第4話 王太子の説得

『ああもう! あのクソ顧問! 話がなげーんだよ!』


 部活が終わり、急いで待ち合わせ場所へ向かった。


 真奈が通う高校と俺が通う中学校のちょうど真ん中にある小さな公園。

 制服姿の真奈は静かにベンチで本を読んでいた。

 まるで映画のワンシーンのような光景にドキリとする。

 真奈がヒロインだとしたら、俺はヒーローになれるだろうか。

 いや、中学の汗臭いジャージを着ている冴えない俺では相手として釣り合わないことは分かっている。

 慢性化してしまったネガティブ思考に陥りそうになったが、ここは映画の中ではなく現実で、俺は間違いなく真奈の彼氏だ。

 よし、と気合を入れて踏み出す。


『真奈ちゃん!』


 声をかけると真奈は顔を上げ、読んでいた本に栞を挟んで閉じた。

 向けてくれる笑顔にデレッとしてしまう。

 おっと、こんなガキみたいな締まりの顔は見せられない。

 俺はクールなイケメンを目指している。

 頬が緩むのを必死に我慢しながら真奈の隣に腰を下ろした。


『ねえ、遥君』

『うん?』

『そのって言うの、外そ?』

『え?』

『真奈って呼んで?』

『え? え! あ、えーと……』


 言われたことを理解して狼狽えてしまった。

 尋常じゃないくらい目が泳ぐ。

 ついでに顔も熱い。

 子供の頃からずっと「真奈ちゃん」だった。

 慣れない呼び方は困る。

 ……いや、ずっとそう呼びたかったけど。


 戸惑う俺にくすりと笑った真奈が顔を覗き込んで来た。

 顔が近い。

 やばい、こんな距離だとうるさい心臓の音がバレそうで――。


『私ね、学校では真奈って呼ばれているのよ?』

『…………。みんな?』


 その言葉を聞いて押し寄せていた高い波がすーっと引いた。


『……男子も呼んでる?』

『呼ぶ子もいるよ』


 くすりと真奈が笑う。

 俺の眉間には深い皺が刻まれる。


 彼氏の俺が呼び捨てにしていないのに、ただ同じ年齢という奴が……。

 沸々と怒りが湧く。

 真奈と呼び捨てていいのは俺と家族だけだ。

 女友達も本当はアウトだからな!


はる

『!』


 今までずっと遥君と呼ばれていた。

 真奈を見ると少し顔が赤い気がする。

 指摘したら、きっと「夕日のせい」って言うんだろうけど。

 真奈が踏み出してくれたんだから俺だって……!


『ま、真奈!』


 焦って呼ぶと思っていたよりも大きな声が出た。

 夕日のせいではないとはっきり分かってしまうほど顔が赤くなっているのが自分で分かる。

 真奈は少しびっくりしたような顔をしていたがにこりと微笑んでくれた。


『はい。なあに?』


 俺達の間にあった少しの隙間を埋めるように真奈が動いた。


『…………っ』


 桜のような柔らかく優しい匂いがして顔を逸らす。


『ねえ、今日は初めて名前を呼び合った記念日だね。それと……もう一つ、記念日。増やしちゃう?』

『え?』


 何の話だろうと逸らしていた顔を戻すと、さっきよりも近くに真奈の顔があった。

 密着しているから、身体の熱も伝わってきて――。


『目、瞑ってね?』


 それは俺からの方がいいんじゃないか?

 そう思ったけれど身体の方は大人しく指示に従っていた。


『真奈――』






「はあああああ。しょうもない夢を見た……」


 今朝、目覚めた時の気分は微妙だった。

「思春期か!」と自分で突っ込んでしまった。

 アルヴィンの美貌自慢とイーサンの筋肉自慢と同じくらいどうでもいい夢だったなあ。


「エドワード様?」

「いや、なんでもない。ちょっと夢見が悪かったってだけ」

「それはご愁傷様です」


 聖女様が召喚されたと聞いた翌日。

 空は相変わらず暗く、雨が止まないままだ。

 俺は孤児院へ行く予定を止め、自分の部屋でデスクワークに勤しむことにした。

 今はユーノと二人、俺の私室で只管ペンを動かしている。


 聖女様懐柔の任を与えられた王太子アルヴィンは早朝から神殿に向かった。

 何やら大荷物だったが、花や装飾品などの贈り物が入っているらしい。

 イケメン王子と素敵な贈り物のセット。

 手堅い戦法だ。

 召喚されたのがチョロインであれば今日中に青空が見られるだろう。

 ……もし、真奈だったらアルヴィンに靡いてしまうだろうか。


 いやいや。

『しまう』ってなんだ。

 大いに靡いてくれて結構だ。

 そう、全然っ、全然OKだ。

 もう俺には関係ない。


 頭を振って雑念を払う。

 前世は前世、今世は今世だ。

 面倒臭そうな聖女様なんて関わらない方が良いに決まっている。


 それに今世の俺は少し年下の可愛いお嬢さんがタイプだ。

 今の俺も死んだときと同じ十六歳。

 聖女は十九歳だと言っていた。

 年上など二度とごめんだ。

 だからアルヴィンを全力で応援する所存だ。


「もう昼か。アルヴィン兄上は神殿には着いたかな」


 作業のキリが良いところでペンを置き、背伸びをした。

 窓の向こうはまだ雨だ。


「そうですね。何ごともなければ」


 聖女様については秘密裏に動くことになったが、ごく一部の人間には知らされている。

 ユーノも知っている一人だ。


「それにしても、聖女様の精神状態が国に影響を及ぼすなんて厄介ですね」

「ああ。全くだ」

「久しぶりの雨で城下町の方は賑やかになっていましたが……。聖女様は悲しみを感じていらっしゃるんですよね?」

「さあな。雨は涙を連想させるが、雨イコール悲しみとは限らないかもしれないぞ。この雨は『恵みの雨』だとしたら、案外今はニコニコしながらアルヴィン兄上の貢ぎ物を受け取っているかも……」


