第25話 祐天寺真一の帰還
四月も十日を過ぎた。ぺこりは相変わらずいつもの四畳半の部屋でお布団にくるまっていた。しかし、惰眠を貪っていたわけではないようで、なぜか、新聞紙を敷いて、大量のピーナツの殻を剥いていた。そして、
「こんなもんかな。あいつらの接待は面倒だな」
とぼやくと、突如、大声を出した。
「おーい! 天井裏のエゾリスちゃんたち、おいで!」
すると、天井の隅にちょこっと空いていた穴から、かわいいリスたちが数え切れないほど降りて来た。実はこのエゾリスたちは昔から、ぺこりを慕って北海道から一緒に付いてきた、かわいい家来たちなのである。リスと言うと繁殖が激しくて、たいへんな生き物だが、ぺこりのリスたちは賢いので、バースコントロールをしている。だから適正数しかいないのだ。
「おお、来たな、小ちゃいやつら。相変わらず、かわいいな。まずは、おいらが剥いてやったピーナツを存分に食べろよ」
「わーい」
リスが喋った! なぜか? それは、ぺこりが誕生した時に不動明王の成した秘術をベッドの下にたまたま隠れていたリスたちの初代が一緒に浴びてしまったからである。
「たくさん食べな。その代わり、きみたちに久しぶりに働いてもらうよ」
「はい。ぼくたちこそ、本当のぺこりさんの一の家来です。かっぱくんは二の家来なのに、嘘をついています。プンプンです」
「ふふふ、本当にきみたちはかわいいな。あのかっぱとは大違いだ。あいつがなんと言おうと、一の家来はきみたちさ。でも、悪いなあ、きみたちの存在は舞子にも言っていないんだ。いうならば、おいらの秘密兵器だよ。我慢してね」
「はーい。それで、お仕事って、なに?」
「うん、今から伝える方たちが眠って、夢見になった時に、耳元でこうつぶやいてほしんだ」
「なんて言うの?」
「北陸宮を世にお出しください。あまりに哀れですってね」
「わかったよ。で、どんな方たちに言うの?」
「うん、それはこの帳面に書いたよ。おいら、こんな手だから、ペンが持ちづらいだろ。読みにくいぞ。勘弁な」
「いいえ……ありゃりゃ、皇室の面々が多数、含まれてますね。あとは宮内庁の御重役かあ」
「そう。きみらはさあ、別に皇室に脅威を感じないでしょ? リスだものね。それに皇居など、警備が厳重なところも楽々入れる。これを人間の部下たちがやるとなるとたいへんだ。まあさ、甲賀流と風摩流の忍者の流れを汲んだ秘密部隊もいるけどね。皇室が相手だといろいろと難しいのさ。と言うわけで頑張ってくれたまえ」
「はーい」
リスたちはぺこりが開け放した窓から、一斉に飛び出して行った。
「これで、作戦の一つは完了っと。でもまだまた。関根のジイさんが上手く秘密の会談を遂行できればいいけどね。ふふふ」
ぺこりが含み笑いをしていると、舞子が入って来た。
「あら、なにを笑ってるの?」
「さあね」
「ところで、将軍たちがぺこりさんがこの時期になっても動かないことに焦れているようですよ」
「あそ。若いやつらは焦れさせておけばいいさ。彼らに今からガタガタと動かれたら、微妙で繊細な作戦があっさり壊れちゃう。だって、関根のジイさんはその中にいないでしょ?」
「ええ、そういえばいなかったわ」
「でしょ。ところで、あっちの作戦もそろそろだな」
「ああ、そうですね」
ぺこりは桜が終わってしまって、次は新緑が萌える季節を迎えようとしている、庭を見つめた。
さて、ここは警視庁仮庁舎前。一連のテロもなりをすっかり潜め、鉄道も完全復旧し、道路も通常になり、何となく春の日差しを受けて、立ち番の警察官二人は眠そうである。ところが、気がつくとぼんやりと門の前に突っ立っている一人の男がいた。
「あなた、どうしました?」
若い警官が尋ねる。最近は高圧的に質問すると都民からのクレームが来るし、SNSで動画を流されるので、慎重になってしまう。男は何も答えない。そこへ、さっきまであくびをしていたもう一人のベテラン警官が慌ててやってきて、
「あなた、祐天寺警部じゃないですか!」
と叫んだ。慌てる、若手警官。何も答えない祐天寺。
警視庁は大騒ぎになった。
「祐天寺警部が生きていただと!」
「じゃあ、あの残酷動画は何だったんだあ」
情報を受けて、新丸子課長を中心に捜査一課のメンバーが階段を駆け下りてくる。
「祐天寺!」
「祐天寺さん」
「祐天寺係長」
それぞれに声をかけるが、祐天寺は反応しない。
「こ、これは……あいつらに廃人にされちまったんじゃないか?」
新丸子が悲痛な叫びをあげる。その脳裏に舞子がうつる。あの、女狐め。
「とにかく病院に連れて行きましょう」
「ああそうだ。世界最高の病院にな」
新丸子は無理なことを言う。
祐天寺はパトカーで東京中野の東京警察病院に入った。ここが世界最高の病院かどうかは知らないが順当な選択であろう。新丸子と日吉慶子が付き添った。
二時間後。
検査の結果、肉体になんの問題もなかった。栄養状態もいい。ひどい扱いを受けたわけではないようだ。では、なぜ記憶を失っているのか?
