第24話 大学係長の失踪
いつになったら、医師はくるのだろう……
ベッドに横たわりながら警視庁捜査一課の大学学都係長は考えていた。一人きりになり、緊張感がとけてなんとなく眠たくなってくる。
「いかん、いかん」
大学はラムネを取り出して噛んだ。ただのラムネなので別にスッキリ効果はないのだが、脳に糖分が行き渡る感じがして、子供の頃から、定期テストの前などには口に入れていた。大学は先ほど、貴賓室で一時間もすれば痛みが治まると自分で言ったことを覚えていた。もう、二十分は経っている。もうこれ以上、医師を待つのは時間の無駄だと考えた大学は、ベッドから飛び起きて、医務室を出ることにした。
「ええと、電気は消すべきかどうか?」
大学は少し迷った。そして、居場所がわからなくなった時の目印になると考え、電気をつけたまま医務室を出た。さすがに日も暮れたようで、校内は真っ暗だ。放課後というフレーズを久しぶりに思い出して、大学はなんとなく甘酸っぱい気持ちになった。広い校内は全て、同じような教室が続いていた。貴賓室や職員室などに当たらないように気をつけて進んだ。だが、あまりに暗いので、細部がわからない。仕方がないので、極小のライトをつけた。以前、ナップザックを買ったときの付属品で、重宝している。
「うーん、変わったことは何もないなあ。ただの学校だ。しかし、教室の数がやたらと多い。もしかして、教室は一階にしかないのかもしれない」
しばらく歩くと前方にエレベーターが見えた。防犯カメラをチェックされていると困るので、できれば階段を使いたいが、階段らしきものは全く視界に入ってこない。
「もう、いいや。エレベーターを使っちゃおう。たぶん……向こうは何もかもお見通しのように思える。課長の演技なんか下手すぎるよ。あとは、どうやって逃げ出すかを考えよう。天下の警視庁捜査一課が全滅したら、物笑いのタネだよなあ」
大学はエレベーターに乗り込んだ。階数は三階までで屋上があるようだ。地下の表示はない。怪しいものだが、少なくとも、このエレベーターでは行けないのだろう。
大学は、二階、三階をくまなく見た。音楽室をはじめとした特別教室、その他雑用に用いる場所しかない。本当にただの学校だ。
「あとは屋上か」
大学はなんの期待も抱かず、エレベーターのRボタンを押した。
エレベーターの扉が開くとすぐ、和風の襖があった。なんだろう? 茶室か? いや、茶室の入り口は、にじり口だ。ということは水沢舞子の居室であろうか。ここを覗き込むのには相当な勇気がいる。諦めるか? と大学が思っていると、
「大学くん、遠慮なくお入りなさい」
ドス太い、咆哮のような声がして、大学はかなり動揺した。しかし、声の主は自分の名前を知っていて、しかも入室しろと言っている。
「よし!」
大学は勇気を出して襖を開けた。
なんと、目の前には巨大なグレーのエゾヒグマが立っていた。かなり戸惑った。こいつは確か、貴賓室の庭にいたやつだ。
「おお、心丈夫な人みたいだね、きみは。祐天寺くんはおいらを見て、気絶したよ。ははは」
クマが喋った!
