第35話 たまご肌のおじさん

(どうしたら、どうしたらいい!? どうしたら、ここを切り抜けられる――?)


 じりじりと距離を詰めてくる彼らに、私は壁際に追いやられる。

 今この二人と、戦いたくはないのに。

 私にこの二人と戦う理由はなくはないが、多分そのタイミングが今ではないことは確かだと思う。

 戦ってしまっていいんだろうか。こちらの装備は、武器防具共にほぼ最高。ナエは魔法を使えない、勇者はレベル10……おそらく、気付けば考え得る限りのほぼ最強装備なおかげで、負けはしないだろう。

 ここで勇者を倒せればモカ様は死なないわけで……、ここで戦うのが最善……だったりするのだろうか。


(彼らは、多分魔物からの攻撃では死なないが、人間からの攻撃はどうなのか)


 魔物では不可能な検証で、勇者に魔王を倒すという願いを託している人間が、そんなことをするとは思えない。

 誰も、彼らが寿命以外で絶対に死なないと、証明

 でも、もし殺せたとしてもモカ様の願いは叶わなくなってしまうし、結局彼らが死ななかったら、私が敵だったと知れてしまうだけで、動き辛くなる。

 やはり彼らは、無事に元の村に帰さねばならないのだ。

 かと言って――、彼らの攻撃を受けたくはない。いい防具でも、痛いものは痛いはずだから。


(モカ様……っ!)

 

「うるさいよ、君たちぃ!!」

 

 その時、スパーン! と勢いよく襖が開く。


「「「誰!?」」」


 その襖の向こうにいたのはモカ様――……ではなくだった。

 お肌がつるっとしていて煌めいているように見える。やだっ、すごいたまご肌。

 小粋な浴衣姿の少しメタボっぽいおじさんは、眼鏡のブリッジををクイッと人差し指で上げて、こちらへ近付いてくる。

 温泉宿の日常感溢れるおじさんに、私だけではなく二人も戸惑い、どうすればいいか悩んでいるようだった。


「隣の部屋の者だよ!!」

「隣の部屋……!? ナエ! あの人は魔物か!?」


 言われるよりも早く、ナエは『ぺネトロの瞳』を発動アクティベートさせていた。瞳がゆらゆらと金色に光る。


「い、いえ……ソラ様、この方は……人間です」

「「えっ!?」」 

 

 ソラと一緒に私までびっくりしてしまった。

 なぜ私たち以外の人間が魔王城ここに!?

 

「君たちぃ、なんで喧嘩なんて無粋な事をしてるの? 折角秘湯中の秘湯マオジョバスに来たと言うのに、武器はしまいなさいよ。ったく。この宿は人間側の取り決めで武器の携帯をしないっていう約束のはずだよぉ!? どうやって持ち込んだの!?」

「えっ、あ、そうなんですか? すみません……」


 ソラは、素直に剣をまた鞘に戻した。

 

「ちょっとソラ様、謝らないで! なに剣をしまっちゃってるんですか!」


 素直なソラに、ナエが声を荒げる。


「貴方は何者ですか!? 一体なぜここに!?」

「一体なぜここに~って言われても、そりゃ秘湯に入りにだよ!!」

「貴方も魔物に与するものなのですか!?」

「はぁ!? 魔物に与する? どういうこと!? 何言ってるの? てか、なにその発言!? なんでここにいる人間から、そんな言葉が出るわけ!?」


 話が噛み合っていない。

 ソラと対照的に、ナエは武器を構えたまま警戒を解かない。

 多分、それが本来正しい。

 魔法が使えなくても、あの長くて太い木の杖で殴られたら、それなりに痛そうだ。


「こ、この宿は、魔物だらけです。そんなところにある秘湯に入りに来るなんて……!!」

「魔物だらけぇ? そんなの分かっててここに来たんじゃないの? 今更何を言ってるの? 紹介者から説明されなかったの?」

 

 心底呆れたようにそう言うおじさん。


「えっ? い、今更……って???」


 小太りおじさんは特に狼狽えたりせず堂々としているので、ナエが押され気味になり、なぜか縋るような眼でこちらを見てくる。


(こっち見んな)


 そんな眼で見られても困る。私も混乱しているのだから。

 一体、なにがなんだか……。


 ここは魔王城。

 それは間違いない、と思う。転移で飛ばされているから、確証があるかと言われたらそれはないに等しいが。だが、魔王城だ。多分。おそらく。

 とにかくその前提で、モカ様が人を攫えと言ったことはないとキュルムが言っていたし、それはすなわち魔王城に私以外の人間はいないということだと思っていた。魔王城なんだから魔物、そして百歩譲って亜人だけがいて然るべきだ、という思い込みも少なからずあった。

 ――でも、ここにはなぜか人間がいる。

 仮に攫われたにしては、言ってることもめちゃくちゃ血色のいいたまご肌なのもおかしい。……めちゃくちゃ待遇がいい可能性もあるが。

 結局このおじさんは一体誰なの!? 誰か教えて!

 

(誰かー!!)

 

 誰か、誰か事情の分かる方はいませんかぁあああ!

