第34話 ペネトロの瞳
◇ ◇ ◇
「お口に合えばよいのですが」
「いえ、ありがとうございます」
モカ様は、たくさん並んだ美味しそうな料理を前に、にっこりと微笑んでソラとナエに言った。
だがなぜか、彼らの表情は硬い。
二人は、用意してもらったのであろうゆったりとした土っぽい色味の布の服を着て、しきりに恐縮しながら食事を摂る。
私もあの服を用意してもらえば良かった。
モカ様がいくつか質問するが、彼らはあの風呂場での饒舌さが嘘のように、言葉
二人がそんな調子だったので、うまく訊きたい情報を訊き出せないままに、食事会は終わりを告げようとしていた。
そして、あの、空の彼方に飛んで行っていたキャメラはしっかりと彼らの周りにいた。なんで気付かないの、この世界の認識が怖い。
「ごちそうさまでした、美味しかったです」
「そうですか。それはよかった。お部屋までお送りします」
「あの――」
「はい?」
ナエは、ちらりとこちらを見て、こうモカ様に懇願した。
「シズクさんとソラ様と三人だけでお話しさせてもらうことは、できますか?」
「――……へ?」
青天の霹靂だった。
間抜けな声が漏れ出たその瞬間、視線が私に集中して空気が凍りついたのは、気のせいではないと思う。
キュルムは笑ってはいるが、目が笑っていない。
コックのような恰好をして給仕をしていたカダは――、口の端を吊り上げて『あの小娘とうとう尻尾を出したな』みたいな半笑いの顔をしている。ムカつく顔をさせたら天下一品だな。
その吊り上がった唇を引き千切って、おいしい魚の卵だよ、と言いながら肉食の魔物に向かって放り投げてやりたい。カダしめんたいこ。
「シズクと? ええ、構いませんが」
少し驚いたようだったが、そうなんでもないように答えるモカ様。
私はポーカーフェイスを崩さなかったが、心の中では
(ええ~っ!? 待って、待って! 嫌だよ、なんで!? なんで私!? なんで名指し!? お前の提案 こっちは不安 私は動揺 そりゃそうだろう?)
――なぜかラッパーが降臨して、嵐が吹き荒れていた。
「構わないな、シズク?」
「……うん」
構うよ、とは言えない雰囲気だった。
「では、三人を部屋へ送りましょう。『
ああ、展開が早い。だめ、それは……!!
ぐにゃぐにゃと頭が揺れた先に――勇者が見えた。
ゆう、しゃ……?
ひかり、ほし
あれ――ト……ラ? ララ、ララララ。
ひかり、ひか……り
「――シズク、大丈夫か」
「ソラ様、ソラ様~?」
ぼうっとしていた私と、そして勇者ソラ。ソラはまだ気付いていないのか、顔の前でナエが腕をぶんぶんと振っている。
「モ……モちゃんごめん、何度も……」
「慣れないものは、仕方あるまい。気にするな」
この優しさが、私を虜にするのだ。
周りを見回すと、どうやらここが勇者たちに
他の部屋とは違い、靴を脱いで上がるタイプの部屋……、奥はもしかして和室だったりするのだろうか?
まだ少しピントが合わないので、数度目を擦っていると、隣に立っていた勇者一行が、突如視界から消えた。
「「!?」」
(まさか、何かに気付いて逃げた……!?)