大学の鼓動は激しくなった。ちょっと卒倒しそうだ。しかし、踏みとどまって言った。
「わたくしも、相当動揺いています。えーっと、何から聞いたら良いかわからないのですが?」
「だろうね。まあ、おいらのことは『しゃべる馬、エド』ぐらいに考えてよ」
「すみません、意味がわかりません」
「ならば、検索、検索。すぐ調べるくせをつけなきゃ、いい社会人になれないよ」
大学はクマに言われるまま、スマホで『しゃべる馬、エド』を検索した。
「わかりました。でも、謎がいっぱいです! 説明してください。祐天寺係長は本当に亡くなったのですか?」
「ふふふ。そう、せかしなさんな。今回の潜入作戦、考えたのきみでしょ?」
「まあ、そうです」
「短期間で、よく考えたよ。でも、ディテールが荒すぎたね。もう少し、時間をかけて作戦を練ればよかったのにな。拙速にすぎたようだよ」
「はあ……」
「はっきり言おう。おいらはきみの頭脳にとても興味を持ったんだ。きみはノンキャリだろ? それにしては、なかなかの才覚だよ。しばらく、ここに留まって、おいらとよもやま話をしないかい?」
「何を言ってるんだ! あなたは犯罪者だろ! わたくしはあなたを逮捕しなくてはならない」
「うははは。クマを逮捕するのか? それを言うなら捕獲だろうよ。きみがそういう態度なら、仕方がない。みんな出てきてくれ!」
襖が開き、十人くらいの戦闘員がマシンガンを大学に向けた。そして、ぺこりは大学をきつく抱きしめて、
「おやすみ、良い夢を」
と囁いて睡眠剤の注射を打った。
貴賓室の扉が開いて、メイドが入ってくる。そして、舞子に何か囁いた。
「みなさん、大変です!」
刑事たちが一斉に舞子の方を向く。
「砂丘さんの病状が悪化して、横浜みなとみらい病院に救急車で送られました」
舞子は心配そうに話した。
(女狐、やりやがったな! 大学が病気な訳ないじゃないか。でも待てよ。これで、救急隊員や病院から話を聞いて、大学が実際には病院に搬送されていないとわかれば、女狐の尻尾を引っ張れるぜ)
新丸子は思った。
「では、我々は至急、横浜みなとみらい病院に向かいます」
「そうね、それがいいわ」
舞子の表情に心配以外のなんの感情も見えない。
(あれ? おかしいな。ちょっとは焦んないのかな?)
新丸子はちょっと不審に思ったが、とりあえず、学校を辞した。
タクシーで横浜みなとみらい病院に駆けつけた、新丸子ら捜査一課の面々は受付で警察手帳を提示し、
「ここに、大学、もしくは砂丘という男が搬送されたか知りたい」
と受付に聞いた。
「ああ、はい。大学学都様という方なら救急搬送されて、現在、緊急手術中です」
「えっ、本当に手術してるの?」
新丸子はびっくりした。
「病名は?」
「はい。胃潰瘍です」
「どういうことだ? 誰か、大学が胃潰瘍持ちって聞いていたか?」
誰もが知らないと言う。
「あの、大学様は皆様のお知り合いですか?」
受付の人が逆に聞いてくる。
「私たちは同僚です」
「そうですか。あの、今回は緊急でしたので、ご家族に手術の同意書をいただけませんでした。できれば、ご家族に来ていただき、後付けで申し訳ないのですが、同意書に署名、捺印をいただきたいのですが?」
「わかりました。あいつは独身なので、ご両親に連絡をします。綱島、頼む」
「はい」
「ところで、本人には面会できませんか?」
「お待ちください……手術はとうに終わったそうです。ただ、感染症の心配がありますので、遠くからならと言うことです」
「わかりました。ありがとうございます」
新丸子らは受付の人に病室に連れて行ってもらった。遠くから見えるベッドにはまごうことなく大学係長が点滴を打たれて眠っている。
「全て、真実ということか……」
新丸子は愕然としている。そこへ綱島が来て、
「大学係長のご両親に電話が繋がりました。今からいらっしゃるそうです」
と報告した。
「わかった。俺が残るからみんな一旦、帰ってくれ」
「はい」
一同は立ち去った。
「しかし、なんなんだろう。巨大な爆破事件に警察幹部と警部の殺害。謎の学校。そして大学の急病。何が起きているんだ? もしかして、なんでもないようなことを大きくしちゃっているのは我々なのか?」
