閑話 1 勇者の誕生

今回は勇者の話です。


――――――――――――


 勇者の一日は、太陽がが東の山から顔を出して、少し経ってから始まる。


「おはよう、父さん母さん」

「ああ、おはようソラ」

「おはようソラ」


 優しくも厳しい父ゲンガクと、村で一番のおっとり美女と評判の母エリナ。そしてその二人から生まれた、村開催の『大きくなったら結婚したい! このままでも全然イケる! イケショタランキング』5年連続一位で殿堂入りのソラ。

 食卓には、香ばしい臭いのするパンと焼肉、サラダ、目玉焼きなどが並ぶ。

 勇者たちのいつもの朝食である。


 彼はこの東の端にあるイハテ村で両親二人に大切に育てられた。


 ★ ★ ★


 ――16年前。

 彼がこの村で生まれる際、陣痛の始まったエリナの元に、女神セルンディーヌが降りてきた。


『――エリナ、エリナよ』


「ふんん、んぎいぃぃいい!!」


『――聞こえていますか?』


「ゲンガク! もっとお尻の上きつく押して!! もっと右!! そこぅおおおお!! テメェ村一番の怪力の力見せろやあ!! わたしの旦那だろうがぁ!」

「は、はいぃ!」


 しかしエリナは、女神の声を聴ける状態ではなかった!


「エリナ! まだ開き切ってないよ! もうちょっといきむの我慢して!」

「そんっ、な、っっこといわれて、もおおおぉおお!!」


 命を奪い合う場所が男の戦場だとすれば、命を生み出すこの場所こそ女の戦場。

 初老の産婆コイトは、まだ十分に子宮口の開いていないエリナに、いきみを抑えるように言う。必死の形相でエリナは力を逃がそうとするが、初産ういざんの彼女には難しいことであった。


『――ちょっと、あの……』


「うるせえ!! こっちは痛みに耐えて子どもひり出そうと頑張ってんだ! 静かにしろ!!」

「何も言ってないけどごめんなさい!!」


 ゲンガクは、なぜ怒られているのかわからなかったが、怖かったのでとりあえず謝った。エリナの怒っていた相手は、女神だったのだが。


『――……』


「!! 頭出てる! 出てるよ!」

「っぉあああ!! ンぎいぃぃぃいい!!」


 その痛みはエリナにとって数十時間にも永遠にも感じるほどであったが、とうとう――その運命の子どもはイハテ村にて誕生した。


「エリナ!! あんたの赤ちゃん! 生まれたよ!!」

「………はぁ……、ふぅ……んん」

「男の子だ!! エリナ! 男の子だぞ!!」


 エリナはうまく返事もできず、眼も虚ろで疲労困憊だった。歓び勇んででわが子を抱こうとしたゲンガクを、産婆のコイトが手をはたいて遮る。

 なぜなら取り出した赤子が泣かないことに気付いた為だ。


「待ちなっ!!」

「痛いっ!」

「この子泣いてないわ!! ハァァアアアッッッ!!」


 ―――バッシィイイイイイン!!


 部屋中の空気を震わせる、甲高い破裂音が鳴り響いた。

 コイトは赤子を宙づりにし、氣を溜めて強烈な一撃をその尻にお見舞いしたのだ!!


「だめかい!?」

「な、なにをして……」


 いきなり自分の子どもの尻を物凄い勢いで産婆に叩かれたゲンガクは、コイトに恐る恐る尋ねる。

 しかし、その答えは――。

 

「うるさい!!」

「ごめんなさい!!」 

 

 鬼のような形相のコイトが怖くて、ゲンガクはまた謝った。 


 バッシィイイイイン!!


 怯えるゲンガク、一心不乱に赤子の尻を叩くコイト。

 知らぬものが見れば、とんでもない虐待の現場である。

 ――しかし、コイトのこの尻叩きは、神業かみわざであった。

 今まで、幾度となく生まれても泣かない子どもの窮地を救った、産婆奥義ハーヴェ神の掌底ハーヴェストライク

 その業は、勇者が生まれた時にも、尻に閃いたのだった。


「……ふぎゃあ……ふぎゃあ! ふぎゃあ!!」

「お~、よ~しよし、泣いたね! 良かった良かった。これで一安心だ」


 コイトは安心して湯で赤子を洗ってやる。その途中に彼女は不思議な痣に気付く。


「……ん? なんだいこの子。お尻に痣があるよ」

「痣……?」

 

 ゲンガクが、恐る恐る泣いている赤子の尻を覗き込むと、確かに赤くなった尻には、複雑な模様のように見える痣があった。


「これは……? なんだか女神セルンディーヌ様の紋章にも見える様な……」

「やだよぉ、ゲンガクったら! セルンディーヌ様の紋章がなんでこの子のお尻にあるんだよ! あれかい? 自分の息子は特別に思いたい的な?」

「バッ! そ、そんなんじゃねえよ! 自分の子どもは、誰だって特別だろうがよ!」

「ふふ、確かにねえ」


 本当に、特別な子どもだったのであるが。


 二人はその痣を見ながらやいのやいのと楽しそうに談義していたが、そのうち飽きたのか、すっぽんぽんだった男の子をもう一度しっかりと洗ってやり、布でくるんでエリナに抱かせてやった。


