第32話 異世界ファッション

 モカ様は、「二人を迎えに行ってくる」と私たちに告げて一人で飛んだ。

 待っている間に、一つだけ気になったことがあったので、私はキュルムに訊ねる。


「キュルム、そういえば私、着換えた方がよくない?」

「ええ~! どうして? シズクのその服、とっても可愛いじゃない! アタシ、モカ様の服を作るのに、今のシズクの来てる服みたいな要素も足したら可愛いかなと思ってるのよぉ」


 その言葉に、脳天を貫くような衝撃が走った。


「!! もしかして、キュルムがモカ様のゴスロリ服を作ってるの?」


 そう訊ねると、キュルムは大きな胸を反らして、ドヤ顔で私に言った。


「そうよぉ。あの服、モカ様の魅力が最大限に発揮されてて、可愛いでしょぉ?」

 

 知りたかったモカ様の服の製作者が、ここで明らかになるとは思っていなかった。

 キュルムが神だったか。今私は、新世界の神を見つけた。

 ドヤ顔になっても許せる。

 私はこっくりと満足げに頷く。


「いい仕事してますねぇ~、その感性、大切になすって下さい」

「誰!?」

 

 今、某鑑定士が乗り移った。


「キュルム凄い!! 伊達に色々エロい目で見てないね?! 世界一! よっ、エロム屋!!」

「ウフフフ……伊達にサキュバスやってないわよぉ、魅力を引きだす物には常に敏感に――ってあらぁ? アタシ褒められてるの、貶されてるのぉ?」


 ぽわぽわとそう私に返すキュルム。


「一応褒めてるよ。と、それはさておき――、私が着てる制服みたいな服って、この世界にないんだよね?」

「ええ、ないわねぇ。似たようなデザインの服はあるけどぉ、シズクが来てる服は洗練されてるわねぇ。デザインだけじゃなくて生地も縫製もしっかりしてるみたいだしぃ」


 キュルムは、「ちょっと見せてねぇ」と一言断ってから、私の制服に触れる。ブレザーの表布、裏布や断裁の切り口、縫い目などを見て唸っていた。


「う~ん、シズクの世界の縫製技術は凄いのねぇ。こんな質のいい服、王だって着てないわよぉ。売れば1500万ネルにはなるんじゃないかしらぁ?」

「はっ!? 1500ネル!?」

「1500万ネル」

「せんごひゃく……まん!?」


 提示された値段にくらくらと眩暈がした。


(わあ~、これで私の所持金問題が一気に解決だぁ~。嬉しいなぁ~ウフフフ)


 きっと、部屋を自分好みにする為のあれやこれや、そして普通のこの世界の服だって何着も買えるだろう。

 だが、はっと我に返る。


(だ、だだだ、だめ! すごい誘惑に駆られるけど、これは……モカ様に見初められし神器、モカ様に褒められた私だけの宝だから……っ!!)


 歯ぎしりしたい気持ちを堪える。


「プリーツスカートなんかは、こっちの世界でもあるしぃ。スカートより上に着ている服に価値があるわねぇ。縫製技術の高さだけじゃなくて、異世界のものだってことと、シズクが着てるからということも加味してるけどぉ」

「私が着ていること……」

「ええ、それだけで5万は価値が上がるわよぉ!!」


 鼻息荒く、目をキラキラと輝かせて、キュルムはそう私の肩に手を置く。


「……この世界にも、そういう服の売買の場所が?」

 

 若い女性が穿いた物などを欲しがる人が行くような店が、あるということだろうか。確か、ブルセラショップ? とか言うのだったか。セラはセーラー服の略だろうけど、ブルってなんだろ?

 日本では昔は実店舗があったらしいが、今はほぼ絶滅していると聞いた。もうネット売買が主流らしい。


「そういう売買の場所ってどういう売買の場所かしらぁ? アタシわかんない」


 ニヤニヤするキュルム。いやらしい性格してるなあ。サキュバスだから?


「……顔に出てる」

「はっ!?」


 『はっ!?』じゃない。


「まあとにかく分かった。じゃあやっぱり着換えないと。モカ様や魔物達といる時は制服で構わないけど、人間と会う時はこの世界の普通の人間が着ているような服の方が良さそうだもん」

「う~ん、そうかもしれないわねぇ」


 人差し指を顎に置いて、頸を傾げたキュルム。

 そう、どうしても不自然になる。186年も生きてきたモカ様が目をみはるような品だと言うなら、人間には見せない方がいい。

 そう考えると、勇者たちが屋上の露天風呂に飛んできてくれたのは、幸いだった。


「キュルム、私が着れそうな服があれば貸してくれない?」

「分かったわあ、何着か超特急でアタシの城から持ってくるから、待っててぇ♡」


 そう力強く頷いて、キュルムは転移魔法ですぐさま飛んだ。


(は~、キュルムがいて良かった。モカ様があの二人を連れて帰ってくる前に着替えられそう)