新丸子は病室前のベンチで頭を抱えた。
いつもの四畳半で、ぺこりと舞子が話している。
「警視庁から大学さんのご両親宛にお電話、ありました」
「そうか。じゃあ、それっぽい男女の使用人を両親役で送りなさい」
「はい」
「ああ、それからさあ、いくらハリウッドの特殊メイクの天才の作品といえど、間近で見たらバレちゃうから、門木鳶山には二、三日で逃げ出すように連絡してね」
「はい。わかりました」
「これで当分、捜査一課も大人しくなるだろう。やっと、本来の大作戦の討議に移れるよ」
「でも、大阪はW選挙やるみたいね」
「不味井一郎の野郎、わけわかんない妄執にはまりやがって。なんで日本に都がふたついるんだ? だったら単に大阪府の中で大阪市の改革をすればいいだけじゃないか!」
「辰巳さんはお断りになったのね」
「俳優がさあ、人気があるだけで出馬するのはさあ、問題だね。それにいろいろと解決できない要因があったんじゃないの? まあ、おいらは出なくて正解だと思うよ」
「じゃあ、誰がいいの?」
「すごい爆弾を放ってもいい?」
「もちろん。面白いのをお願いね」
「百田尚樹。おいらこの男、大嫌いなんだけど、毒を以て毒を制するだよ。いい考えじゃない?」
「あたしは桂文枝師匠がいいわ」
「いらっしゃーいか? 彼もいろいろしがらみがあるでしょ」
「村上信五。関西よ」
「ジャニーズは禁じ手だよ。それだったら、キムタクとか中居くん出せば、一発当選だよ」
「オマリー」
「なぜに……彼に選挙権ないでしょ」
「バース、掛布、岡田」
「三者連続バックスクリーンホームランか。打たれたのは槇原だね。クロマティーが滑稽だったよ。そうねえ、岡田はバカのイメージついちゃってるから、掛布さんならいけるかもね」
※これは、全くもってフィクションです。自民党は元副知事さんを擁立しました。つまんねえの。
「ねえ、ぺこりさん。聞きたいことがあるの?」
舞子が尋ねた。
「なんだ?」
ぺこりが問う。
「なんで、警視庁の人はみんな、おバカさんなの?」
「うぷぷ。あのねえ、彼らはバカではないんだよ。あの課長、新子安だっけ?」
「新丸子さんよ。お名前を間違えてはいけません」
「すまんな。あいつだって東大出身なんだろ? 立派なキャリアだ」
「はい、そう仰ってました」
「警視庁にしたって、他の官庁にしたって、東大をはじめとするエリートが難しい国家試験を合格しているんだ」
「すごいわね」
「ただ、彼らには余計なものと足りないものがある」
「それはなあに?」
「簡単なことだよ。余計なものはエリート意識と自己顕示欲。それと過剰な競争心。足りないのは実学。つまり、実際に役に立つ学問さ」
「彼らは役に立たない学問を受けて来たの?」
「そう。エリート試験に合格するための受験テクニックばっかり学んでいたのさ。東大を出て、官僚にならなかった人々は、案外と実学を学んでいて、起業したり、いろいろと活躍している。おいらに言わせれば官僚になるやつは冒険心のない、ヘタレだね」
「ふうん。でも、ぺこりさんって、経営経済のほかに文学や、歴史学を習っていたんでしょ。あんまり実学とは思えないけど」
「それは違うよ。文学は言葉だよ。おいらとヒトを繋ぐツールだ。語彙が多いほど、相手を納得させることができる。小説の一節で相手を落とすこともできる。歴史はまさに繰り返されるものだ。過去の人物の成功や失敗を研究すれば、おいらの進む道も見えてくるってもんさ」
「へえ」
「ねえ、本当にわかってる?」
「正直、半分くらいかな」
「ああそう。それだけわかれば十分だ」
二日後、横浜みなとみらい病院に警視庁捜査一課の日吉慶子巡査部長が、大学係長のお見舞いに行くと、病院内が騒然としている。
「どうしたんですか?」
慶子が男性の看護士さんに聞くと、
「患者さんが一人、消えてしまいました」
と言う。
嫌な予感がした慶子が、
「まさか、大学学都さんじゃないですよね」
と探りを入れた。すると、男性看護士は顔を真っ赤にして、こう言った。
「なんで、わかったのですか!」
慶子は何も言えなかった。
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