第3話 投獄か栄耀栄華か

「話が逸れたな。どうも俺は喋りまくってしまっていかん。イニーツィオ・アダマスはこの世で最も愚かな男のうちの一人だが、要はそのアホ王子の機嫌さえ取れればこっちのものってことだ。俺は人望がないからな。ハナからそっちを狙っていた」


 なるほど、たしかに今、クラヴィスやグリエルモが金剛宮で返り咲くことは難しくとも、イニーツィオの言梯師を手中に収めれば、影から王宮を牛耳ることもそう難しい話ではなくなる。


「君は元々言梯師志望だとか」


 そこまで筒抜けだったとは。

 少々複雑な思いながらも、何故グリエルモほどの実績を兼ね備えた智者が冷遇されている禁書室室長に収まっていたのかを理解した。

 ここまで聞けば、クラヴィスとグリエルモの関係も見えてくる。


「あなたがかつて、グリエルモ様を左遷したのは……」

「そうでもしなけりゃ、奴が殺される恐れがあったからな。俺の――王の味方は少ない。死なれちゃ困る。それに、禁書室はあれでなかなか悪くない。ことと書に通じる君なら、その意味は分かるな?」


 たしかに、開架図書のみとはいえ、膨大な書物を貪っていられる禁書室は、左遷先としてはそう悪くない。グリエルモも言っていた。書はときに、千の兵に勝る武器ともなりうると。


 ――そも言梯師とは言と書を飼い馴らす者。その知力を尽くして、主君のために戦う智将です。私は王笏に相応しいのは、そのような御方と心得ます。


 グリエルモの深い森の息吹のような声が蘇る。


「そうして奴が見出したのが、君だ」

「……わ、わたし?」

「いまさらカマトトぶるな」

「だ、だって……」

「怖気づいたか、小娘? 君の望みはそれほどに軽いと?」

 傲然と言い放ったクラヴィスを軽く睨む。


「家を棄ててまで、望んだ道です。ですが……王太子殿下の言梯師になるということは、ひいては王笏になるということ。わたしは、この国にまた言梯師の職が復活して、どこかの商家なんかでお仕えできればよかったんです。王笏なんてとても……」

「――本当に?」

 みずからの手で手を握りしめて視線を彷徨わせれば、クラヴィスが鼻で嗤った。


「君は身体に嘘が染みついているな。君はそれほど謙虚な人間ではないはずだ、アル・スブ=ロサ。国や世界を変えたいと思ったことが一度もないと? 鏡をよく見てみるといい。君は欲に塗れた顔をしているよ。……俺と同類だ」


 囁きがまるで甘い誘惑のように、肌をなぞる。

 アルはカッと頬を紅潮させ、クラヴィスから目を逸らした。彼は多分、アルの心のうちを、正確に見抜いていた。


「……色々言ったが、君には俺の手足として動いてもらう。要は傀儡だ」

「こ、断ったら……?」

「まあ多少は心は痛むが、君を世紀の大罪人にでも仕立てて、代わりにクソジジイを助けることにでもするかな。まあひとつは本物の証拠もあることだし」


 そう言ってクラヴィスは、懐からアルがジュストから託された書物を取り出し、目の前でひらひら振った。


「あっ! それ……!」

「ぐーすか寝ている君が悪い。俺は悪い男だぞ。さあ、どうする。一晩くらいは考える時間をやってもいいが」

「ひ、ひどい。わたし、あなたのこと実はイイ人なんじゃないかって――」

「ハ――一国の宰相を十年も務めたやつがイイ人なわけあるか」


 クラヴィスはそう言い捨てると、アルに底意地の悪い笑みを向けた。


「投獄か、栄耀栄華か。問うまでもないと思うがな」

「だ、だいたい今まで逃げ回っていた殿下がわたしを選んでくださるとは思えません」

「そこは死んだ気になってアホ王子に尽くせ。まあ俺も鬼じゃない。一人で頑張れとは言わん。むしろ君が王笏は荷が重いというのは好都合だ。君は俺のお人形さんでいればいい」