びっくりしてモカ様と共に振り返ると、ナエはソラの腕を持ち、足を絡め、『ロメロスペシャル』を決めていた。
まだ、上手く現実に焦点を合わせられなかったので、こっちの世界では、『ロメロスペシャル』ってなんていう技なのかな、とぼんやりと見つめていた。
По←ソラ
Цо←ナエ
こんな風になっている二人を見て、まだ転移途中で混乱しているのかもしれないと思うのは、致し方ないことだろう。
「んぉ!? 何!? いたたた!?」
「ソラ様、お目覚めですか?」
「えっ、なにこれ、なにこれ!? ちょっと、ナエ!? ナエがやってるの!? 下にいるのはナエなの!? いたたた!!」
「ソラ様が、いつも『
目覚めは早くても、気分は最悪だろうけどね。
「目はしっかり覚めたから降ろして!!」
「はい」
そういえば、あの状態から、どうやって降ろすのだろうか。横に……、そんなわけないよなあ、それだと自分も危ないもん。
少しドキドキしながら見ていると、縦に転がすようにしてナエは勇者を降ろす。上にいるソラのことを全く顧みていないと分かるほど勢いがついており、ソラは膝を土間に強かに打ちつけていた。
ゴッ――と何かの割れる様な、鈍く嫌な音が響いた。
「膝がッッッ!!?」
確実にクラッシュした膝を抱えて、土間で大げさにファウルをアピールするサッカー選手の如く転がるソラ。
それを、汗を拭きながら満足げに見下ろすナエ。
助け起こそうともしない彼女が恐い。本当にお風呂で胸を揉まれて恥じらっていた彼女と同一人物?
「ちょ、膝がすごい痛いんだけど? これ、膝の皿割れたよね? 治してよ、ナエ」
「私、今魔力が空なので、治せません。頂いたご飯が魔力になるまでまだ時間がかかりますし」
そう返すナエに、勇者ははっと何かに気づいて言った。
「……さ、さっき僕が、胸を揉んじゃったから、その仕返し……なのか?」
「そう思いますか……? そう思うんなら、そうなんじゃないですか?」
「わ、わざとじゃないのに……」
「わざとだったらこんなものでは済みませんよ?」
冷たい瞳だった。
理不尽な暴力系ヒロインはノー。いや、この場合理不尽でもない、のか?
怖くて震えていると、見かねたモカ様が近付いて、勇者の膝を治してやった。
「『
「あ、ありがとう……」
「いいえ。さあ、喧嘩はその位にして下さい。これから、ずっとお二人は一緒に旅をするんでしょう? お互いに謝って、終わりにしましょう、ね?」
モカ様は二人の間に入り、諭す様に顔を交互に見る。
バツの悪そうな顔をしながら、二人はお互いに「ごめんなさい」と謝っていた。
流石はモカ様、伊達に魔王ではない。
仲裁もお手の物といったところか。
「お二人にご用意したお部屋はこちらです。靴を脱いでどうぞ」
完璧に普通の襖を開くと、その奥は――、思った通り12畳ほどの少し広めの和室だった。
窓の向こうにはちょっとした和風庭園があり、灯篭の灯りでぼんやりと明るい。計算された配置の低木の傍に、石で囲われた小さな池、そしてその中には鯉が泳いでいて、ゆらりと水面が揺れる。その庭園をぐるりと木柵が囲い、外は全く見えないが、これなら外が見えないことがむしろ演出になっている。
あのタワマンに、こんな部屋があったのかと驚く。正面から魔王城を見た時には、こんな庭はなかったし。
「わあ! 素敵なお部屋」
「本当だ。畳……、家を思い出すなぁ」
二人はキョロキョロと部屋を見回して、喜んでいる。
「気に入っていただけましたか? お泊めできるのは今日一日ですが、ゆっくり休んで帰って下さい」
「ありがとうございます。こんなに良くしてもらって……。その……僕らあなたたちのことを、う――」
何かを続けようとしたソラの脇腹を、ナエが肘打ちした。
「本当にありがとうございます。私たち魔力が回復次第明日一番に『
「朝食は、よろしいのですか?」
「はい、結構です。たまたま飛んできてしまった私たちが、そこまでお世話にはなれません」
「そうですか、それではシズクと心ゆくまでお話し下さい。我は退室しましょう。その服も差し上げますので、明日は気をつけてお帰り下さいね」
「はい」
ソラは一体、何を言おうとしたのだろう。
分からないまま、モカ様は「それでは」と微笑んで私を置いて部屋を出て行った。
(ああ~、置いて行かないでモカ様~!!)
無情に閉まる襖に、ちょっと泣きたくなった。
「シズクさん」
名残惜しげに襖を見つめていると、後ろからナエが私を呼ぶ。少し不自然なくらい、私は体が跳ねてしまった。
「はい……?」
「ん~……やっぱり貴方は、ちゃんと人間ですね?」
「……え?」
その言葉に、どういう意味が含まれるのかなんて、分かりきっている。
振り返ると、ナエの左眼はそれまでの透き通るような青い色とは少し違い、金色の混ざった不思議な色味をしてゆらりと光っていた。
(なに、あの眼は……?)
