第40話 名

 その呼び掛けに答えようとした時、背後から感じたのは――とてつもないだった。

 刹那に、ぎる走馬灯。

 一秒にも満たないその時間に、助かる術を、探して、探して、探して――。

 その答えが出るか出ないかという時に、その塊は、私のいた場所を的確に穿うがつ。


「モカ、様――?」

「ほう……避けるか、これを」

 

 そう、飛んできた塊は、だった。


「な、なに、なにを? えっ、わ、私……何かモカ様の気に障ることをした?」


(モカ様に、殺されても仕方のないほどの――?)


 歯の根が噛み合わず、ガチガチと震える。

 少しでも受けようとしていれば、避けるのが間に合わなければ、恐らく死んでいた。

 床はモカ様の指の形に抉れ、周りに細かなヒビが入っていた。

 モカ様の鋭い視線が、上に居る私を捕える。


「――っ!?」


 かと思うと、いきなりその殺気はなかったかのように搔き消えて、モカ様はとてもおかしそうに笑った。


「ふっ、クッ、ククククッ! シズク、異世界人は皆、魔王である我の攻撃を避け、そのように部屋の隅に貼り付けるものなのか?」

「――……ッ!!」


 私は、音を立てずに着地した。

 日本で、


「シズク。我には、お前の正体が分かった気がする。だが、それをどうして隠す? 何のために?」


 私は、顔を上げず答えた。

 答えたくない。けれどモカ様には答えてしまう。


「……ずっと、あの家に生まれたことが、嫌だったから。辛かったから。この世界では、そうじゃない自分でいたかった」

「それが家業だった、ということか」


 そのせいで、私の家族は元からいなかったり、少しずつ減っていった。

 こんな家に生まれなければと、何度も何度も苦しんだ。

 『苦しんだ』なんて一言で終わらせられないような、地獄も見た。それでも積極的に死にたいなんて思ったことがなかったのは、煩わしいと思っていた、友人や私を心配してくれる近所の人がいたからだったのも、理解していた。

 でも、理解したからといってその感情がなくなるわけではない。

 分かっていても感情が追いつかないことなんて、たくさんあった。

 モカ様は、ゆっくりと私に近付いてくる。

 身構えると、彼女は手を前に出してひらひらと揺らし、口をへの字に曲げた。

 一言「もうあんなことは、二度としない」と、どこか後悔したような顔で告げる。


「ニホン、にはシズクのような家業を持つ者は、多いのか?」

「昔は、そういう職だと認知される程度には、多かったみたい」

「シズクの時代には?」

「……いるには、いたと思う。でも、みんな隠れてたから、私はよく知らない」


 なばりことわりを知る者は、隠すのも隠れるのも、得意だから。得意でなければ、死んでしまうから。

 諜報、間諜が、世界からなくなることなんてない。

 それは、最もリスクが高く、最も重んじられ、最も――辛い仕事。


「すまなかった、シズク。本気を出さねば、シズクはその力を見せないと思ったし、もしも万が一、シズクが避けなくても、死ぬことはないと思った」

「あんな攻撃を受けて、普通の人間が、死なないわけない……」

「それが、魔法防具というものだ。シズクの世界には、魔法がなかったと言ったな? であれば、このような防具も当然なかったのであろう。シズクの着ている『静謐の服』の性能は、この世界でほぼ最高だ。先ほどの我の攻撃程度では、シズクは死ななかった。間違いなくな。まあ、多少は傷ついたかもしれないがな」


 勇者以外でも、死ななければ回復魔法で治せる、ということか。

 この世界のお手軽さに、溜息が出る。


「モカ様は、やっぱり魔王様だね」

「……我に、幻滅したか?」


 恐る恐る、といった風にモカ様は私を見上げる。


「ううん、してない。ただ、本当に魔王様なんだなって、思っただけ」

「そうか」

「うん……」

 

 二人で、並んでベッドに腰掛ける。

 ベッドに着いた手に、モカ様がそっと手を重ねてくる。ふにふにと、柔らかな感触が手の甲から伝わってくる。

 ずるい。

 許してしまう。死ぬかと思ったのに。


「そうだモカ様。私、剣を習いたいんだ」

「? シズクは剣を使えるだろう?」


 首を振って、答える。

 私は、今持っている様な大剣の扱いに関しては本当に握ったことがある、という程度だ。

 直刀の短いものや、短刀といった、刀身の短い刀であれば、自画自賛するわけではないが、恐らくそこらの人間よりは使える自信はある。

 不意打ち、陰からの攻撃は当然軽く刀身の短い物の方が仕事はしやすい。元の世界では、自分よりも早いと思った人間などは、ほぼいなかった。

 だが、今の私の持つこの剣は長剣で、そして両刃。

 使い方が日本刀とは根本的に異なる上、この世界には魔法がある。

 魔法での身体強化があるなら、私の体術は冒険者並、もしくは以下の可能性だってある。


「両刃の大剣に関しては、素人だよ。モカ様、私はモカ様を守るための剣を学びたいの。殺す剣じゃなく、守る剣」

「……剣の扱いに関しては、正直カダが一番だろう」

「……」


(カダかぁ~……)


 素直にカダが私に剣術を教えてくれるとは思えないし、それに何より――。


「だが、シズクはカダに習うのは嫌だろう?」


 ――顔に出てしまっていたようだ。出ていなくても、バレていただろうが。


「ならば、カダの配下の者であれば、どうだ?」

「うーん……」


 贅沢を言える立場にないことは、十分に分かっているつもりではある。あくまでつもりだが……。

 

「カダの配下の誰かって、カダみたいな性格の魔物たちばっかりってこと、ないよね?」

「うむ、親衛隊員に関してはカダではなく我が任命している。皆が皆カダのような者達ではない。副隊長のセーヌは、カダとは全く性格の違う魔物だし、シズクとの相性も悪くないと思う。彼女なら、力になってくれるだろう」

「どんな魔物なの?」

「セーヌは女のオーガだ。オーガ族の長の娘で、屈強で常識のある者だ」

 

 オーガの族長の娘とは。

 それはまた響きだけですごく強そうだ。


「シズク。我はシズクに戦ってほしいとも強くなってほしいとも思っていない。お前に期待するのは、強さではないからな」

「うん、分かってる。必要じゃなくてもいいんだ。ただ、もしもの時に、戦いたい。。私の我儘なんだよ」


 それが許される環境なのならば、鍛えておいて損はない。

 使わなくてもいい。使わないのが一番いい。

 でも、万が一の時に、戦えない自分がいるのは、魔王様を守るどころか足手纏いになる自分は絶対に嫌だ。


「そうか、分かった」


 ぎゅっ、とモカ様は私の掌を一度強く握ってから、ゆっくりと離した。


「今日はもう疲れただろう。そろそろ寝たらいい。我も寝るとしよう」

「うん、おやすみなさい。モカ様」

「おやすみ、シズク。良い夢を」

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