第7話 私の事情 2

 ――……私は戻るつもりはない。だから、その本も必要はない。


「私は、ここにいたい。モカ様の役に立ちたいと思ってる。私に、大それたことができるとは思ってないけど、できる限りのことをするよ」

「森の中で逢っただけの我に、どうしてそこまで……?」

 

 不思議そうに見上げる顔が、可愛くて愛しくて、どうしようもないから。

 貴女の為に生きて、貴女の為に死ぬのだと分かってしまったから。

 モカ様と出会った瞬間に、それは体中を駆け巡った。

 私は勘がいい方だ。

 私は――、その勘を信じる。


「それは、モカ様も同じでしょう? 縁に理由が必要なら、いくらだってこじつけることはできる。目に見えないから。どんな力が働いたか分からなくても、モカ様に逢って、私がここにいる。それだけでいいと、私は思ってる」


 モカ様がほっとしたように柔らかく笑う。

 まるで、朝露によってほぐれた朝顔のように、ゆっくりと、ふうわりと。


 彼女は、私の持っている魔王像からかけ離れすぎている。

 私の中の魔王像といったら、やはり世界を征服するとか、世界を壊すとか、己の存在理由を示すとか。ちょっと頭がイっちゃってる系の人物だった。

 まあ、勇者を育てて戦いたいという理由も、ぶっ飛んでるといえばぶっ飛んでいるが。

 けれど、こんな風に配下でもない、もしかすると敵であるかもしれない私を真っ直ぐに見て、信じて、笑って、楽しそうに生きるモカ様がなぜ魔王と呼ばれるのか。

 勇者に、討たれなければならないのか。

 それに関しては、全くちっともこれっぽっちも、ゾウリムシ程も理解できない。


「モカ様、私はモカ様が勇者を育てるっていうから、それを手伝いはする」

「ああ」

「けど、もし育成がうまくいきすぎて、モカ様が勇者に殺されるってなったら、私はどれだけモカ様が拒んでもモカ様を守るよ。それが、この世界の摂理に反するとしても」

「何をバカな事を」

 

 フンッ、とモカ様は笑う。

 何に対してモカ様が笑ったのかは分からなかったが、バカなことを言っている私に対してではないことだけは、なぜか分かった。

 もっと自嘲的な何かだった。


「お前のような小娘に守ってもらうまでもない、魔王様をお守りするのは私の役目だ」


 いいところだったのに、カダがしゃしゃり出てくる。


「ああ、そっか。あんた親衛隊長だったっけ?」

「あんたとはなんだ、カダ様と呼べ」

「じゃあ私のこともシズク様と呼べ。あんたに払う敬意は持ち合わせてない」

「なんだとぉ!? 口の減らない小娘が!!」


 ギャーギャーとうるさく口喧嘩していると、モカ様が大きな声で笑い出した。


「あっはっはっはっはっは! ク、クククッ! 確かにこの世界の者ならまだしも、異世界人であるシズクに、お前が我の親衛隊長であるなどということは関係ないであろうな。どちらが上などとは考えていないし、仲良くしろとも言わない。本来魔族は慣れ合う種族ではないしな。お互い好きなように呼べ。だが、シズクは我の傍に置く」

「!! 正気ですか!! なんで魔王様はいつもいつもいつもいつも……!! わけのわからない者を傍に置きたがるのです!! こいつはわけのわからない者の筆頭といっても過言ではない、ですよ!?」


 キエー! と奇声を上げそうな金切声で、目を吊り上げてカダが怒る。

 ほぼ人の言うことを聞かない暴君のモカ様だから、いくら言うことを聞かなくても小言を言い続けるカダは、実はすごいのかもしれない。

 それにカダが、モカ様の為を思って小言を言い続けているのだということだけは、確実に伝わってくる。

 もちろん、いつか失脚させてやるという気持ちに変わりはないが。


「我は、その異世界人と魔族のクォーターだ。先々代の魔王に至っては、妻にしているのだぞ?」


 モカ様のその言葉に、カダはグッと言葉に詰まった。その隙を見逃すモカ様ではない。


「我は、魔王。己の好きに生きることを宿命さだめられた、魔族最強の存在だ。きっと我の祖父も、そう言ったのであろうよ。シズクよ、お前の世界のことを教えてくれ。祖母が生きていた世界のことを、知りたいのだ」

「ハナエさんが、私の世界から来たとは限らないよ……?」


 確かにハナエという名前は、日本人ぽいけど。私の世界とは別にこの異世界があるように、他の異世界があって、そこから来た可能性だってないわけではない。


「ふむ、ニホン、とはお前の世界の国の名ではないのか? あと、祖母の得意料理は、オミソシルと、ヌカヅケだったそうだ。この料理は、お前の国の料理とは違うか?」

「!!?」


 わーお。なんて都合のいい符号。

 日本には、異世界に通じる穴が本当に開いているのかもしれない。いや、確実に開いてる気がする。


「……どの時代の人かは分からないけど、私の生きていた世界のことで良ければ……」


 むやみに元いた世界のことを、話さない方がいいのではないかと思ってはいるけれど、モカ様がそれを所望するというのなら、私は話すつもりだ。まあ、一介の女子高生の知識なんて、たかが知れているけれど。

 裁縫が得意だったというハナエさんは、日本の話をしてほしいと言われた時、一体どうしていたのだろうか。素直に話していたのだろうか。


「シズクの知っている事でいいのだ。それが違う時代の情報であったとしても、それを正せる人間もいない」


 フッ、と口角を上げたモカ様がどこか淋しそうに見えたのは、見間違いではなかったのだろう。

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