この世界の人間の眼が、みんな光るわけではないだろう。隣に立っているソラの眼は光ってはいない。
「なぜ、こんな魔物ばかりの場所にいるのですか? さっきのこの宿の主のモモさんも、一緒にお風呂に入っていたすごいカラダの美人も、食堂にいた人も、この宿にいる方たちはみんな魔物や魔人ですよ。もしかして魔物達の術に騙されているのですか? なら、明日、私達と一緒に人間の村に戻りましょう。こんなところにいては危険です」
「……!!」
『騙されてなんかいない!』と反論しそうになったが、堪えた。私は人間だが魔族の仲間だなんて、もっと言えない。
ここは、絶対にポーカーフェイスを崩せない。
こちらの情報は出しちゃいけない、私は彼らから情報を引きださないと。
「なんのことだか分からないんだけど。魔物……? モモちゃんたちが? それよりナエちゃんの眼、どうして光ってるの? 普通の人間は、眼が光ったりしないよね?」
彼女の瞳は、すっと元の色に戻った。
「この瞳は、神より授かりし奇跡――『ぺネトロの瞳』です」
「ぺネトロ……?」
知らない名前が出てきた。
勇者に加護を与えた女神は、セルンディーヌだったはず。
私の独り言のような疑問に、彼女はそう頷いて答える。
「はい、女神ぺネトロです。もしかして、御存じないのですか?」
もちろん存じていないが、それは普通にスルーする。
「それってどういうこと? 確か勇者は、女神セルンディーヌの加護を受けてるんだよね? その他の神様にも加護を受けてるの……?」
「いいえ、それは違います。セルンディーヌ様の加護を受けているのは勇者様で、私にはその加護はありません。私にあるのはセルンディーヌ様の妹、叡智の四姉妹神の次女ペネトロ様の加護です。恐らく、まだパーティにいない二人も、三女様四女様の加護が体のどこかにあると思います」
勇者のパーティに加護を授ける女神は、四姉妹。
長女、美と戦の女神セルンディーヌ。次女、慧眼と魔術の女神ぺネトロ。
三女、豊穣と治癒の女神ハーヴェ。四女、献身と破壊の女神ヴァーニア。
この四姉妹は、勇者を含むのパーティメンバーである四名の加護をそれぞれ担っている。
そして、その四姉妹の加護の中には戦闘中の不死だけではなく、もう一つ特殊なスキルも含まれているという。
「私に授けられた
彼女は、私達の気付かない間にその眼を発動させていた?
だから、この城にいる者たちは魔物が人間に化けているのだと、分かっているということか。
「最初は、この眼を
(……!! あの子か)
湯船の外に弾き飛ばされてそのままだったあの魔物が、動いたのに気付かれてしまったのだ。
「気のせいならそれでよかったのですが、知らない場所ですし用心に越したことはないと思い、貴女達がお風呂から出ていく時に、『ぺネトロの瞳』を
「……!!」
「他の薬湯に浮いていたのも魔物、そしてあなた以外の女性二人も、魔人だった……」
うまく、息が出来ない。
呼吸が、知らずに浅くなってしまう。
私はちゃんと、ポーカーフェイスをできているだろうか?
自分がどんな顔をしているのか、よく分からない。
いつものように――、本当にピンチの時こそいつものようになんでもない顔をしなければ。
「シズクさんがもし、あの魔物たちを人間だと思っているのなら、それは魔物たちによって騙されています。そうであれば貴女は被害者です。……でも、知っていて一緒にいるのだというのなら――」
魔王を滅ぼす勇者と魔法使い、ソラとナエは私に向かって武器を構える。
「貴女は人間でありながら、魔物に
二人の視線は敵意を持ち私を穿つ。
ただ、ソラにはまだ少し迷いがあるように見えた。
(どう答えたらいい? 私は、どう答えれば……)
この二人とここで戦うしかないのだろうか。
もう、それしか道は残されていないのだろうか……?
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