第39話 ドロボー

「お疲れのところ、スキルまで使っていただいて、ありがとうございました」


 モカ様は、丁寧にお辞儀をする。

 しっかりと、美しい所作でされたその礼に、少し魅入ってしまう。


「いえいえ、そんな。失礼な態度を取ってしまったことの償いになればと」

「先ほども言いましたが、こちらは気にしていませんよ」


 安心した様子で、ナエは胸をなでおろした。

 私もその様子を見て、少しだけほっとした。

 魔王様は自分を殺すためにレベルを上げた勇者と戦いたいが、彼らを殺したいわけではない。この偶然が産んだ邂逅かいこうが、上手く働いてくれればいいのだが。

 ちらりと何も喋らない勇者に目を遣ると、ソラは私をじっと見つめていた。


(……!?)


 心の中の動揺を隠しつつ、なぜ勇者が私を見ているのか考えた。

 彼とは、屋上の露天風呂が初対面である。それは間違いない。

 魔界に来て三週間、魔物以外の動物をこの目にしたことはなかった。今日、この日までは。

 だから、私は彼に穴の開きそうなほど凝視される理由が分からない。

 

(何か、まずいことをした? 私がこの世界の人間じゃないってバレちゃうようなことを、知らない間にしてた……?)


 武器はこの世界の物だし、服だって、お風呂では裸で出逢って、今着ているのはこの世界の物だ。何か異世界人だとバレるような動作などが、あったのだろうか。

 いや、だがもし勇者にこの世界の人間でないとバレたところで、何か弊害があるだろうか?

 存在自体がSSRだというし、『異世界人、初めて見た!』とテンションを上げるくらいではないか。

 かといって、自分から『私、別の世界から来た異世界人なんすよwww』とバラす理由もない。必要も感じられない。

 私は、結局そのまま表情を崩さず、そ知らぬふりで勇者の視線を受け止め続けるしかなかった。


「そろそろ、お暇しようか、シズク、どんこ婆」

「あ、う、うん」

「そうきのね~」

「それでは、我々はこれで失礼します。明日の朝食は、本当にいいのですか?」


 モカ様が問うと、ナエはぶんぶんと首を横に振った。


「あ、はい。それは本当にいいです。ありがとうございました」

「そうですか、ではこれで本当にお別れですね。気を付けてお帰り下さいね」

「はい」


 和やかに会話を交わす二人を横目に見ながら、私はやっとこの状態から抜け出せるのだと、ほっとした。


 

◇ ◇ ◇

 

 部屋から出て、どんこ婆はすぐに床に潜っていった。私はモカ様に転移魔法で部屋2206号室まで送ってもらう。

 転移酔いは、未だにする。

 だが、まだ多少目が覚めるまで時間は掛かるものの、その時間は少しずつ確実に短くなっているようだ。


「そうだ、シズク。その服の事だが……」

「」


(あ、はわぁああ~!! あああああああ!!!!)


 完全に忘れていたというか、言う隙がなかったというか。

 私はしどろもどろになりながら、指摘された服のことについて、モカ様に必死で説明する。


「あ、あの、ごめんなさいモカ様。その盗んだとかそういうのではなくて、後で返そうと思ってたの。あのほら、制服ってこっちの世界にはないんだよね? 珍しいんだって訊いたから。あの勇者と魔法使いに異世界人だとバレたくなくて。それでキュルムに紐を頼んだら、服で! 私は紐を頼んだのに、服だったの!! それで、ええと、服を着るのが嫌でその、だって紐じゃないと、やっぱり布面積が……」

「……??? シズク、本当はあのサキュバスたちが来ている紐を着たかったのか?! 異世界人は、紐を纏っているのか?」

「へっ!?」


 ん、あれ? 私、何かを間違えた?


「ち、違う。私はちゃんと服が着たくて、サキュバスが着ているっていう紐は着たくなくて」

「あ、ああ。……そうだろうな」


 少し、驚いた表情でモカ様は頷く。


「キュルムは紐しか持ってこなかったの。それで、もう、このままじゃどうしようもないって追い込まれたから、意を決してキュルムの服を剥ぎ取ろうと思って」

「あ、あのキュルムの露出の高い服をか!? 自分が着る為に!? 割れ目が見えるのだぞ!? 尻の!!」

「ふえ!?」


 モカ様の眼が、驚愕に見開かれている。

 あの服はお尻の割れ目が見えるということを、倒置法で力強く言われた。そういえば、横乳も見えるのだった。

 なんだか、すごい勘違いをされてしまっている様な気がする。

 私は、高速で首を横に振りまくる。猫ドリルばりに。


「え、モカ様、違うよ? 紐とキュルムの童貞を殺す服だったらそっちの方が多少は露出が少ないって思っただけで、そっちの方がデザインが好みだったからとか、そういう問題ではないよ!? もちろん、割れ目はどうにかして隠すつもりだったよ!?」


 その私の一言に、モカ様はあからさまに安心した様子だった。


「ああ、そう、そうだったか。……そうだな、選択肢が紐かキュルムの着ている服かしかなければ、我もきっとそうしただろう」


(良かった、分かってもらえて)


