第4話 暗転に次ぐ

 どよめきが広がり、野次馬が端から道を空けていく。

 視界に飛び込んできたのは、弱弱しい陽射しにすら照りかえる、優美な板金鎧と常盤色の外套を身につけた騎士の群れ、そして理知に冴えた碧玉の双眸だった。


「グリエルモ様……」


 呆けたように呟いた途端、膝から崩れ落ちそうになる。

 先ほどミロが現れてすぐ、人垣の向こうにグリエルモを見つけた。彼はジュストらとミロの間に割って入ろうとしていたが、アルがそれを固辞したのだ。

 果たして、彼は目当ての騎士団を連れて帰ってきてくれた。

 板金鎧の胸元には王の騎士だけが身につけられる金剛石が嵌められている。本来、この金剛宮で罪人を捕縛する任を帯びているのは、この金剛騎士団だけだった。

 ひと際、立派な体格をした兜姿の騎士が進み出る。


「法を枉げ、陛下の思し召しを騙った罪は重い。ミロ・コッツィ公ならびにヴァスコ・ランベルティ公の異域干渉罪の連座の罪で、ジュスト・ランベルティ公両名をバルトロ・アダマス国王陛下の名において捕縛する」


 朗々とした声が響き渡り、金剛騎士たちが押し寄せてくる。

 アルは思わずジュストの腕を掴んだが、彼はその手を押し返した。


「――お前の言葉は、劒に勝った」


 あるかなきかの、ささめきのような言葉だった。

 驚いてその顔を見上げれば、今この瞬間にも捕縛されて刑に処されようとしている人間のものとは思えない澄んだ眸にかち合った。


 ――書はときに、千の兵に勝る武器ともなりえます。そも言梯師とは言と書を飼い馴らす者。その知力を尽くして、主君のために戦う智将です。


 グリエルモの言葉が脳裏に蘇る。

 アルはジュストを守りきることはできなかった。だからその称号には程遠いと他でもない自分がよく分かっていた。

 でもジュストは、そんなアルに道しるべの星みたいな言葉をくれた。

 

「それから、さっきの――」


 そこまで言ったところで、目前でジュストの身体が取り押さえられる。彼はなにかを言おうとしていたが、結局言葉にはできずに剣を取り上げられ、両手を後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされた。

 金剛騎士団が動いている以上、どうやらヴァスコの罪はでっち上げやはったりである線は薄いと見える。

 アルは騎士団の総帥らしき男の元に駆け寄った。


「――異域干渉罪の裁判には、言梯師の同席が義務づけられています。ランベルティ家の裁判は、次の言梯師が現れるまで猶予があるはずですね?」


 アルの問いに、総帥はあからさまに面倒そうに手を振った。


「今回は外つ国の言葉を訳さずとも済む。なにしろ、罪が罪だからな」

「でも――!」

「これ以上の公務の妨げは、投獄に値する」

 取り付く島もない。


「アル、下がりなさい。……総帥殿、本日はお忙しいところを、ご無理を申し上げたのにもかかわらず、ご協力くださったこと、心より御礼申し上げます」

「貴殿に礼を言われるようなことではない」


 そう言い捨てて、金剛騎士団は罪人たちを引っ立てていく。後には、愉快な寸劇でも観終えたような顔をした群衆と、アルとグリエルモだけが残された。



   * * *



「よく頑張りましたね、アル」


 香水薄荷茶の香りが鼻の奥をつんとくすぐる。

 アルはグリエルモに連れられ、禁書室に戻ってきていた。グリエルモが手ずから淹れてくれた茶に口をつけてこそいるが、なかなか喉を通って行かない。

 ジュストのことは元々好きじゃなかった。

 だからといって、死んでほしいとまでは思っていない。


「……あの人、死刑になるんでしょうか」

「通例であれば、そうですね」

「そもそも、ジュスト隊長は宰相閣下の罪を知らなかったみたいでした。それなのに、家族だからまとめて死罪って……」

「私も連座制には反対ですが、私たちはそれを議論できる立場にはありません」

「でもこのままじゃ隊長は――!」


 立ち上がったところで、アルは顔を赤く染めて席に座りなおした。

 グリエルモに八つ当たりしたところで詮無いことだ。

 アルなどより、グリエルモの方がこの無力感を厭というほど味わっているはずだった。


「――ごめんなさい、グリエルモ様」

 絞り出すように言って、アルは椅子の上で膝を抱える。


「謝ることではありません。人は、あまりに疲れてしまうと、そうやって怒ったり泣いたりすることに鈍くなっていってしまいます。あなたにはどうか、そうはならないでいてほしい」

 グリエルモはそう言って、アルの髪をかき混ぜる。

 ぐずぐず洟を啜って突っ伏していると、ふと懐の硬い感触に気づいた。


「そうだ、この本――! ジュスト隊長がなんか盗んじゃったって――」


 机の上に書物を広げると、グリエルモが神妙な面持ちで眉根を寄せた。


「『廃滅はいめつの国イシュハにおける黒字病こくしびょうの伝染に関する董伯とうはく暦三十六年の記録』……古ローデンシア語の書物――しかも六十年も前の代物ですね。隊長殿に読書のご趣味はなかったはずですが。彼はなんと?」