「たぶん、薬物だろうな」
新丸子は推測した。しかし、血液検査やMRI検査などの結果、
「新丸子課長。検査の結果ですねえ、血液から薬物などは出ませんでした。仮に我々の知り得ない薬物を摂取したと言う可能性はゼロではないですが、まあ、ないでしょう。MRIの検査でも、脳に損傷などはありません。祐天寺係長は健康体です。なので、一過性全健忘、つまりは原因不明の記憶喪失となります」
「はあ? 正直よくわかりません」
「そうでしょう。私も記憶喪失の患者は初めてです。ですので、実はよくわからない」
「なにかしら、ヒントになるようなことはないのですか?」
慶子が尋ねる。
「うーん」
医師はしばらく考えた。そしておもむろに語り始めた。
「これは医学の道からは外れます。ただ、私が若い頃、ちょっとかじったことなんですがね」
「ええ」
「呪術。簡単にいうと念力、呪い。そういう類です」
「先生、バカ言っちゃいけませんよ」
「あなたは分かっていないな。アフリカのシャーマンたちの恐ろしさを。私はねえ、実際に見たんですよ。呪いをかけられた人間が、突然に目の前で亡くなったのをね」
「…………」
「残念ながら、シャーマンたちは我々の化学的検証を拒否した。ただ目の前で見ただけなので、もしかしたら、単なるマジックなのかもしれない。でもね、私は心の片隅で信じてしまっているのですよ。学会などでは口が裂けても言えませんがね」
「ど、どうすればいいのですか?」
慶子が尋ねた。
「日本で言うところの霊媒師を探さなくてはなりません。ただ、霊媒師のほぼ全てはインチキです。数少ない、本物の霊媒師を探さなければ」
「先生はご存知なんですか?」
「かつては知っていたが、今の所在はわからない」
「それはこちらで探します。本名ではないでしょうが、名前を教えてください」
「名前か……言っておくが非常に危険な人間だ。霊媒だけではなく、催眠術、超能力と言っていいのかな。とにかく、不思議な力をたくさん持っている。マジックもトリックもお手の物だ。どうにも、人々は幻惑されてしまう。ただ、安心して欲しいのは人を傷つけることはない。精神的にはちょっとわからないけどね」
「で、誰なんです!」
新丸子が不機嫌に言う。
「水沢舞子という娘だ。あの頃は可愛らしい少女だったが、今は美しい女性になっているだろうな」
「ええっ!」
二人は驚愕した。
とりあえず、祐天寺は入院させることになった。帰りのパトカーの中で、新丸子と慶子は言い争いをした。
「俺は絶対にあの女に治してもらおうなんて思わない。逆にもっとひどいことになるぞ」
新丸子が怒鳴る。
「落ち着いてください。舞子さんは絶対に悪い人ではありません」
「あいつはテロリストの首領だろ?」
「違いますよ。彼女は、なんて言ったらいいのかなあ。首領の愛人? そういう感じでもないなあ……よくわからないですが、舞子さんの後ろには何か巨大なものがあって、彼女はその一部に過ぎないと思います。言ってみれば、ただの従業員ですよ」
「バカかよ。人の心を自由にできる従業員なんて聞いたことがない!」
「だから、たとえ話です。巨大な悪はまだ、姿を見せていないんです。舞子さんなんて、恐らくは単なる小物です。安心して利用しましょう。祐天寺係長の復活のためです」
「うーん。ちょっと考えさせてくれ。場合によっては上と相談してみる」
新丸子は折れた。
その足で、新丸子は副総監、甲斐耀蔵の元を訪れた。正直、総監の遠山より、あてになりそうだからである。
「副総監、新丸子です」
「ああ、入りたまえ」
「失礼します」
「いや。すまんが、この後、来客があるので簡潔に頼む」
「そうですか、すいません。お忙しいのに。祐天寺係長のことなんですが……」
「そのことか。ならば、きみたちの自由にせよ」
「はあ、それでいいのですか?」
「よろしい。すまないが、もう約束の時間なんだ。今度、ゆっくり話をしよう」
「はい、では失礼します」
なんだよ、おざなりなと新丸子は憤った。どんなやつが来るか見てやれ。新丸子は観賞用の木に隠れて、エレベーターを注目する。すると、グレーのスーツに身をまとい、ライトブルーのネクタイをした恰幅のいい老人が出てきた。片目は黒いアイパッチで隠し、頰には深い傷が一本。杖をついている。足がかなり悪いようだ。はっきり言えば異相だ。新丸子はそちらに注意が向きすぎて、着ている衣装については「どこかで見たことあるな」くらいにしか考えていなかった。不覚な男である。
捜査一課に戻って、慶子にそのことを告げると、
「じゃあ、我々の好きにしていいってことですね。では早速、水沢さんに連絡してみます」
と新丸子の意向も聞かずに電話をかけてしまった。
「こんにちは、水沢さん。警視庁捜査一課の日吉です。先日はお世話になりました」
「いいえ、あたしも楽しかったわ」
「水沢さん、実はですね……」
慶子がこれまでの顛末を語り、協力を要請する。しかし!
「日吉さん。それはたぶん、同姓同名の人違い。あたしにはそんな能力はありません」
と舞子には珍しく、スパッと断られた。
「しかし……」
慶子が口ごもると、
「しかしもかかしもないわ。それに、祐天寺さんでしたっけ? たぶん、自然に記憶を取り戻すわ。これは霊媒ではなく、経験上の問題。ゴメンなさい、春で学校の仕事が忙しいの。今日はこれでね」
電話は切られてしまった。
「すげなく断られました」
日吉が新丸子に報告する。
「クソ、女狐め。捜査一課はやっぱり、あいつらを徹底マークするぞ!」
新丸子は右の拳で机を強く叩いた。そしたら痛みが引かず、あとで病院に行ったら小指の付け根が折れていた。大丈夫かなあ。
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