 私が露出狂みたいに思われるのは嫌だ。

 なんで、最初言い間違えたのだろう。

 そこからモカ様を壮大に勘違いさせてしまった。

 あっ、もしかすると自分の奥底に紐=服と思い込めという潜在意識への語りかけの残滓が、残っていたのかもしれない。

 あんなことを、考えなければ良かった。


「で、その気配に気付いたのか気付かなかったのか、厨房の奥に宝箱があるってキュルムが……」

「そのシズクが着ている『静謐の服』と『THE 空舞竜』が入った宝箱か」

「うん。とりあえず非常事態だから着ちゃって、後で返そうって」

 

 ああ、これでは宝箱を開いてその中身を今着ている罪を、キュルムのせいにしているのと変わりはない。

 私がそれに乗ったから、今この服を着ているのだというのに。


「いや、でも本当に、キュルムのせいじゃなくて!! 私が、その……紐も童貞を殺す服も着たくなくて。それに乗った私も悪いんだよ?」


 正直、個人的には最低でも六割ぐらいはキュルムのせいだと思っている気持ちはあるが。キュルムのせいだけではないということは、絶対に示さなければ。


「それが、シズクがその服を手に取った経緯か」

「うん」

「そしてそれは、この城の主、魔王たる我に対しての言い訳か?」

「……!」


 その一言は、どちらかといえば、穏やかな口調だった。


「……うん、まあ言い訳といえば、言い訳だね。ただ、勇者たちが帰れば、綺麗にして元の場所に戻すつもりだったんだ。盗りたいと思ってたわけじゃないから」


 それでも、盗ったという罪に変わりはない。

 怒られても、仕方がないことだから、言い訳をしたのだ。

 今私が着ているこれは、勇者たちの為の装備モノ。私の為に用意された装備モノではない。分かっていて、着たのだから。

 私が真っ直ぐに、モカ様を見ると、モカ様もじっとこちらを見返す。

 モカ様は、すっと、こちらに腕を伸ばし、私の頬に触れる。

 その掌は、ひんやりと冷たかった。


「っ!!」

「罪の心があったから、シズクは言い訳をしたのだな。だが、我は怒りたかったわけではないのだ」

「え……?」

「よく似合っている、とただ褒めたかった」


 モカ様は、私に綻ぶような笑顔を向けた。

 眩しい。

 目がくらむほどに。


「~~~~ッ!!」


(ああ、あぁ……っ! モカ様……!)


 モカ様は、すっと私の頬に当てていた手を下げる。


「それに、シズク。我はシズクにと言った覚えはない。罠には気を付けろとは言ったがな」

「えっ」

「そもそも、『宝』とは、元より全て早い者勝ちなのだ。『宝』に、持ち主の名前などない。孤島の洞窟に眠る宝、ダンジョンに眠る宝、森に眠る宝、城に眠る宝!! それを手に入れるルールはただ一つ、全て誰より先に見つけ、手にすること!!」


 にやりと、モカ様は魔王らしく口角を上げる。八重歯が可愛い。


「それが、勇者の為に用意されたと分かっていても?」

「もちろん! もしシズクがこの城魔王城の宝箱を全て開き、手にしたとしても、我もそして他の者も何も言わない。言わせない」

「えっ、で、でもそれじゃあ……」


 私が全て先に手に入れてしまったら、勇者は、最後のこの魔王城で武器や防具やその他の便利アイテムを、一つも手に入れられなくなる……?


「そう、勇者は万全の状態で我と戦うことは、できなくなってしまうなぁ? いやあ~、残念だ。残念だが、仕方ない。早い者勝ちだからなあ」


 モカ様はくるりと反転して、明後日の方向を向いてしまう。

 しかしそれは、怒っているというよりは――。


「モカ様……」

「ん?」

「私が、そんなことをしないって、分かってて言ってるでしょ?」

「くふふっ、バレたか」

 

 舌をちらりと出しながら、悪戯な瞳を向ける。ピジョンブラッドのような瞳は、宝石とはまるで違う。クルクルと色を変えて、それ宝石よりも何倍も美しい。


「勇者たちが帰ったら、また本格的にこの城の欠点を直して行かねばならん。勇者が来るころには、完璧な魔王城に仕上げておかねばならないからな! 手伝ってくれるのだろう、シズク?」

「折角、暖かくて柔らかい寝床が手に入ったので、手放したくありません。私は魔王様と寝床の為に勇者を立派に育て上げます」


 モカ様の手を取ると、モカ様は私を抱き寄せた。


「!!」

「頼んだぞ、シズク!」

「はい」


 ああ、なんて素晴らしい一日だっただろうか。

 一生を捧げたいと思えるほどの相手と出逢って、暖かい寝床を手に入れて。色々問題は山積みかもしれないが、それはそれだ。

 ああ、生きていてよかった。


「そうだ、シズク。我は、試したいことがあったのだった。少し、付き合ってくれるか?」


 生とは、割と簡単に終わることを忘れていた私が、モカ様のその声にゾクリとした何かを感じたのは、気のせいだと思いたかった。

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