 混乱していた私は深呼吸をして少しだけ冷静になり、はっと気づいて後ろ手に壁に手を付け、ひそひそと喋る。これで繋がれば、ここが魔王城だという証明にもなる


「ど、どんこ婆~! 聴いてるよね!?」

 

(お願い出て! どんこ婆!)


 祈るような気持ちだった。

 ややあって、私の期待通りの声が聴こえてくる。


『はいはい、もちろん宝玉で見てたし聴いていたきの~。シズク、危なかったきのね』


 どんこ婆いたー!!

 やっぱりここは魔王城なんだ。


「うん、なんか知らないおじさんが部屋に入ってきて……って、いやあの、なんで人間のおじさんがここにいるの?」

『なんでと言われても、この城に人間がいないなんて、言ってないきのよ?』

「ん?」


 言って……ない?


『魔王様、シズクにそんなこと言ったきの?』

『ん、我か?』


 あ、一緒にモカ様もいるのか。なんか、ドラゴンボー〇で界王様を通せば話ができる的な奴と、同じ原理?


『いや、言ってないと思うが……』


(ええええええええええ!!!!?????)


 この城に人間がいないと思ってたのは私の勘違い?

 でも普通に考えて魔王城に人間がいるとは思わないよね!? 私、おかしくないよね!?


『あ、きのこがシズクと初めて逢った時に、、とは言ったと思うきの』

「だよね。言ったよね!?」


 ほら~、やっぱりどんこ婆そう言ったじゃん!!


『でもそれは居住フロアへの入居者が初めてって意味きの。秘湯マオジョバス宿泊フロアには、紹介された人間がお客様として訪れているきのよ?』

「へ?」

『我が風呂で勇者たちに秘湯マオジョバスの説明したのを、シズクも一緒に聞いていただろう? 本来は紹介者を介してでないと来れない秘湯だと』

「え?」


 説明……? 

 色々とモカ様が説明していた、一見さんお断り的な、紹介者が必要とか場所がばれたら困るとかいうのは、嘘も方便というやつではなかったの……? キュルムがマオジョバスという名前をあっさり出せたのも、本当にそういう名前だったから?


「ええええええええええええええええええええええええ!!!!???」

「「「!?」」」

『『!?』』


 モカ様の返答に、一瞬間を置いて、私は大声て叫んでしまった。

 突然叫んだ私に、三人はびっくりして眼を見開き、こちらに注目する。どんこ通信の向こうでも二人がびっくりしているようだ。


 え、じゃあちょっと待って待って。ちょっとあの、頭を整理させて。

 なに、私がお風呂でモカ様の口を塞いだ意味はなかったし、あの温泉に初めて入った人間も私じゃなかった!? モカ様は嘘を吐いていたわけではなく、本当に秘湯だから勇者に外に出られたら困ったってこと!? いや、もちろんその秘湯の場所が魔王城の屋上とバレても困るのもあるから秘湯なんだろうけど。

 でも、タワマンを表から見た時にはこの部屋の和室のような庭はどこにも見当たらなかったし、お風呂に人間だって一人も……ああ~これは言ってた! モカ様はちゃんと今日は女性客がいないって言ってた! あ、それにそうだ! お風呂の暖簾の前にいたウーパールーパーのような番頭は人間は別に珍しくないと言っていた。異世界人だからSSRだったのだ。SSRの前には、ノーマル、レア、スーパーレア、があるはずだ。ここにくる普通の人間は、RレアSRスーパーレアといったところなのかもしれない。

 魔王城の中は1階と22階、あと玉座のある23階しか歩いていないし、それ以外は転移で移動している。そして、多分私が歩いていたのは居住フロア。ということは、人間がいるかもしれない宿泊フロアとは違う可能性がある。


(え、なに、ほんとなにこれ?! 嘘でしょ!?) 


 魔王様たちってライブとかだけじゃなくて宿泊事業までしてるの!? 総合アミューズメント施設!? 魔王城リゾート!?

  

『宿泊客の泊まる部屋は我が魔王城の裏側。シズクを連れてきた方向から見れば、死角になる。この秘湯マオジョバス事業は、魔王城の貴重な収入源の一つだ』

 

 そう、モカ様に言いきられてしまう。

 次々と頭の中で繋がっていく情報に、困惑した。


「な、何を大声を出しているんですか、シズクさん……」

「そうだよ、びっくりするじゃないか」

 

 小太りのおじさんは、また眼鏡をクイッと上げた。


(だからつまりこの小太りのおじさんは――屋上のお風呂のお客さんで、宿泊しているただのヒト? 隣室の私達がうるさかったから、文句を言いに来た、と)


「おじさんは、マオジョバスのお風呂に入りに来た人ですか?」

「最初からそう言ってるけど!?」


 私の質問に、ちょっとキレ気味にそう返答するおじさん。

 ひぃ、ごめんなさい。


「え、で、でも……魔物が……」


 おろおろとナエがそう呟くと、小太り眼鏡のおじさんは、「はぁあ~」と、心底失望したという溜息を吐いた。

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