第25話 アンコールを歌って

 キュルムの細くひやりと長い指が、私の顔を撫でる。

 どこか淋しそうに。

 雄弁にそれを彼女の指が語る。

 その指は、くびの辺りまで下がってきたと思うと、ゆっくりとその場所を締め上げていく。頸に絡められた指に、私は左手を添えて訴えた。


「っ……! キュ、ルム……ちがっ……わた、しは……勇者側の、人間なんかじゃ……ないっ!」

「シズクが何を言っても、アタシたちの疑いが晴れることは絶対にない」

「……!!」


 このまま締め上げられれば、私は死ぬ。

 だって、彼女はこんなに美人で艶めかしい非力そうな体をしていても、六魔天将で。その力は、私の力とは比べ物にならない。引き剥がそうとしても、その指はピクリとも動かない。


 ――こちらの世界に来て、三週間と少し。短い人生だった。


(異世界に来ても、結局死ぬのかぁ……)


 モカ様と出会うまで、私は意味もなく生を消費していただけだった。


(魔物に生まれたかったなぁ。魔物に生まれ変わって出会っていれば、こんな風にはならなかったのに)


 ここで死んだとして、私が魔物として生まれ変わってモカ様とまた出会える保証もない。仮に生まれ変わったとしても、記憶が残っている保証だってない。

 それでもきっとモカ様を好きになるだろう。

 けれどそれは、確実に今とは違う形の気持ちになってしまう。


(――死にたく、ない。死にたくない。モカ様……私は、もっとモカ様と……) 

 

 私は右手を剣へと伸ばした。

 剣は、得意ではない。

 しかし、今は使うしかない……。

 私は――。


「――なぁんてね☆」

「っは……っ!」


 キュルムの指が、首からパッと離れる。

 私は、剣に掛けようとした手をばれない様に引っ込めてその場にへたりこみ、キュルムを見上げた。

 彼女は悪気のない様子でにっこりと笑うと、私の脇に腕を差し込んで抱きかかえるように立たせる。彼女の豊満な胸が、私の胸を圧迫する。

 耳元で、彼女は私に囁く。

 あの、体がゾクゾクと震えて抗えなくなる、魅惑の声で。 

 

「シズク。本当はアナタを殺すのが最善だと思う」

「……」


 そうだ、私だって彼女の立場ならそうする。

 だから彼女のこの行動を、私には責められない。


「でも、アナタは魔王様のお気に入り。魔王様が勇者を育てたいのは本当で、恐らく今回の招集がなくても、いつまでもあの村で勇者を足止めすることは不可能だったと分かっているわぁ。今シズクを殺したとしても、それはきっと勇者の歩みを止める要因にはならない。結局いずれ勇者は成長してアタシたちを倒し、魔王様の前にやってくるでしょう」

「……うん」


 『勇者が魔王を倒す』ことが、神の書いたシナリオだというなら、ただの登場人物である自分たち六魔天将にできることは、だったのだと、そう彼女は言いたいのだろう。

 勇者が、彼女達魔族の攻撃で死なないことは、ルドルフが証明している。


「アタシたちは、魔王様の為に命を失う覚悟はいつも持ってる。アタシたちの愛する魔王様が死なない為なら、なんでもするつもりよぉ」


 分かる。

 だって私も同じ気持ちだから。

 モカ様の為なら、死んでもいいと思っているから。

 そして、傍に居る誰もがそう思っている事を、モカ様が心苦しく思っている事も。


「シズク、異世界人のアナタは、恐らくこの世界に縛られていない唯一の人間。シズクなら、勇者を止められるかもしれない。魔王様を守りきれるかもしれない。都合のいい話だと思うわぁ。アナタを心の底からは信じていないのに、アタシたちは縋る気でいるなんて。アタシたちは、もちろん精一杯魔王様をお守りする。魔王様の為ならいつだって命を差し出せる。なのに頭の中にはどこか……なのだという思いがある。口にもしたくないけれど、確実に頭のどこかにある。アタシだけじゃない、多分……この世界の住人全てがその思いを持ってる。言わないだけで……」


