第23話 妖艶なる舞子の秘密
扉を開けて外に出てきた舞子を見て、捜査一課の者たちは、ぽかんと口を開けた。
舞子は洗いざらしのシャツにジーパン姿。足にはベージュのスニーカーという、とても公的な客を迎える格好ではない。でも、それがものすごく似合っていて、あまりに美しい。男どもどころか、小杉までが、頬を染めている。全員が舞子の虜になってしまった。
「ごめんなさいね。皆さんが来るのが思ったより遅かったんで、明日の準備をしていたの。ああ、あたしが責任者の水沢舞子です。お名刺、必要かしら?」
「ええとう、是非ともいただきましょう。わたくし、お電話差し上げたあ、鳥取県教育委員会主事の砂丘でございますう」
「えへん。そして、私が鳥取県教育委員長の洋梨でございます」
新丸子がバカな変名を使う。あとで部下たちに「用なし」と言われること請け合いだ。
「まあ、お名刺ありがとうございます。何だか駅前のスピード印刷で作ったみたいね。鳥取県は紙類を節約をされてるのかしら。ふふふ」
「いやあ、わかってしまいましたかあ。我々え、ちょうどお、名刺を切らしましてえ、慌ててえ、駅前でえ、作りましたですう」
大学が取り繕う。
「そうなんだ。でも、駅前にそんなお店あったかしら? さあ、立ち話も何ですから、皆さん、貴賓室で、この学校の概要をご説明いたしますわ」
舞子が一行を促す。並んでいた職員たちは整然と一行の後に続いた。一糸乱れぬその動きに、新丸子は、
「ここは北朝鮮か? このあと、講堂でマスゲームとか見せられないだろうな?」
と独り言をしたのだが、耳ざとい、舞子がそれを聞きつけて、
「それよりも、核ミサイルや、反乱分子の銃殺刑の方がご覧になりたいんじゃありませんの? ほほほ」
とどぎついジョークを仕掛けてきた。
「ご、ご冗談を。ところで、あなたはご自分を責任者と言われましたが、校長ではないのですか?」
「ええ、私はただの責任者。役職なんてないの」
「それはおかしいでしょう。校長はどうしているのです?」
「長期休養中なの」
「ご病気か何かで?」
「そうねえ。病気といえば病気だわ。人前に出ることができないの」
「はあ? 対人恐怖症とかですか。そのような方が校長の職務を勤められますか? おかしいですね」
新丸子は舞子の言葉尻をついて、秘密を喋らせようとしている。しかし、舞子は別に嘘なんてついていないのだ。本当のことを婉曲的に話しているだけだ。
「対人恐怖症などの精神疾患ではないわよ。逆にいえば対人が恐怖に陥るかもね。ふふふ」
「よくわかりませんな」
「ねえ、洋梨さん。あなた方が知りたいのは、この学校の教育内容でしょう? 校長なんて置物みたいなもの。サケをくわえたクマだと思えばいいわ。はい、ここが貴賓室よ。お入りくださいませ」
新丸子はちょっと興奮して、自分たちが鳥取県の教育委員会に扮していることを忘れかけていた。責任者としては少々軽率な言動であった。
扉を開くと一面のガラス戸がピカピカに磨かれていた。その明るさに一同驚く。日が長くなったものだと新丸子が感じていると、
「きゃー!」
小杉が突然悲鳴をあげた。なんだなんだと皆が小杉の指差す方を見ると、
「ク、クマだあ!」
窓の外に見たこともないほど巨大なクマが立ち上がって、こちらを睨みつけている。
「ど、どういうことですか? なんでクマが庭にいるのです!」
新丸子が舞子に詰め寄る。
「まあ、怖いお顔。クマの方がよっぽどマシだわ。あのクマは動物園さんから貸し出していただいているの。もちろん、神奈川県警さんの生活安全課には届けがしてあるし、当然許可もいただいてるわ。窓は強化ガラスだし、外壁も十メートルあるから逃亡の恐れなし。何か問題あるかしら? 洋梨教育委員長さん」
「い、いいえ。この、ウチの小娘が叫んだもので、慌ててしまいました。ああ、よく見たら、コイツはエゾヒグマですね。でも、銀髪というかグレーというのは珍しい」
「あら、小娘なんてかわいらしいお嬢さんに言ってはダメよ。それにしても洋梨さん、クマにお詳しいのね」
「私、フジテレビでやっていた『ムツゴロウの動物王国』が大好きで、よく観ていたんです」
「あれ? 鳥取はフジテレビさんなのかしらねえ。山陰中央テレビさんじゃないのかなあ。まあいいわ。動物がお好きなら、動物園の方にも行ったら……あら残念。もう閉園時間だわ。明日にはお発ちでしょ。本当に残念ね」
「あのですねえ、私は大学まで、東京だったんですよ。東京大学です。こう見えても賢いんですよ。バカっぽく見えるでしょうがね。ははは。それに、鳥取にも動物園はございますから」
新丸子の額に汗が流れている。また、やてしまった。適当に喋っていた新丸子はかなり、焦った。舞子は時々、トラップを仕掛けてくる。とりあえず取り繕ったが、もしかしたら、バレているかな? 不安が心を占める。
「本当に?」
「えっ?」
「鳥取にも本当に動物園はあるの?」
新丸子の思考が停止した。知らないよー、そんなこと。なんで、鳥取なんだよー。大学係長のバカ野郎。新丸子の停止した思考は再起動すると大学への恨みに変わった。
「ええっとお、打吹公園小動物園というものがあ、ありますですう」
そっと隠れて検索した、大学が助け舟を出す。
「あらそうなの。小動物園なのね。そちらにお時間があればズーラシアをご案内できましたのにねえ」