 喋っている俺の言葉を遮るかのように窓から閃光が差し込んだ。

 そして次の瞬間――。


 ドオオオオオオオオォォォォン!!!!


「うぉっ」

「!」


 爆発が起こったかのような轟音。

 落雷だ。

 空は更に黒くなり、ゴロゴロと音をたてている。

 雷鳴は続きそうだ。


「……これも聖女様の影響でしょうか?」

「あー……そうかもな」

「アルヴィン様とは上手くいかなかったようですね」

「うーん、でもさ。もしかしたら衝撃的な一目惚れをした瞬間とかだったかもしれないだろ?」


 言い終わると同時にまた閃光が走り、ズドーンと雷が落ちた。

 雨は勢いを増し、風も一段と強くなった。

 突然の大嵐である。


「……随分と激しい一目惚れのようですね」

「は、ははっ……」


 ユーノの冗談に乾いた笑いしか出なかった。

 どう見ても聖女様激怒げきおこ中という感じである。


「アルヴィン兄上は何をやっているんだか……。美貌は宝の持ち腐れかよ」

「案外、エドワード様の番が回ってくるかもしれませんね」

「困るよ。アルヴィン兄上が駄目だったなら、イーサン兄上には何とかして貰わないと」






 アルヴィン帰還の知らせと同時に、昨日と同じ女王の私室で再び聖女について話し合おうと呼び出された。


「アルヴィン、どうやら上手くいかなかったようだな」

「……申し訳ありません」


 扉を開けた瞬間、悔しそうな顔をしているアルヴィンを見て思わず「ぷっ」と吹き出しそうになったが堪えた俺を褒めて欲しい。

 聖女案件が早々に片付かなかったのは残念だが、アルヴィンのあの顔を見られたのは良かった。


「仕方あるまい。聖女の様子はどうだった? 説得は出来そうか?」

「それが、ドア越しに話をしたのですが……」


『聖女様』

『……誰?』

『アストレアの王太子、アルヴィン・アストレアと申します。お迎えに上がりました』

『……迎え?』

『はい。城に聖女様の部屋を用意しております。こんな質素なところではなく、どうぞそちらでおくつろぎを。聖女様に相応しいものばかり取りそろえておりますので。私も聖女様のお心が休まるようお支え出来ればと思っております』

『……ここでいいです。私のことは放っておいてください』

『聖女様を放っておくことなど出来ません! 扉を開けて頂けませんか? まずはお互い目を見て話し合いましょう。そうすれば信頼関係が築けるはずです。さあ……!』

『放っておいてよ! 私はっ……私はまだっ……!』




「ここで雷が落ちまして……」

「ぷっ」

「…………」


 おっといけない。

 今度は堪えきれず笑いが漏れてしまった。

 アルヴィンに氷のような視線を向けられ、慌てて喉を鳴らして誤魔化した。

「目を見て話し合う」なんて言っているが、要は自分の容姿を見せたいだけだろう?

 容姿さえ見て貰えれば落とす自信があるのが見え見え。

 確かに自信に足る美貌ではあるが、見て貰うことも出来ず門前払いで終わったとか!

 笑える。ふはは。


「はっ! 情けねえなあ、兄貴。明日はオレが行くぜ?」

「駄目だ! 一日でどうこう出来るものではない。母上、ころころと人が変わるのは聖女にとっても苦痛でしょう。もう暫く私に任せて頂けないでしょうか」

「ふむ……そうだな。流石に一日で結論を出すのは早いだろう。もう少しアルヴィンに任せて様子を見よう」

「ありがとうございます」

「……とは言え、なるべく早く民の前に出られるようになって貰いたい。あまり長引いては困るぞ?」

「承知しております」

「ちっ」


 イーサンの舌打ちを聞きながら俺は窓の外を見た。


「やまないな」


 ぽつりと呟く。

 それを耳にした女王もちらりと窓の外を見た後、アルヴィンに問うた。


「聖女の心理状態はどうだった」

「不安定でした。何かを嘆き悲しみ、塞ぎ込んでいる――そのような印象を受けました」

「確かに……この雨からは深い悲しみを感じる」


 ……真奈が泣いている。

 どうでもいいことだと頭の隅に追いやっているが、始めからこの雨は涙だと感じていた。

 ハンカチがなくてタオルを持ってオロオロしているガキはもうここにはいないのだ。


 聖女が本当に真奈だったら……異世界転移して来たことになる。

 召喚したのは女神様だし、帰還させる方法など分からない。

 もう元の世界には帰ることが出来ないと、あのイケメンに会えなくなったと泣いているのだろうか。


「聖女は何を嘆いているのだろう」


 女王の呟きがやけに耳に残った。

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