 お人形さん。

 その言葉にムッとして紫紺の眸を見上げれば、なにが可笑しいのかクラヴィスはぷっと噴き出すとげらげら笑い始めた。


(……口じゃ、どうしたって敵わないわ。悔しいけど……)


 だが、このまま掌で転がされっぱなしというのも癪に障る。


「条件があります」

「ほう? 言ってみろ」

「グリエルモ様を救出してください。それからご家族と……ついでに、元《残月ざんげつ守人もりびと》のジュスト隊長も」

「……君、要求が多いな」


 クラヴィスは口元をひくりと引き攣らせたが、すぐに葡萄酒の瓶を杯に傾けた。だが、その顔も曇る。どうやらもう中身は空らしい。


「助けるつもりはない。というか奴のことだから、勝手に助かるだろう」

「檻に放り込まれているのにどうやって助かれって言うんですかっ!? み、見損ないました」

「あーあー、勝手に見損なえ。期待されても迷惑だ。いいか、くれぐれも言っておくが奴も根っからの善人じゃない。まあちょっと、君みたいなスレてない小娘の前じゃ無害な老人ぶっていたかもしれんが……」


 無害な老人ぶるとは、なかなかどうして強烈な表現だ。


「きっと今頃看守の弱みでも握って世にも恐ろしい脅しを素敵な笑顔でしくさって、看守を震え上がらせている真っ最中だぞ。おおこわっ」

「そんなこと――」


 ないとは言い切れないくらいには、アルもグリエルモを知っていた。


(う、うーん。たしかにグリエルモ様ってば、なんだかんだ今までもピンチになっても、いつの間にか平然と戻ってきてたりするのよね。にこにこ顔で)

 だが。


「わたし、グリエルモ様を助けるってお約束したんです。そうしたら、待っていると仰って……」

「それは君がそうでも言われなけりゃ、てこでも動かないアンポンタンだったからだろう。人外魔境の巣窟で、ピーチクパーチクお綺麗に囀っている君の助けなんぞ、腹の足しにもならん。それよりも君は、この状況を根本からどうにかする方に注力すべきだ」

「ピ、ピーチクパーチクなんて囀ってませんっ」


 むきになって言い返してから、アルはたしかにこれはピーチクパーチクと言われても仕方ないかもしれないと思いなおした。


「奴は俺の右腕と言われていたようだが」

 そう言ってクラヴィスは自らの右腕を矯めつ眇めつした。


「俺にとっては左腕そのものだった。この意味が分かるか、小娘」


 アルは、クラヴィスの左肩から垂れ下がった中身のない袖を見つめた。

 それきり、二の句を告げなくなる。


「――奴は死なん。それに、あの魔窟にはまだ、俺が信を置く男がもう一人いるからな」

「信を置く男……?」

 首をひねったアルに、クラヴィスは曖昧に微笑った。


「今に分かる。まあ斥候くらいは放っておいてやる。どうしてもマズい事態になったら、君が助けに行け。君が勝手にした約束だ」


 そう言われてしまえば、返す言葉もない。

 アルはぐっと押し黙った。

 悔しいが、多分、アルなんかよりこの男の方がグリエルモのことを深く理解していたし、おそらくこんな減らず口を叩きながらもなにより信頼してもいるのだろう。


「――分かりました。王太子殿下をなんとか見つけ出して、ふんじばって、無理やり言梯師に任命してもらいます! それでそれが叶った暁には、グリエルモ様を助けに行きますから!」


 断腸の思いでそう宣言すれば、クラヴィスはきょとん、と目を瞬いた。


「そんな面倒なことせんでもいいぞ」

「え、だって。王太子殿下ってば、年柄年中どこをほっつき歩いてるかもわからないし、運よく見つけ出しても、なんか美形とイチャついてるって……」

「今はこの城をほっつき歩いて、趣味の悪い男とイチャついてる」

「……は?」


 アルは耳を疑った。


「だから、アホ王子が――王太子がこの城にいる」


「はあああああああぁぁぁあああああああ!?」


 穏やかな昼下がり。素っ頓狂なアルの声が城砦に響きわたった。

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