 世界の流れが、モカ様を死なせたがっている。

 死なせたくないと心の底から願っている側近たちでさえも、守りきれる筈がないと、そう思っている。

 モカ様自身も死ぬのが当然だと思っていた。

 己さえも、己の死を望んでいるのだ。

 それは、無意識の中からかそれとも意識の中からなのか、いずれにせよ世界の共通認識として。

 彼女は呪われているのだ。

 世界に、そして――自分に。

 

「怖いのよぉ。勇者と対峙した時、本当に全ての力を出し切れるのか分からない。知らないうちに、手を抜いてしまうかもしれない。どうして、アタシたちの意思は自分の思い通りにならないの? どうして……アタシはあんなに大切な魔王様の死を、当然だと思うの……?」


 キュルムは、顔を酷く苦しそうにゆがませて、悲痛な叫びをぶつけてくる。自分の体をきつく抱き、細い肩を震わせる彼女の瞳から、雫が零れる。その雫が、地面の色を濃く変える。

 彼女の慟哭が、モカ様に聴こえることも、観客席に聴こえることもない。

 完全にこの場所だけがスタンドアローンになったような、そんな気さえした。


「シズク、お願いよぉ。アナタも魔王様を死なせたくないというのが本当なら、その気持ちが魔族のアタシたちと変わらないというのなら、どうか……どうかアタシたちに力を貸して」


 涙を流しながら私に懇願する彼女には、脅すという選択肢もあった。

 モカ様を死なせない為に力を尽くさなければ殺す、少しでも裏切りの兆候が見えたら殺すと、そう頸を絞めた時に言えばよかったのだ。

 でも彼女はそうしなかった。

 モカ様の願いを叶えたいのだとみんなの前で宣言した私のその言葉を、全てではないにしろ信じたからかもしれない。


 ――、という言葉は重い癖に紙よりも薄っぺらだ。

 勝手に自分の希望を乗せて、裏切るなと押し付ける脅しのような言葉だと、私は思う。

 だから私は、その言葉が好きではない。

 ――いや、嘘を吐いた。大嫌いだ。

 だが、同じようにモカ様を救いたいと思っている今の私になら、その言葉は響いたはずだった。

 『アナタのことを、心の底から信じている。だから、魔王様を助けてほしい』と。そう言われれば私は喜んで協力していた。というか、元よりキュルム達が私を敵かスパイなのではないかと訝しんでいるだけで、特に私は魔王様を殺そうとしていたわけでもないけれど。 

 でも彼女は、一度も私を信じるとは言わなかった。

 『信じたい』とは言ったが、という言葉とという言葉は、当然全く異なるものだ。信じたいという言葉は、結局、ということなのだから。


 信じてほしいけれど、信じられない方が楽だ。

 裏切るつもりはないけれど、裏切ると思われていた方が楽だ。

 たとえそれが茨の道だとしても、同じ船に乗り、同じ航路を行くのは、私にとって苦痛でしかない。

 目的地は同じでいい。ただ、異なるアプローチや考え方があった方が、きっと最終的にはうまくいく確率は上がるのではないかと思っているだけだ。

 私は、私の方法で、モカ様を助ける。


 『アナタを信じていない』と言われたことが、私が更にキュルム達を好きになってしまう要因になったなんて、キュルムは気付いてはいないだろう。私という人間は、なんて捻くれているのだろうと、呆れるのと同時に笑いが漏れる。

 こちらが辛くなるほどに、隠さない魔族たち。

 嘘が吐けないなら、黙っておけばよかった気持ちを、彼女は私に告げた。モカ様もそうだ。

 それでも、私は彼女達に自分の全てをさらせる気になれない。

 それはやはり、キュルムの言うとおり、私が魔族と違うから、私が人間だからなのだろうか――。

 いいことも悪いこともそうでないことも含めて、様々な隠し事を持ち、その上で世界を動かす人間たちと、残酷なほど己に正直にこの世界を生きる魔物たち。どちらがより純粋なのかなんて、一目瞭然で。

