第30話 よろしくま・ぺこりの懊悩
ぺこりの四畳半の部屋に珍しく、かっぱくんがやってきた。
「かっぱくん、畳を濡らしたら、拳骨でお皿を割るよ」
「ちゃんと、たたきでバスマットを使いましたよ」
「ほう、珍しく気が利くな」
「ねえねえ、ぺこりさん。ゲンコツってとんこつラーメンのスープに使うものでしょう。カッパーキングで博多まで行って、とんこつラーメンを食べましょうよ」
「一人で行ってきな。ただし、エネルギー問題が解決していないから、帰りに墜落するよ。だいたい、おいらが外食できるはずないだろ。かっぱくん、このテーブルの角のところに、思いっきりお皿を打ち付けなさい。命令です」
「待ってくださいよ。いろいろとお得な情報を持ってきたんですから」
「どうせ、かっぱくんの情報じゃあ、大したことないだろ。おいら忙しいから、じゃあね」
「ちょっと待ってくださいってば。忙しいと言っても、文庫本を読んで、昼寝して、パソコンでなんかよくわからない文章を書いて、あとは、いやらしい動画を観るだけでしょ!」
「いやらしい動画なんて観てません!」
クマなのにぺこりが真っ赤になった。
「ぺこりさんが観ている、いやらしい動画は牝グマですか? 人間の女性ですか?」
「にんげ……コラ! だから観てないって! かっぱよ、この部屋に血の雨を降らせたいか? きみのお皿が真紅に染まるぞ」
「まあ、冗談はここまでにしましょう、ぺこりさん。まずは、大学学都くんの組織教育が完了しました」
「ずいぶん時間がかかったな。暴れたり、反抗したりしたの?」
「いえ、たいへん言いにくい事なんですが……」
「なになに?」
「作者が彼の存在を忘れていたようです。ある意味では、とても恐ろしいことです」
「主人公であるはずのおいらのことすら忘れるからな。この作者はさあ。まあいい。あとで大学くんには、ここに来るように言っておいて」
「はい。あと、これはぼくの憶測なんですけど」
「かっぱくんの憶測じゃあ当てにならんね」
「そう言わずに、聞いてください。北陸宮のことなんですけれど……」
「なんだ、嫉妬か? かっぱくんより唯一おバカさんだった北陸宮があっという間に賢くなったんだからな。気持ちは痛いほどよくわかるよ」
「違いますよ。ぼくが言いたいのは、北陸宮は白痴の状態でここにいらっしゃいましたけど、本当は皇居にいる間に相当な教育を受けていたのではないかという疑義を呈しているんです」
「難しい言葉を無理に使うな。しかし、北陸宮の成長は確かに尋常ではないなあ。うーん、疑ってしまうと、あのお人柄までが信じられなくなってしまう。かっぱくん、この話は絶対に内密にな」
「はーい」
「もう話はないの?」
「いえ、実は最もショッキングな話題をゲットしちゃったんです」
「おい、そういう大事なことから話せよ。順番が違うんだよ。全くさあ、社会人経験がないとこういうところが困るんだよなあ」
「ぺこりさんだって社会人経験ないでしょ?」
「あるよ。ここの野毛山動物園と横浜ズーラシアで展示されていたことがある。動物園の動物って上下関係が厳しいんだよ。それに耐えた、おいらは社会人経験者。人じゃなくてクマだけどね」
「そうでしたかあ」
「たぶんさあ、何回も話してるよ。ちゃんと人の、いやクマの話を聞けよな。まあ、とにかく、そのショッキングな事ってなにさ?」
「はい。川魚が海のやつらに聞いたっていう伝聞なので、信ぴょう性には疑問を感じるんですけどね」
「そうか……続けて」
「例の連続石油コンビナート爆破テロの犯人は、ウミガメだっていうんです」
「ごめん、意味がわからない」
「すみません。あのー、海に人間以上の知恵を持ったウミガメが一頭いるみたいで、周りの魚たちを取り込み、さらに、海中ケーブルを勝手に使ってインターネットを利用して、環境問題に詳しいちょっとラディカルな識者を抱き込み、さらに過激な環境保護団体とも繋がっていて、もっとすごいことに米軍の海兵隊の中にも多数の協力者がいて、彼らが密かに軍から持ち出した爆弾で、今回のテロが行われたっていうことなんです。たぶん、魚たちのジョークですよね?」