「色々事情があったとだけ。すごーく罪悪感に満ち満ちてましたけど」

「……おそらく誰かから盗むよう頼まれましたね。それか、脅されたか」


 不穏な言葉に目を見開く。

 でも確かに、それしか考えられない。ジュストがこんな難しそうな医療書を読んでいるところなんて、天地がひっくり返っても想像できない。せいぜい肘掛けに使うのが関の山だ。


(イシュハ――また、イシュハなのね。って、わたしがこの間街で見たイシュハ人ぽい女の子ってもしかして――)


 そこまで思ったところで、激しく風を切る音が部屋の外から聞こえてきた。

 グリエルモと顔を見合わせる。

 扉を開け放てば、少々小ぶりの鷲が室内に雪崩れ込んできた。幼鳥だろうか。

 本来なら王宮の鷲舎しゅうしゃに鷲便は集約されるのだが、これはどうしたことだろう。

 鷲はアルの前を素通りし、グリエルモのすぐ目の前に舞い降りた。鋭い鉤爪に、小さな羊皮紙が丸められて握られている。

 封蝋には、スクリーバ家の紋章である梟が刻印されていた。


「危急の報せのようですね」


 そう言って、グリエルモは書簡を取りあげた。しばし目線が左右に走る。

 書簡は二枚に渡っていたが、さほど文量はなかったようで、やがてグリエルモは息を吐いた。まるで、なにかを諦めるように少し、長く。


「――どうやら今度は、私の番のようです」


 その声はひどく柔らかくて、アルには彼がなにを言っているのかさっぱり理解できなかった。


「……昼過ぎ、私宛の荷を預かったと申す使いの者がスクリーバ家の王都の逗留先にやって来ました。現在のスクリーバ当主は私の息子ですが、彼はちょうど言梯師選の件で王都を訪ねていたのです。そこでうちの家令が荷を受けとったのですが、その荷の中身が不味かった」


 グリエルモはなぜかアルに外套を着せかけ、その場にあった食料を布にくるみながら言った。


「中身?」

「ひとつは黝簾石タンザナイト


 黝簾石。イシュハでしか産出されない宝石の一種だ。国交が断絶した今は、その希少価値の高さから、莫大な金額で取引される。


「そしてもうひとつは、この書簡です。これは、写しですが」


 グリエルモが差し出した書簡は、たった数行程度の簡素なものだった。しかし、一目見てそれが普通ではないとアルには理解できた。


「――イシュハ語」

「意味が分かりますか?」

 蒼白になったアルとは対照的に、グリエルモは淡々と尋ねる。


「……親愛なる……グリエルモ・スクリーバの、情けへの、……見返り、に」


 アルのローデンシア語訳に、グリエルモは「よく出来ました」と微笑んだ。


「さあ、立って。ここからは歩きながらお話しましょう。その隊長殿から預かった書物はまた大事にしまっておいてくださいね」


 そう言って、グリエルモはアルの手を引いて歩きだす。もう終業時間を過ぎているためか、秘書局内は不気味なほどに静まり返っていた。


「情けって……なんですか」


 手紙の内容からは、グリエルモがイシュハ人になんらかの便宜を図ったのではないかと推測できる。

 グリエルモは肩を竦めた。


「さあ、身に覚えがないことです」

 アルは胸を撫で下ろした。

「な、なんだ。そうだったんですね。なら、間違えて届いちゃったとか……」

 うっかりさんもいたものですね、とアルは引き攣った笑いをこぼす。

 だが、グリエルモの愁眉は開かなかった。


「おそらく首謀者は、隊長殿が盗まされた書物を私が盗み、イシュハ人に横流しした嫌疑で、私を破滅させるつもりだったはずです」


 淡々とした言葉は、次から次へと信じられないことが起こって混乱気味の頭にも、融けいるように響いた。


「つ、つまりこれも全部、誰かが仕組んだってことですか?」


 でも、そうだとしてもその企みはもはや阻止された。書物はアルたちの元にある。


「元はと言えば、ジュスト隊長のせいですけど、あの人に助けられましたね」

「……いえ、もはや、この書物の所在は無意味でしょう」


 グリエルモはふたたび、イシュハ文字で記された手紙を開いた。

 彼は、アルがそれを見なかったことにしようとしていたことに気づいていたのだろう。

 いつもなら、言語オタクの血が騒ぐそれを見ても、今は震えしか起こらない。


「異域干渉の罪は、たとえ一枚のこのような書簡にも適用されます」


 たとえその者が知らず知らずのうちに外つ国と関わりを持ったとしても。知らなかっただけでは済まされない。それが現行の異域干渉に対する罪だった。


「でもそんなの、おかしいですよ! ……グリエルモ様をよく思わない輩が送りつけたものにちがいないのに」

「ええ、ですが。受けとってしまった時点で詰みです。……家令が気に病まないといいのですが」


 こんなときまで他人の心配をしている。

 その物憂げな顔に無性に怒鳴りつけたくなる。だが、三年間彼の背中を見てきたアルにはそれがどれほど愚かなことかもわかってしまったから、ぐっと押し黙った。

 そしてふと、思い立つ。


「そうだ、この手紙を燃やしてしまえば……!」

 アルは手に持っていた燭台に書簡をかざそうとした。しかしその手をグリエルモに掴まれる。


「――もはやこの手紙は、露見しました」

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