 なぜか、自分が酷く罪深い生き物に思えてしまう。


 私はきっと、モカ様を死なせないためにこの世界に来たのではないのだろう。

 なんとなく、分かる。

 モカ様の傍に来たのも、モカ様に見つかったのも偶然だろう。

 もしも勇者の傍に転移していれば、私は勇者を手伝っていたと思うから。


 ――けれど、全てが偶然だったとしても、偶然は、寄り添って道にもなる。


 私の意思が、世界に縛られていないことも確かなのだ。

 この偶然に私の意思を乗せたなら、きっとその道は開ける。

 絶対に、モカ様は死なせない。

 死なせたくない。


「私は、絶対にモカ様を死なせない。この気持ちに偽りはない。一緒に考えるよ。六魔天将を死なせない方法もね。だけどごめん。六魔天将に関しては、絶対に、とは言えない……。それでもいい?」

「ありがとう、シズク……」


 キュルムが、濡れた睫毛を湛えた紫色の瞳をこちらに向け、礼を言って微笑む。

 思わずキュルムの涙を指で拭うと、その涙からもふうわりと甘い匂いがした。

 涙も彼女の武器だったのかもしれないと今更気付いて、私は少し笑ってしまった。

 

「シズク~! どうだった? 我の力を観たか?」

「!! モカ様!!」


 モカ様が弾む様に舞台袖に戻ってくる。

 いつの間にか、ライブが終わっていたらしい。

 宝石のような汗をかいて、上機嫌で私にキラキラと満面の笑顔を向けるモカ様に、何と答えたらいいのか迷う。

 最初の方は観られたが、途中からそれどころではなかった。

 モカ様の歌をちゃんと聴けなかったし、ダンスも見られなかったし……。

 今度はしっかり見たいなぁ、と思っていると観客席から声があがった。


「……ール!……コール! アンコール! アンコール!!」


 一際大きな声を張り上げているのはカダだ。だが、それにつられるように他の観客たちも声を張り上げてモカ様を待っている。

 すごい一体感を感じる。この一体感、心の中に吹き込んでくるこれは……風?

 胸が、高まる。何かがみなぎってくる。


「アンコール! アンコール! アンコール!」

「どうやら呼ばれている。我は行かねばならないようだ。もう一度行ってくるぞ!」

「いってらっしゃ~い♡」

「うん、いってらっしゃい!」


 晴れやかな顔をして、モカ様はステージへと踊りだした。

 ああ、眩しい。眩しいよ、モカ様~!! 大好き! 愛してる!!


「みんな~! アンコールありがと~♡ じゃあ、とっておき☆ いっくよ~!」


 甘くてポップなサウンドだったこれまでの曲と違う、少し荒いビート。

 世界が揺れる様な激しいギターソロから始まるその曲は、胸が痛くなる様な歌だった。

 


 ―――世界を 敵に回しても 傍に居るって約束した

 ねえ 逢いたい 逢いたい 逢いたくない 逢いたい

 

 どうせ これでおわるなら 一緒がいいって指を絡めた

 ねえ 消えたい 消えないで 消えたくない 消えたい


 ワタシのこと 殺したいほど愛してるなら 早くここに来て

 触ってよ 死んでもいいなら キスしてよ 殺してもいいなら

 

 世界のおわりがあるなら アナタ越しに見たいの

 だってそのおわりに ワタシはきっといないだろうから 


 魔法を 掛けてほしかった 夢だと思わせてほしいの

 ねえ 止めてよ 止めてよ 止めないでよ 止めてよ


 ここに あなたがこないなら 死んでるのと同じだから 

 ねえ 殺して 殺さないで 殺したくない 殺されたい


 ワタシは今 狂おしいほど待ってるから 早くここに来て

 突き立てて 触ってもいいから 引き裂いて その唇で


 世界のおわりがあるなら ワタシ越しに見てほしい

 だってそのおわりを アナタはきっと欲しがるだろうから 


 世界のおわりがあるなら アナタ越しに見たいの

 だってそのおわりに ワタシはきっといないだろうから―― 



 モカ様、どんな気持ちで、あなたがこの歌を歌っているのか分からないけれど。私は、あなたを死なせない。

 そう、誓ったから。

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