ってから自分の教室へ走って行く遥君に手を振り替えしていると友達二人と出くわした。

 二人は去って行く遥君の背中を見てくすりと笑った。


「あの子、本当に真奈に懐いてるね。可愛い~」

「ここまで好かれてるなんて羨ましいよ」

「まあ、でも……小さいうちだけだよね」

「え?」


 三人で教室に向かっていたけれど、思わず足を止めてしまう。


「真奈?」

「どうしたの?」

「あ、ううん。なんでもない……」


 動揺を隠して歩き始める。

 今の話をちゃんと聞きたい。

 さり気なく会話を振る。


「……好かれるのは今だけなのかな?」

「そうだと思うよ? 大きくなったらいつの間にか彼女とか作ってるから。私も懐いてくれた従兄弟がいたけど、今なんてそんなことを覚えてすらいないもん」

「小さな女の子がパパと結婚する! って言い出すようなものじゃない? 私も言ってた気がするけど、今なら絶対嫌ー。それよりさー」


 二人が昨日のテレビの話を始めたけど、全く耳に入らなかった。

 そういうものなの?

 遥君も私から離れてしまうの?

 目の前が真っ暗になる。


 どうすればずっと好きでいてくれるんだろう。

 遥君のお母さんが言うには、優しくて綺麗なお姉さんだから私のことが好きなんだとか。

 だったら私はずっと遥君が憧れるような綺麗なお姉さんでいよう!

 ……と言っても、どういう人が「綺麗なお姉さん」なのか分からない。

 タブレットを使い、インターネットで調べてみたら「年上」「大人」や「綺麗」、「ちょっとエッチ」なんてキーワードが出てきた。

 前のは分かるけど最後のが分からない!

 その内分かるようになるのかな?

 とりあえず今は覚えておこうと心に刻んでおいたのだった。




 私は中学生になり、自転車通学になった。

 歩いて登校する遥君とはもう一緒に行けない。

 通学路は途中まで同じだから、少しの間だけでも一緒に行こうと誘いたかったけれど、私から誘うのは躊躇した。

 だって私は遥君のちょっとエッチ(予定)で綺麗なお姉さん!

 誘って貰って「いいよ」っていうのがお姉さんなはず!

 でも家を一歩出ると後悔した。

 凄く寂しい、寂しいよ!


「あ! 真奈ちゃーん!」


 今日はいないと思ったのに、いつものところに遥君が立っていた。


「道が分かれるとこまで一緒に行こ!」


 変わらない光景に胸が温かくなる。

 でも遥君は変わらないのに、変わらなきゃいけない自分が悲しい。


「真奈ちゃん、自転車乗っていいよ! 俺、走るから!」


 屈伸をしてアップを始める遥君を見ていると、そんな気持ちはすぐに吹っ飛んだけど。


「押して行くからいいよ。一緒に歩こう」

「うん!」


 二人で並んで歩く。

 ああ、やっぱりこの時間は幸せ!


「制服似合うね。アイドルみたいだけどアイドルより真奈ちゃんの方がいいね! 無限倍可愛い!」


 最近の遥君のブームは『無限』だ。

 漢字がかっこいいらしい。


「そう? ありがとう」

「自転車乗るときのヘルメットもかっこいいね!」

「……ヘルメットはダサいと思うな」


 白に校章がついているだけの通学ヘルメットはお世辞でもかっこいいとは言えない。

 どこが気に入ったのだろう。

 歩いているから自転車のカゴに入れていたヘルメットを遥君に被せてみた。


「あ! 真奈ちゃんの匂いがする……」

「え? 臭かった? まだ殆ど使っていないから大丈夫だと思うんだけど……」

「違っ! イイ匂いだよ」

「本当? 大丈夫かな?」

「…………っ」


 匂いを確認して? と顔を寄せると遥君の頬も耳も真っ赤に染まった。

 あ、今ちょっとお姉さんっぽかった?


 もっと一緒にいられたらいいのに……。

 中学、高校は同じところを選んでも入れ違いになるから、もう同じところに通うことはないのが寂しい。




 中学校では大きく環境が変わった。

 部活動があるし、勉強をする時間も増えた。

 そして交友関係しかなかった人付き合いの中に、男女交際という項目が増えた。

 小学校の頃も無かったわけではないけれど、より身近なものになった。

 私の友人達も彼氏が出来たし、私も交際を申し込まれることが何度かあった。

 もちろん全て断った。


「ねえ、真奈はどうして彼氏を作らないの?」

「いらないから」

「好きな人はいないの?」

「秘密」


 遥君の名前を出したりしない。

 一度言ったことがあるけれど、冗談だと思われてしまった。

 それどころか「あの子、未だに付きまとっていて迷惑だよね」と言われて不愉快だった。

 注意して来てあげる、なんて馬鹿なことも言われたから、遥君の名前は出さないようにした。


 付き合うなら遥君がいい。

 でも、遥君はまだ小学生。

 私のことを好きだと言っているのも『憧れ』で、私の気持ちと同じとは限らない。


『大きくなったらいつの間にか彼女とか作ってるから』


 あの台詞は棘となって、ずっと私の胸に刺さっている。

 遥君が同い年の子を連れて来て「真奈ちゃん、俺の彼女!」と紹介してくる夢まで見ちゃった。

 目覚めたときは泣いたし、今でも思い出すとうるっとしてしまう。


 ちゃんと遥君の気持ちを確かめたい。

 だからせめて彼が中学生になるまで待とうと思った。


 そして待ちに待って、やっと遥君は中学生になったと思ったら――。

 彼は私の前に現れなくなってしまった。

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