「うぬう。かっぱくん、よく知らせてくれた。寒くて良ければオットセイたちのプールを使いなさい」
「臭いから嫌ですよ!」
「そうかよ。じゃあ、もうお帰り」
かっぱくんは素直に帰って行った。
「ウミガメねえ」
ぺこりは深く考え始めた。
一時間後、ぺこりは巨体を部屋の仏壇の前に移して、沈思黙考していた。気が短いので、普段は即断即決を旨とするぺこりにはたいへんに珍しい行為である。かっぱくんのもたらした情報は、よほど重要な局面を予見させ、なおかつ決断がたいへん難しいのであろう。
仏壇の扉は開かれ、中には綺麗な木目の不動明王が忿怒の表情で立っておられる。ぺこり自身は不動明王のお姿を拝見したことはない。ただその弟子たちである八大童子の不思議なお力で人間の暮らしをしていたことは以前にも書いた。だから、ぺこりは不動明王を篤く信仰しているのだが、なんとも世の中は複雑にできている。不動明王も一緒で、身代わり不動、波切り不動などと、なんだかよくわからないのだけど、たくさんの種類がいらっしゃる。ぺこりは朝廷から関東を独立させようとした平将門、正義の戦いを貫いた上杉謙信、そして明治維新という無血革命の立役者である坂本龍馬を好み、好きすぎて、自分は彼らの生まれ変わりではないかと思い込んでいる。バカなところがあるのが人間、いや違った、知恵を持ったクマの可愛いところである。しかし、これによって、ぺこりにはたいへんな矛盾が生じてしまった。千葉にある、成田山新勝寺。初詣や、節分の祝いにで市川海老蔵一家その他、有名無名の方が豆を撒いて、おばちゃんたちが気が狂ったように、それをキャッチしようとしていますな。あのエネルギーは家庭で電力として使えないものかなあ? それはそうと新勝寺の御本尊は不動明王なのだが、この明王、ぺこりが生まれ変わりと信じる、平将門追討を祈願して、わざわざ朝廷が都から持ってこさせたものなのだ。それを知って、ぺこりは動揺した。しかも成田山の別院がこの横浜に、しかも桜木町近辺というぺこりのお膝元にあるのだ。これにはぺこりも参った。ちなみに平将門は神田明神に祀られており、首塚が東京の大手町にある。将門の呪いの凄まじさは読者の皆さまもご存知であろう。もし、知らなかったらいつものように検索クリック!
まあ、そういうわけで一時はかなり動揺したぺこりだったが「不動明王にもいろいろあるんだ。おいらを助けてくださった不動明王は成田山のものとは別の、偉大なる不動明王なんだ」と考え、京都の名工に特注の木彫りの不動明王像を作らせた。それが仏壇にいらっしゃる不動明王である。ぺこりは『偉大不動明王』と命名し、自分と舞子にしか拝謁を許していなかった。最近、北陸宮にはご覧いただいた。十二神将やかっぱくんも拝謁を許されないぺこりの宝物である。
さて、今回の沈思黙考はかなり長い。ぺこりも様々な難題が連続してきたので、その灰色の脳細胞が結論がうまく閃かないのであろう。ぺこりは実のところ、論理的思考が苦手である。だから将棋は絶対に負ける。囲碁はルールが覚えられない。将軍たちが実戦を想定して采配を振るう戦闘シミュレーションがあるのだが、それがゲームのようで、なんか楽しそうだとぺこりが挑戦したことがある。相手はろくに采配なんかしたこともない蛇腹蛇腹だ。にもかかわらず、過去最短で、ぺこりの部隊は全滅した。蛇腹は、
「ぺこりさま。俺に負けるってさあ、やばくない? へへへ」
とぺこりをからかった。
「うるさい。おいらは兵に将たる器はないが、将に将たる器はある!」
と言って帰ってしまった。背中が震えていると座間遥が笑った。
「なんだ、今の?」
首をかしげる蛇腹に、勤勉が、
「劉邦の名言だよ」
と教えた。
「どこの中華料理屋のオヤジっすか?」
蛇腹はおバカさんなの。ごめんね。
それはともかく、ぺこりが長い一人対策会議を続けていると、
「ぺこりさん、大学さんがお見えよ」
