第2話 蠢動する者たち
診察の結果は、精神的な疲れによるものだろうということで、しばらくは安静にするようにと言いつけられた。
大事はないということでほっとする。
施療所を後にし、病人を置いていくのも寝覚めが悪いので、なんとなく連れ立って歩く。
「閣下も繊細なとこ、あるんですね」
「――お前のどこもかしこもにょきにょき生えたがるノラ育ち雑草根性と一緒にするな」
「ええ~、雑草もなかなか捨てたもんじゃないですよ。どこにでも生えられるってすごい強みだと思いません?」
いつもだったら、またバカにしたような返事が返ってくるところだ。しかしジュストは体調不良のためか押し黙っている。
俯いた顔は、どこか思いつめているようにも見えなくもなかった。
(……やっぱり、言梯師選のアレコレでその高い鼻っ柱を折られちゃったのかしら)
ジュストのことは大嫌いだったが、なんだか憎まれ口を聞けないというのもそれはそれで調子が狂う。
貴婦人と紳士たちが秘めやかに談笑している中庭を抜けると、やがて壮麗な丸屋根の輝く建物が見えてくる。中央通路のアーチには、月を背景にした梟とペンの意匠を模した楯が掲げられていた。あれこそが、秘書局の紋章だ。
その通路の前に、人垣ができていた。
「……妙だな。兵がいる」
「なんですかね。あれは……コッツィ家の旗標?」
コッツィ家のミロは、先日の会議でカルディア・リチェルカーレを推挙した中心人物だった。
(ま、まさかわたしの男装がバレたとかじゃ……)
内心気が気ではないアルの横で、ジュストが息を呑む気配がした。
「――僕の騎士だ」
「え?」
コッツィ家の騎士たちの向こう、彼らによって取り囲まれているのは、見覚えのある顔だった。いつもジュストにくっついている、ランベルティ家の紋章を刻んだ騎士たちだ。
「コッツィめ。なにを企んでいる?」
ジュストは剣の柄に手を掛けて、ずかずか歩いていこうとする。
「ちょ、待ってください! なにかおかしいですってば!」
慌ててジュストの肩を掴んで、生垣の影に引っ張り込む。
コッツィの騎士たちは、どうやらなにかを探しているようだった。ジュストの騎士を捕らえて探し物をしているということは、彼らの目的は火を見るより明らかだ。
「ジュスト隊長、なんかやりました? コッツィ公の鬘ぶんどって若ハゲ成金野郎とか悪口言ったとか……」
「そんなことするわけ――」
声が奇妙に途切れる。それからジュストは少しばかり青ざめた。
「え、まさかほんとに?」
「ちがうわっ」
即座に鋭い声が返ってくる。
どうやら鬘は盗んでいないが、多少は思い当たる節があるらしい。
先ほどまでもやたらと青ざめたり物憂げだったりしたのと関係があるのだろうか。
「言ってください。力になれるかもしれません」
「……ちがう。僕はたしかにちょっとばかり悪事に手を染めたが、コッツィが来るには早すぎる。おそらく別のことだ」
ジュストは俯きがちにもにょもにょ言った。
まるで悪戯を咎められている七歳児のようである。
「はっきり言ってください。なにやったんですか!」
「さ、さっきちょっと本を拝借しただけだ」
「――ハァ!? 閉架書庫の書物を? 持ち出し禁止なばかりか、読むことを禁じられている書物ですよっ。発覚すれば重罪です。わたしですら読んだことないのにずるい――じゃなかった! グリエルモ様まで管理不行き届きで罪に問われるじゃないですか。なにしてくれやがってるんですか!?」
「う、うるさい。これには色々な事情があったんだ。それより声がデカいぞ、馬鹿ッ」
アルはくらりと立ち眩みを起こした。
それでさっきから様子がおかしかったのか。なにをやってくれているんだろう、このボンボン。もうミロ公に突き出してやろうかという気すらする。
(……ううん、隊長をひっ捕らえにきたのだとしても、コッツィ公の私兵が出てくるのはヘン。ここは王領。コッツィ公にジュスト隊長を裁く権利はない)
それに、ジュストの言うとおり、アルやグリエルモすら盗本の件を知らなかったのに、コッツィが知っているというのはおかしい。
コッツィ家とランベルティ家の間でなにか問題でもあったのだろうか。それにしても王の騎士団を差し置いて、コッツィが城内で剣と旗を掲げるなんて穏やかではない。
「おい」
顎に手を掛けて考え込んだアルに、なにか硬いものが押しつけられる。
見れば、それは件の書物だった。
「ギャアッ! なんてモノをわたしに渡そうとしてるんですかっ。もしコレを持ってるのが見つかったら、わたしが罪に問われるんですよ! あなたとちがってド庶民なんで、その場で有無を言わさず首切られちゃったりするかもしれないんです! 自分でやったことに責任持ってくださいっ」
「うるさい。いいから隠しておけ。もしバレそうになったら僕がちゃんと庇ってやる」
そんなことを言って、アルに罪を擦りつけて自分だけ助かるつもりなのでは、と胡乱げに彼を見上げる。
ジュストの眼差しは、思いがけず真摯だった。菫青石の眼差しの強さに気圧されるように、アルは懐に大事に書物をしまい込む。
張りつめられた眸が、少し安堵するようにほどけた。黄金で縁取られた長い睫毛がふるりと震えて、その深い藍色の海にアルが映し出される。侮蔑や嫌悪が滲み出ていない、ジュストのものとも思えない貴重な表情だったが、それに感じ入る間もなく、長靴が落ち葉を踏みしめる無粋な足音が響いた。
「――ああ、こんなところにいらしたのですか、ジュスト・ランベルティ隊長閣下。いえ、元隊長閣下とお呼びするべきでしょうかね」
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