第26話 北伐と放浪と

「わたし、カルドに出会えて、良かった」


 外では、しとしとと、静かな雨が降っている。


「いままで、ありがとう。これ、受け取って」


 そういうと、イブは手作りの刺繍がされたハンカチを私に差し出してきた。あじさいの刺繍がされている。


 私はゆっくりと手を伸ばし、受けとる。


「イブ、本当に北伐軍に参加するのかい? 君は戦場に向かおうとしているんだよ」


「うん、わたし、決めたの」


 イブのこちらを見つめてくる深紅の瞳。


 揺るぎない意志と、暗い炎がそこには秘められていた。


「そう、か。じゃあ、ここでお別れだね」


「カルド、いままで、ありがとう。じゃあ、行く」


 そういうと、イブは深紅のマントを翻す。その身に雨の気配を纏い、ただ北を向いて、歩み去って行った。



 私はあの北門での戦いの日を思い出す。


 あれから数日。目まぐるしい日々だった。


 門でイブの無事を見届け、店に帰ってから、イブを出迎えるためにお茶を入れて待っていた。


 なかなかイブは帰ってこず、ようやく帰ってきた時には何度も冷めたお茶を入れ直した後だった。


 イブは二人の兵士に護衛されて帰ってきた。


『英雄』として。


 護衛の二人の兵士は私が町に残っていたことに驚いた様ではあったが、それよりもイブへの心酔が優ったのか、イブを送り届けると最敬礼をして帰っていった。


 その後はいつも以上に無口なイブと、ポツリポツリと話をした。


 その翌日から、避難していた町の人々が戻り始め、侵入した敵による被害の復興が始まった。


 私もイブも、近隣の知り合いへ、出来るだけの手助けに駆り出された。


 そのお手伝いのなかで、噂を聞いた。


 どうやら、この三叉路の町より北の町はほとんどが壊滅状態らしい。


 イブと出会ったあのとき、彼女を見捨てていたら、彼女は北の国境の町へ送られ、命を落としていた可能性が高かった。


 また、こんな噂も流れていた。


 この三叉路の町を中心に、大規模な反攻作戦を国が計画しているという。


 実際に、それからしばらくすると、国中から軍が集まり始めてきた。

 反攻作戦の前線基地として、物質が流れ込み、三叉路の町は徐々に砦のように作り替えられ始める。

 用地の接収も始まったらしい。


 そうして、北への討伐の意味を込めて、北伐軍と呼ばれる軍隊がこの町を中心に組織されて行った。


 その頃には、すっかり『英雄』、『黄金の歌姫』と名が広まっていたイブにも、北伐軍へのお声がかかる。


 イブは積極的に自ら北伐軍に関わって行った。


 そしていつの間にか、騎士の深紅のマントがイブに与えられていた。戦時特例による取り立てらしい。


 北伐軍の象徴に祭り上げられていくイブ。

 私は心配しつつも、イブ自身の意思であることもあり、何もできず、手を出しあぐねていた。



 そうして、ついにイブは出征することとなってしまった。



 町はお祭り騒ぎだ。

 町の人々が、国中から物資を運ぶ商人たちが、集められ編成を待つ兵士達が。誰もが『英雄』を、『黄金の歌姫』を一目見ようと道に、門に、果ては屋根の上まで群がる。


 イブが深紅のマントを纏い、登場すると、耳をろうさんばかりの歓声が上がる。


 誰もが叫んでいる。おのおのが心に秘めた戦争への心配を、異形の敵への恐怖を塗り潰さんと、『英雄』への希望を声に出し、雄叫びをあげる。


 そうしてイブは人々の希望として、北伐への旅路を突き進んで行った。行ってしまった。



 私はイブの出征のあと、北伐軍による用地の接収に応じ、店を明け渡した。


 というのも、私はあの北門の戦いの日から、歌を失ってしまっていたのだ。

 どうやら心的な要因だと思うが、錬金術を使おうとすると、あの情景が甦ってしまう。苦悶に満ちた異形のもの達の死に顔が。怨嗟に満ちた雄叫びが。


 しかも、戦いの前に大量にラインバルブに放出したポーションが、国中に広がり、どうやら噂になっているらしい。

 皮肉なことに、今の私はポーション一つ作れないのに。

 まさに板挟みのような状態。噂から逃れるためにも、店もたたみ、噂が落ち着くまで旅をすることにした。


 自らの歌を取り戻すため。この世界の現実と向き合うために。

 そして、あの異形のもの達。鑑定が文字化けする謎の答えを探しに。

 そして何よりも、私の魔力が引き起こしてしまった惨劇。完全に想定とは異なった結果だった。あんなことになるはずじゃなかった。何故なのか、調べなければならない。


 そう、調べなければいけないことがたくさんある。


 運良く、懐は暖かい。

 使えるか微妙だが、戦時国債もたくさんある。


 こうして私は、クレナイと二人、ひっそりと三叉路の町をあとにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る