第32話 『ぼく』の謀略

 強い波動を全身に受けて『ぼく』は意識というものを持った。それから、今まで感じたことのない身体の躍動感もある。ここは、札幌、円山動物園の動物医務室のベッドの下だ。『ぼく』はまだ子供で、飼育員さんが健康診断をすると言って、ここまで連れて来たんだけど、なにか、緊急事態があったらしくて、『ぼく』を床に放り投げてどこかへ行ってしまったんだ。なんだか怖くなった『ぼく』はとりあえずベッドの下に隠れたの。そうしたら、猛獣の咆哮がして、たくさんの人間の足音が聞こえた。普通、猛獣を人間たちが直接、手で持ってくるなんて考えられない。たぶん、その猛獣は死にかけて弱っているか、麻酔銃で力を弱められていたんだと思う。でも、『ぼく』はベッドの下に隠れていたから、よくわからない。

 ベッドの下には、エゾリスも何匹かいて、やっぱり怖くて震えていたよ。

「怖いね」

 って『ぼく』がテレパシーを送ったら、エゾリスたちも、

「本当に怖いよ」

 とテレパシーを返してきた。

 人間は知らないと思うけど、動物同士は種類が違っても、テレパシーで通じ合えるんだよ。人間だって、大昔はできたんだ。でも、「言語」「文字」というものを作ってしまったために、テレパシーを使えなくなったんだって。誰かが教えてくれたよ。でも、誰だったかは忘れちゃった。

 ああ、そう言っているうちに、冒頭で語った、強い波動が、『ぼく』とエゾリスたちを包んだ。ベッドの上からは、赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきた。なにかが生まれたんだ。そして同時になにかが死んだ。そう感じた。間違っていない。

 エゾリスたちはすぐにベッドの下から逃げ出したけど、『ぼく』は人間、たぶん、飼育員さんか獣医さんだと思うけど、彼らがいなくなるまでじっとしていた。なぜか、見つかってはいけないと思ったんだ。そのうちに、誰もいなくなったので、ベッドの下から這い出た。すぐに外に出たかったんだけど、扉が閉められていて、しかも鍵が掛けられている。普通なら外に出られないよね。でも『ぼく』にはね、力がついたんだ。全速力で扉にぶつかると、鉄でできた重い扉が壊れた。『ぼく』はありったけのスピードで動物園を逃げ出した。どれくらいのスピードかはストップウォッチもスピードガンもなかったからわからないけれど、人間に捕まることなく、豊平川までたどり着いた。もしかしたら人間たちのよく観るTVで、「円山動物園のウミガメが扉を破壊し、園外に逃げ出しました」というニュースをやったかもしれないけれど、『ぼく』には知るよしもない。豊平川の川べりで日本海側に行くか、太平洋側に行くか少し悩んだけれど、『ぼく』はあえて日本海側を選んだ。あんまり、仲間のウミガメに会いたくなかったんだ。『ぼく』にどんな力がついたのかよくわからないでしょ。さじ加減を間違えて、絶滅寸前の仲間を殺してしまうのがとても怖かったんだ。日本海で、自分の能力を試して、力の入れ具合を確認したかったんだ。

 海の中を『ぼく』は高速船のように進むことができた。試しに、漁船に体当たりしてみたら、木っ端微塵になったよ。北朝鮮とハングル語で書いてあった。そんな文字も読めるようになっていたんだ。これはひょっとして、たいへんなことになったんじゃないだろうか? また、試しに韓国の巡洋艦にぶつかってみた。見事に撃沈だよ。あとで聞いたら、このことで日韓関係が相当悪化したんだって。でもね『ぼく』には関係のない話さ。

 新潟あたりで、一度陸に上がってみた。周りを見渡すと、砂浜はゴミだらけ。特にプラスチックというやつがいっぱいだ。新潟の海岸でウミガメが産卵したりはしないけど、ウミガメが産卵する海岸だってプラスチックのゴミで汚染されているのは想像できるよね。そのプラスチックというのは石油というものでできているんだと、海の中で友達になったイルカが教えてくれた。イルカは頭がいい。『ぼく』には全然叶わないけどね。そこで、『ぼく』はそのイルカと約束をしたんだ。『ぼく』たちの住処を汚す人間たちを懲らしめようってね。そのためには多くの仲間が必要になる。海の生物はもちろんのこと、人間だってたくさん仲間にしなくてはならない。『ぼく』とイルカ、名前はチェキだ。まずは二頭で太平洋に移り、海底ケーブルをジャックして、インターネットで人間の仲間を募った。デバイスはなにかって? それは『ぼく』自身さ。『ぼく』の脳がコンピューターになって、世界に情報を発信するのさ。首尾は上々。多くの人々が『ぼく』の目的に同意して、戦ってくれることになった。そして、まず第一に『ぼく』の生まれ故郷、日本を正しい道に踏み出させるための作戦を実行した。石油コンビナート連続爆破だよ。多くの人が死傷したと非難して、組織をやめてしまった人もいるけど、まだ多くの賛同者がいる。だから『ぼく』はこの戦いをやめるつもりはないよ。戦って、海を『ぼく』たちのものにしたら、悪いけど協力してくれた人間たちにも死んでもらう。ちょっとかわいそうだけど、人間がいると、また地球が汚れてしまうんだ。仕方がないんだよ。ごめんね。


