第3話 砂漠の薔薇

 アルと別れてから二日。クラヴィスの騎士が到着してからというものの、キァーヴェの村は大わらわだった。

 イニーツィオがそもそもなぜこの村を潜伏先に選んだかというと、キァーヴェがかつてイシュハと交流が深く、彼の国の移民も多くともに暮らしていたという村だからだ。不銹鋼ふしゅうこうの技術はイシュハから伝えられたもので、職人たちは国の別なく支え合って暮らしていた。そのこともあって、金剛宮が異域いいき干渉罪などという仰々しい罪を制定してからも、この村ではさほどイシュハ人は忌まれていない。

 はじめにイニーツィオがこの村を訪れたときに村長に話を通していたこともあってか、ナザリオの兵たちの捜索の際にも、村人たちはサダクビアとリゲルの存在について黙秘を貫いてくれた。

 その村人たちに、ルスキニアは昨日、ある疑問をぶつけた。


「つかぬことをお伺いするが、実はこの村にはまだ、不銹鋼の製鋼技術が現存しているのではないか?」


 それはこの村にとって、青天の霹靂だったらしい。長老たちは素っ頓狂な声を上げて「な、なにをまさか~!」と棒読みで叫んだ。何人かはご高齢だからか、衝撃のあまり卒倒した。ぽっくりいかなくてよかった。


 ルスキニアが所持していた不銹鋼の刃は、なんでも彼女の師である床屋外科医から譲り受けたものだったという。彼は頑としてその入手先を漏らさなかったそうだ。今や国内に不銹鋼は流通していない。だからルスキニアは、実はまだ不銹鋼の技術は喪われていないのではないかと疑っていたらしい。

 その言葉に、少年のように目を輝かせたのはクラヴィスだった。手を変え品を変え飴と鞭で長老たちに迫り、不銹鋼の製鋼技術が現存していることをゲロらせた。

 今、キァーヴェの職人の末裔たちには、クラヴィスとイニーツィオのなけなしの財を叩いて押しつけ、不銹鋼の刃を鍛造してもらっている最中だった。

 不銹鋼の刃があれば、黒字病患者の手術に際する生存率はぐっと跳ね上がる。

 イシュハの民を害するためではなく、イシュハの民を救うためというと、長老たちも渋々納得してくれた。

 この村が密かに技術を承継しながらもそれを何十年もひた隠しにしていたのは、イシュハ滅亡後にこの国で起こった異邦の民の虐殺に対する、声なき抗いであったらしい。

 国が犯した過ちは、たとえ幾年の時を重ねようとも消えることはない。それを思い知らされたような気がした。


 イニーツィオたちはというと、いったん村のなかを駆けずり回るのを終え、食卓を囲んでいた。今日の昼食もイニーツィオお手製だ。イニーツィオは医術にも言語にも製鋼にも詳しくないので、お料理係を拝命することになった。

 クラヴィスの騎士たちは、ルスキニアの鬼のようなしごきにあって、家屋の外で死屍累々の山になっている。彼らには明日まで休んでもらい、患者の元に駆けつけ次第、施術を始めてもらうことになる。

 医術の分野については人も技術も道具も揃った。不安があるとすれば――。

 そこまで思ったところで、イニーツィオはクラヴィスの言葉に耳を疑った。


「え、ほんとに行くの? サダクビア」


 頬一杯に詰め込んでいた麺麭パンの欠片を危うく落としかけながら尋ねれば、クラヴィスがイシュハ語訳をサダクビアに伝えてくれる。


「『だって、あたしがいないとイシュハ語分かるの、あの女くらいしかいないじゃない。要は生誕の《詩篇クロニカ》を割り出せばいいんでしょ。最初の文字に印でもつけておけばあとは騎士たちが施術してくれるんだから、あたしでもいる意味があるじゃない』だとさ」

 クラヴィスの言葉にイニーツィオは渋面をつくった。


「それはそうだけど、サダクビアを狙っている人間がいるって伝えて」

「『そんなもんどこでだって狙われるわよ。頭湧いてるの?』」


 イニーツィオはクラヴィスをまじまじと見つめた。


「ねえ、クラヴィス。俺がイシュハ語分かんないからって、ちょっと話を脚色してるでしょ。俺、結構サダクビアからいい男~みたいに見られてたんだよ。こんなヒドイこと言われないから。ちゃんと訳して」

「は? なに言ってんだ? むしろ、やんわりとした表現にしてやってるくらいなんだが」


 呆れかえったような声に、イニーツィオはがーんと色を失った。

 誰からも嫌われようと努めていたものの、いざ冷たい扱いを受けるとちょっと傷ついてしまう難しいお年頃なのである。


「『リゲルのことは保護してくれるっていうから心配ないもの。なに、そんなにあたしが信用ならない?』」

「そういうわけじゃないけど。君は……もう危ない橋を渡らなくていいんだよ。まあそりゃあ、同じ国の人たちが心配だと思うけど」


 イニーツィオの言葉に、サダクビアは鼻で嗤ってみせた。


「『心配? どうだっていいわ。あたしや弟を食い物にしようとした奴らだっていっぱいいた。この国の人間と大差ないわ。そんな奴ら、助ける義理ないでしょ』」

「え……じゃあなんで」

「『ムカつくのよ、あの女が』」


 イニーツィオは咄嗟になにを言われたのか分からなかった。


「『なにか哀れなかわいそうなものでも見る目つきであたしを見て、いつもなにか言いたそうにこっち見るくせに肝心なことは言わないで、綺麗ごとばっかり抜かして。あの女はさぞかしそれが赦されるような暮らしをしてきたんでしょうね』」


 サダクビアの言いたいことは、なんとなく分かるような気もした。

 アルは、今でこそ平民に身を窶しているが、基本的にはすこぶる育ちのいいお姫さまだ。カントゥス家出奔後、グリエルモに拾われたのも運が良かった。七年前に彼女も地獄を見たが、それでも理想を棄てずにいられるくらいには、強くいられる環境があった。

 だがサダクビアは、ちがう。呼吸の仕方も分からないのに荒波のなかに放り込まれて、貪りつくされた。憎悪すら抱けぬ、ただ虚ろな空洞になっていくような感覚には、イニーツィオも覚えがあった。


「『だけど――』」


 そう言って、サダクビアは首元に触れた。いつも彼女が提げていた、首飾り。あれは、砂漠の薔薇だろうか。書物で読んだことしかないので確信が持てないが。


「『あの女のあの目に見られるたびに、あたしはかわいそうなやつなんだって思い知らされる気がしたわ』」


 イニーツィオは返す言葉を持たなかった。たしかにその言葉はサダクビアが言ったのに、別の人物に言われているような錯覚を覚えた。

 そこに食事を終えたルスキニアが、乱れた髪を結び直しながら割って入ってくる。


「それは、アル嬢と対等に話がしたいということかな」


 サダクビアは目を剥いた。


「『ちがうわよ! とにかくあたしはあの女がムカつくから行くのよ。そんな目で二度とあたしを見るなって言ってやるわ』」


 サダクビアの言葉に、ルスキニアは肯定も否定もしなかった。ただ顎のあたりを摘まんで、首をかしげる。


「女同士の会話を通訳を介さないとできないっていうのは、不便だな」

 そう言って、軽く手を打つ。


「よし、私も今度はイシュハ語を学ぶとしよう」

「……ぜひそうしてくれ」


 律儀にも全会話の同時通訳を行っていたクラヴィスが、妙に切実な哀切を滲ませる声でそう懇願した。

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