『――エリナ、エリナよ。わたしは女神、セルンディーヌ』


 今こそ、わたしの出番ね! とばかりに、女神は勢い込んでエリナに語りかける。


「……あなたぁ、部屋に綺麗な人が……セルンディーヌ様の名をかたるパツキンのチャンネーが浮いてるわ」

「なっ!? 美と戦をつかさどる女神、セルンディーヌ様の名を騙るパツキンのチャンネーが浮いてる!? ま、まさか出産でエリナの脳に障害が……!?」

「なんてこと! 美と戦を司る女神、セルンディーヌ様の名を騙るパツキンのチャンネ―が見えるだなんて!! すぐに医者を!!」


 突然朦朧とした表情でエリナがそんなことを言うので、ゲンガクとコイトは、えらいこっちゃとすぐに村一番の医者の家に走っていった。村一番といっても、村に一人しか医者はいないのだが。

 部屋の中に取り残されるエリナと、女神セルンディーヌと、生まれたての勇者。


『――エリナ。わたしは美と戦を司る女神の名を騙っているのではなく、本物です。わたしは本物の女神、セルンディーヌです』


「はあ、そうですか。ところでセルンディーヌ様(仮)、体が浮いちゃうくらいお辛いことでも……? いいお医者さんを紹介しますよ? 小さい村ですけど、この村のお医者さんは、コトオさんと言ってとてもいい腕のお医者さんなんです」


『――あなた、まだ信じていませんね? (仮)とかつけるのはやめて下さい。体が浮いているのは仕様です。女神だからです。辛いことがあったからといって浮いている人間を見たことがありますか?』


「私も、浮いている人を見たのは初めてなので……、今セルンディーヌ様がお辛ければ当てはまりますね。わたしも浮かない様に気を付けよう……」


『――気を付けなくても魔術師以外の人間はそう簡単に浮きません。エリナよ、私は神で、これは神託です。よくお聞きなさい。今、あなたが生んだその男の子は、勇者です』


「ゆうしゃ……?」


『――はい、魔王を討ち滅ぼす力を持った、男の子なのです』 

 

「ゆうしょくは、精のつく物をたべたらいいよって、おいしゃさまが言ったから……今日はやきにく記念日……」


『――夕食ではありません、勇者です。あなた、本当はちゃんと聞こえていますね? あと、関係ないですけど子ども産んですぐに焼肉を食べるって、なかなか凄いですね。ずっと焼肉が食べたかったのですか?』


「……この子が、勇者」


『――聞けよ』


 エリナは、元気な声で泣いている布にくるまれた我が子を、慈愛に満ちたで見下ろす。


『――まあいいです。その子が16になったら、旅に出しなさい。魔王を討伐する旅に』


「そうなのですね……。わかりました、それがこの子の定められた運命ならば……。――ところで、その為の支度金、勇者として恥ずかしくない為の教育費、出発の為の装備費、その他諸々の諸費用に関しては、セルンディーヌ様に請求したらいいのですか? それとも教会宛ですか?」


『――わたしは女神ですので、そういったお金を工面することはできません。教会に請求しても、出してはくれないと思います。国の子どもを助成する制度などを利用して、賢く家計を回してください』


「そんな……、じゃあこの子に1000ネル持たせて着の身着のままで旅に出させろと!?」


 泣いている我が子をギュッと抱き、腕の中の子に降りかかる不運を、エリナは嘆かずにはいられなかった。


『――16年の内に蓄えておいて、もう少し、持たせてあげてもいいとは思いますが』


「でも、焼肉を食べるので……」


『――焼肉を食べるのは今日の話でしょう? 旅に出すのはこの子が16になったらですよ? 赤子のまま放り出すつもりですか? もはや勇者捨て子ではないですか』


「セルンディーヌ様(仮)、どんな考え方をすれば、たった今お腹を痛めて産んだこの子を今日捨てるという発想になるのですか? 大切に育てるに決まっています。やはりコトオさんを紹介しましょうか? 体も浮いていますし……」


『――ええ? 私が悪いのですか? また(仮)をつけるのはやめて下さい。それと体が浮いているのは女神の仕様だと言っています』


「焼肉は、毎日食べるのです」


『――毎日焼肉も、どうかと思います。今日がやきにく記念日だったのでは?』


「焼肉は美味しいので、毎日がやきにく記念日です」


『――確かに美味しいですが、もう焼肉の話はいいです。聞いているだけで胸やけしそうです。その焼肉のお金を勇者にも使ってあげて下さい。いいですか、その子は勇者。魔王を討ち滅ぼす者。そのお尻の痣はわたしの加護がある証です。わたしは、もう行きます。勇者の旅路に幸福のあらんことを』


 女神は、告げるべきことを告げると、光の粒子となって消えていった。

 残されたエリナは、ベッドの上で赤子を見下ろしながら、そっと我が子の頬を撫でた。


「この子が……勇者。そして、私は勇者を生んだ選ばれし母……」


 ツッコミが不在の部屋に、エリナの声だけが静かに響いた。

 この時はまだ――勇者ソラにどんな災難が降りかかるのか、誰も知るよしはなかった。

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