 ぺこりはいつもの四畳半の部屋で、竹馬涼真と大学学都を迎えて、テーブルを囲んで、TVのニュースショーを観ていた。サウジアラビアから日本に石油を運ぶタンカーが立て続けに沈没しているという。外電ではイスラム原理主義のテロリストの仕業が濃厚と伝えているが、ぺこりたちには真のテロリストがわかっていた。

「どうして、火力発電所を爆破すると言っていたのに、タンカー襲撃に方向転換したのでしょう?」

 学都がぺこりに尋ねる。

「たぶんねえ、『設計図は手に入れている』って広言していたけれど、実際には手に入れられなかったんじゃないかな。あちらの親玉はおそらく海から出ていない。実行部隊はネットなどでやつに賛同した人間だろう。質がいいのか悪いのかわからんな。それにネットで設計図を盗むにしても、相当なハッカーでもいなければ、政府のネットセキュリティを突破できないよ。それで、やることないから、お得意の海でテロを起こしたってところかな」

 したり顔で、適当なことを話す、ぺこり。

「しかし、新世代の石油ショックが心配ですね」

 学都が言う。

「まあ、一般のご家庭はね」

 ぺこりは涼しい顔だ。

「どういうことでしょう?」

 学都が問う。

「我々は百パーセント、太陽光発電でまかなってま〜す」

 ぺこりが嬉しそうに言う。

「ご冗談を。地上三階、地下十階の巨大秘密基地が太陽光だけで賄えるはずがありません」

「うふふ。学都くん、きみは宇宙を知らないのかい?」

「はあ、もちろん知っておりますが、それがなにか?」

「その宇宙にねえ、オーストラリア大陸ぐらいの太陽光パネルが展開されてるのよ。もちろん、おいらたち専用だよ」

「ウ、ウソですよね?」

「本当だよ〜ん」

「そうなんですか……でも、電力はともかく、石油製品はどうするんですか?」

「自給自足で〜す」

「なんか、ノリノリで怖いです。でも、原油はどこで?」

「日本海溝においらたちの地下基地がありま〜す。スタップ細胞はありませ〜ん」

「様子が少し変だなあ、今日のぺこりさま。あの、もう一つだけお伺いします。それらの資金はどこから拠出されているのですか? 国家予算より随分と多い気がしますが」

「うん、それだけは教えられない」

 学都はガクンとなった。

「まあ、しかしだな。『ぼく』という組織がかなり危険で、なおかつ強敵であることがわかるな? 涼真、学都」

「はい」

「うむ。きみたちをここに呼んだのは、おいらが死んだあと、この組織を率いる人材を育てる、英才教育というやつだ。本当は真実も呼びたいのだが、海軍の整備で忙しいだろうから、今日はやめといた。なぜ、きみたちかと言うと、あとのメンバーは一芸には秀でているが、個性が半端なく強すぎて、将に将たる器にはなりえないからだ。要するに、期待しているんだ、きみたちにな」

「ありがとうございます」

「しかし、北陸宮がいらっしゃるではないですか?」

 涼真が聞いた。

「北陸宮には真っ当な道で天下を取っていただくのだ。こちらはあくまで悪の権化ですよ。北陸宮にあとを継がせるなんてありえないよ」

「失礼しました」

「まあ、大前提として考えてもらいたいのは、おいらの寿命があとどのくらいかが全然わからないと言うこと。普通のエゾヒグマの平均寿命だと、おいらはとっくにあの世に行ってなくてはならないの。ところがさ、氷菓子には……消費期限がないの」

「じゃあ、不死身ですか?」

「そんなことあるわけないだろ! もう、最近は目はかすむし、耳は遠くなるし。血糖値は高いし。牙は実のところ、義歯だし……」

「牙はこけおどしですか? でも、文庫本を読んでますよね?」

「ああ、老眼はないんだな。でもねえ、気力が続かなくて、長く読めないのよ。若い頃は一日三冊読んでたんだよ。今じゃ、一週間に一冊かなあ。なのに読みたい文庫が次から次と出てくる。積ん読の山が高くなりすぎて、文庫のチョモランマやあ〜」

「で、要点は?」

 涼真が少し冷たい声で言った。

「ああ、おいらが言いたいことは、きみたち、すべての状況下においてどうやったら勝てるか、負けるにしてもどうやったら味方の損失を少なくできるか。おいらに聞かず、自分で判断しろってこと。いいか。きみたちの考え一つで多くの仲間が命を失うということもあるんだ。死んだ人間は生き返らない。もう責任を取れないんだ。そう言うことを考えて仕事をして欲しい。同じことは、あとで真実にも伝える。きみたち三人がそれぞれ独り立ちしてくれないと、おいらはあの世へいけないんだ。肝に命じてくれ。以上」

「ははあ」

 二人は最敬礼したのち、退出した。

「うふふ、たまにはかっこいいところを見せるのね」

 舞子がそっと入って来た。

「あら、見てたのね〜」

「そういう、ぺこりさんの方が、あたしは好きだな」

「なんかさあ、人それぞれなんだよ。ギャグが少ないっていう人もいれば、ギャグのせいでストーリーに集中できないって人もいるんだ。まあ、今回でいうと、読者さまが少ないからさあ、どうでもいいというか、よくわかんないや」

「まあ、お好きにどうぞ。でね、いい話があるんですよ」

「なんだい?」

「遥さん、ご懐妊みたい」

「ええ? ちょっと早くないか」

「さあ、あたし色事は興味ないから」

「ああそう」

 ぺこりはなんだか浮かない顔をした。

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