「ああ、動物園の話もいいですが、そろそろ本題に入りましょうか」
「そうね。ねえ、お茶をお出しして」
ゾロゾロと一流のギャルソンのような男たちが現れ、一人一人に紅茶を注ぐ。アールグレイの良い香りがする。
「今日は大人数さんなので、紅茶で我慢してくださいね。少人数なら、あたしがお抹茶をお立てしたのだけど。慶子さんみたいにね……あら、間違えちゃったわ。あの方は警察の人だった。私ってドジね。教育委員会と警視庁を混同するなんて。恥ずかしいわ」
一同が紅茶にむせた。
「では、お話ししましょう」
舞子が話し出す。一応、本当にここは学校なのだが、その話をしたところで、読者様には関心がないと思われる。捜査一課の面々も真面目に聞いているふりをしているだけで、いかにこの建物の秘密を探り出そうかと必死に考えていた。なので、省略。
「……そういうわけでね、ここは恵まれない家庭環境にあるために、本来、自分が持っている能力に気がついていない子を育てるための特別な学校なんです」
舞子の話が終盤になったところで、大学が真っ赤な顔をして手をあげた。
「砂丘さん、どうされたの?」
「た、たいへんに申し訳ないのですがあ、急に差し込みがあ……が、我慢ができないのですう」
「あら、救急車を呼びましょうね」
「い、いえ、これは持病なんですう。いつも持ち歩いているう薬もあるんですう。ベッドをお借りできればあ、一時間ほどでえ、治りますです」
「そう。誰か、担架を持って来てちょうだい」
「す、すみませんです」
「病気じゃ仕方ないわよ。たぶん、胃潰瘍か十二指腸潰瘍じゃないのかしら? 鳥取に戻ったら病院にお行きなさいね」
「は、はい」
大学は連れて行かれた。もちろん仮病である。
(クソ、やるな大学係長。あいつ、ノンキャリだけど俺より出世するんじゃないだろうな?)
一方、大学係長は苦しみの表情を浮かべながら、内心、ニヤついていた。あとは連れて行かれた部屋からどうやって逃げ出すかだ。当然見張りがつくだろう。「お手洗いに行きたい」と言えばいいかなと考えていた。
大学は医務室に連れ込まれた。
「先生、急患です」
男性の一人が言うが返事がない。
「きっと、またサボってるんだよ。ここは患者があんまりいないでしょう?」
もう一人の男性が言う。
「砂丘さん。じき、先生がきますから、横になってお待ちください。お薬があるんですね。お水をお持ちします」
男性がかいがいしく世話をしてくれる。ここは、規律が本当に取れている。軍隊のようだが、それとは違って、優しさがある。それに比べて警視庁と来たら……
「どうぞ」
男性が水を持ってきてくれた。
「ありがとうございますです」
そう言って大学は胸ポケットからそっと取り出したラムネを二錠飲み込んだ。
「では、我々は失礼します」
えっ! 見張りないの。ビッグチャンスに大学は興奮した。
「あのう、鳥取にい、帰ったらあ、お礼がしたいのでえ、お名前を教えて欲しいのですう」
「はい。私は文学担当の斎藤真実です」
「私は、歴史学担当の竹馬涼真と言います」
そう言うと二人は医務室を出て行った。
二人の男性、真実と涼真は医務室を離れると小声で話し出した。
「真実さん。あの人医者が来ると思ってますかね?」
「どうだろう? しばらく様子は見るだろうな」
「医者なんていないのに」
「ふふふ」
「警察には演技指導って訓練はないんでしょうか?」
「さあなあ、でもあったらさ、みんな落第だろ。なんなら、祐天寺さんに聞いてみればいい」
「ですよね。行き当たりばったりなんですからね」
「まあ、作戦を考えたやつはバカではないと思うな。ただ、準備と知識が足りないよ」
「所詮、東京の警察官が、知りもしない鳥取の教育委員を演じるのは無理だと言うことですね」
「そう。さて、あいつ、どう動くかな?」
「我々の防犯カメラは超小型ですから、きっと気がつかずに、我々を侮るんでしょうね」
「我々が一階二階を手薄にしていることも気がつかないだろう」
「で、三階に行くと……」
「その役、かっぱくんがものすごくやりたがっていましたよ」
「ぺこりさまは、強力ドライヤーで、かっぱくんのお皿を急速乾燥しようとしてましたね」
「あのお二方を見ていると、ほっこりしますね」
「一見、ゆるキャラショーだもんな」
「しかし、お一方は悪の権化にして我々の棟梁であられる」
「もうお一方は……実際のところ、どういった存在なんでしょう?」
「まあ、一応、一の家来ってことになっている。それに河童の国の皇太子さまだよ。泳げなくて、修行の旅に出されちゃったらしいけど」
「たぶん、一生、河童の国には帰れませんよね?」
「ウププププ。笑わせるな。水が臭くなるからって、スイミングスクールの入会を断られたって知ってるか?」
「そうなんですか? なんか、夜中に大岡川で泳ぎの練習をしているとか聞きましたが」
「昔は鶴見川だったんだよ。でも、あの川は流れが早いだろ? それで、溺れていたのをぺこりさまがお救いになったんだ」
「『かっぱくんの川流れ伝説』ってやつですね」
「いかん、いかん。無駄話がすぎた。持ち場へ帰ろう」
「はい」
かっぱくんの話はどうでもいいが、大学係長に危険が待っていることは確かなようだ。
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