 ――……私は焦っていたのだ。


 キュルムが帰ってくるのは早かった。

 本当に、飛んで数十秒で帰ってきた。

 仕事をやり遂げたという満足げな、一点の曇りもない眩しい笑みを湛えて。


 ――彼らが来る前に、絶対に着替えておかないといけなかったから。 


「シズク~、私の服いくつか持ってきたからぁ、どれでも着ていいわよぉ」


 ――そして、今この場所で頼れるのは、キュルムしかいなかったから。そう思い込んでしまっていた。


「すごく早かったね! ありがとう! キュル――ム……?」


 ――その焦りが生んだ人選のミスに気付いたのは、彼女が抱えていた物を見てから。 



「紐!!!!」



 彼女が持っている物は、服と言うには心もとなさ過ぎ、水着と言うには破廉恥過ぎた。

 ところどころを感性に任せて縫い合わされたようなそれは、前衛的な紐の芸術表現であると説明された方が納得するような代物だった。


「私、前衛芸術を持ってこいなんて言ってないよ!? 服を持ってきてって言ったんだよ!?」

「ええ~、紐じゃないわよぉ。どれもお洋服よぉ? ほら、よく見てぇ? ちゃんと繋がってるでしょぉ? 私が持ってる服ってぇ、こういうのしか……」


 そのキュルムの言葉に、私はキュルムの着ている童貞を殺す服のスカート部分を握る。


「きゃああ~! シズクちゃんのえっちぃ!」


 そう叫ぶキュルム。睨む私。

 私にスカートを握られて少し嬉しそうなのはなぜなのか。


「今着てるこの服は何だ、この服は!? ちょっと露出は多いし、私には着る勇気はないけど、この服はちゃんと服としてぎりぎり機能してるじゃん!」

「これは可愛かったから人間のお店で買ったのよぉ! 一着しかないのぉ! サキュバスの本当の服装は、大体そんな紐みたいな感じでぇ。でも紐じゃないの、服なのよぉ」


 困ったような顔でそう私に告げるキュルム。どうやら、表情から見て嘘ではなさそうだ。


「まあ、一回着てみたらぁ? 着てみればハマるかもしれないわよぉ?」

(ハマってたまるか)


 キュルムは、抱えていたそれを嬉しそうにテーブルに置いた。

 私は一応キュルムが服と言い張るそれを、いくつか両手で持ち上げてみる。こちらが頼んだのだからという負い目もほんの少しだけあった。


 うーん、これは……紛うことなき赤い紐。

 ……青い紐。

 ……黄色い紐。

 ……紫の紐。

 ……黒い紐。

 ……白い紐。


 持ち上げても持ち上げても、私の求める『服』と呼べるような布面積の品は見当たらない。一応、倫理的に引っかかりそうな場所だけは、辛うじて守れるように配置されて縫い合わされているようだ。本当に辛うじて守れるのかも少し疑問が残る布面積だが。

 びょうが付いているものや、真鍮や銀の留め具が付いているものもある。水着のような素材で、少し伸縮性があって伸びるものや、何かの革を丹念になめして作られたものなど、素材は様々だ。

 私はこの紐――もとい服に対し、己の持つ固定観念を取り払わなければならないと考え、頭を柔らかくしようと試みた。

 今自分がいるのは異世界であり、その中でも魔界であるということの特殊性なども考慮に入れ、目を瞑り、深く思考した。

 潜るのだ、自分の意識の奥底へと。

 己の中にある偏見を打ち破るのだ。

 そうすれば、きっと、この紐だって服に見えてくるはずだ。

 だって、この世界の住人がそう言うのだから。

 考えて考えて考えて考えて……。


 ――手に持ったを振りかぶって全力で床に叩きつけた。


「ああッ!?」

「やっぱり考えても着れるかぁ!!! こんなの、ちょっと飾りのついた紐と何が違うって言うんだよ!! サキュバスは紐しか愛せない種族なの!?」

「インキュバスはヒモが多いけどねぇ」


 激怒する私に、そう呑気にキュルムは返答する。

 呑気にうまいこと言っている場合ではない。時間がないのだ。


「他にもっと露出の少ない、普通の人間が着てるような服はないの?」


 よく考えたら、この世界の人間の着ている服がどんな感じなのか知らない私が言うのもおかしな話だが。

 初めてこの世界で出逢った人間もなぜか全裸に武器だけだったし。

 それでもこの紐が普通の服ではないことは分かる。だってモカ様や、カダとかセバスとかどんこ婆とか、みんな布面積は普通の服だから。

 勇者が最初に着ていた布の服が、紐なわけもないだろう。

 それにもしもナエが紐、――いや、紐のような服を着用して往来を歩いていたとしたら、お風呂であんなに恥じらわなかっただろう。


「モカ様の服のデザインをしたのはキュルムなんでしょ? あんな感じの服は持ってないの?」

 

 あのゴスロリ服はモカ様に似合う様に作ってある服だから、あのヒラヒラを着るのも勇気がいるけれど、童貞を殺す服よりはましだ。

 だが、キュルムは肩を竦める。


「魔王様の着てるような服は、今魔王様の部屋にしか置いてないわぁ。魔王様の部屋にアタシが勝手に入れるわけないでしょぉ? アタシは着ないから持ってないしぃ。試作品はあるけど、それももちろんモカ様のサイズなんだから、シズクに合うわけがないじゃない」

「くっ……!」


 万事休す――か。

 もしも、もう他に本当に何も手がないというのなら、最悪このキュルムの童貞を殺す服を奪うしかない。

 できればこんな痴女みたいな服を着たくはない。

 着たくはないけれど、事情が事情だ。人間の店で買ったと言うなら、多分制服よりはこの世界のものに近い筈だ。

 私は、キュルムににじり寄る。


「……あっ! いいこと思いついちゃったぁ♡」

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