舞子がそう言いながら入って来た。正直に言うと、いまは誰にも会いたくないのだが、大学に来るよう命じたのはぺこり自身だ。にこやかに接しなくてはならないと気分を入れ替えた。
「よう、大学いやいや学都くんと呼ぼうね。我が組織に加わってくれて嬉しいよ」
「ありがとうございます。正直、良心の呵責もありましたが、ぺこりさまの理想を伺い、お世話になる決心を致しました」
「きみさあ、体型にい似合わず、拳銃やライフルの名手なんだって?」
このぺこりの発言に、学都が食いついた。
「あ、あのぺこりさま。つかぬことをお伺いしますが、体型とは?」
「だってさあ、今まで、きみの体型についての記述はなかったよね? だから決めてあげたよ。きみは小太りだ!」
「えー、そりゃないっすよ。わたくしの名前、ガクトですよ。ファンからクレームが殺到しますよ」
「GACKTのファンがこんな小説、読むわけないだろ。きみは小太りだけども、ガンの名手というキャラに決定。ああそうだ。もうすぐ、亥の将の座が空くんだ。遥が北陸宮の嫁になるからね。きみをその後釜に据えようとおいらは考えている。出番が増えて嬉しいんじゃないの?」
「小太りで亥の将ですか……わたくしの中のプライドというものが音を立てて崩れていきました。警視庁では意外と出来る男キャラだったのになあ」
「別にさあ、コメディリリーフにする気はないよ。言ってみれば、ゴルゴだよ。松本だけど」
「激辛料理担当ですか!」
「冗談、通じないなあ。きみも祐天寺さんも警察出身者はさあ、堅いんだよなあ。亥の将が嫌なら、鉄砲専門の雑賀衆のグループに入れようか?」
「いえ、将軍の位、ありがたく頂戴します。ところで、祐天寺さんはなぜ、警視庁に戻されたのですか?」
「それは重要機密なんだけど、きみには教えてあげよう。祐天寺さんはスパイです」
「いやあ、すぐにバレませんか? あまりに露骨過ぎですよ」
「そう思うのは、きみみたいに賢い人だけ。それにさあ、別にバレたっていいんだよ」
「なぜですか?」
「祐天寺さんがスパイだとわかれば、警視庁が逮捕するか、あるいは公安がさあ……わかるでしょ?」
「はい。残酷なことです」
「そしたら、我々は警察のネガティブキャンペーンを行うの。警察の権威は失墜するよね?」
「恐ろしい考えですね」
「そうだよ。おいらは、悪の権化だもの。さあ、お茶飲んだら行きなさい。頑張ってね」
「はい」
学都が去ると、ぺこりはまた考え込んでいたが、突如、天井を見上げ、
「リスの長老よ。お手数だが降りて来てくれ」
と叫んだ。すぐに一匹のエゾリスが降りて来るが、若干動きが遅い。長老だからだ。
「悪いな、呼び立てて」
「いいえ、ぺこりさまのためなら、この一身を賭けても……」
「そんなにおおごとじゃないから。長老はさあ、何代目?」
「はい、四代目でございますだ」
「そうかあ、初代からは遠いなあ……あのさあ、初代から、おいらが生まれた時、そのベッドの下に隠れていた動物が初代以外にいなかったかどうか聞いたとか、知ってるとかいう話はない?」
「ええ、初代とはわしは入れ違いでしてなあ。二代、三代とは一緒に生活しましたが、そんな話はございませんでしたねえ」
「そうかあ……いや、すまなかった。戻って休んでくれよ」
「あっ!」
長老が、何かを思い出した。
「どうしたの?」
「ええ、今思い出しました。二代目から聞いたのですが、初代と二代が穴からこのお部屋を覗いていたとき、初代が「あれ、ぺこりさまご生誕の時、一緒にベッドの下にいた者がお茶を飲んでいる」と呟いたそうなのです。二代が確かめると、なんのことはない。かっぱくんでした。という話です」
「ええっ、かっぱくん?」
「はいそうですわ」
「ありがとう。よく思い出してくれた。戻ってくれ」
「はい。お役に立てませんで」
四代長老エゾリスは天井に戻った。
ぺこりはまた考える。
「あの時、かっぱくんがいるわけがない。河童一族は北海道には来ない。水が凍ってしまうからな。待てよ、初代はかっぱくんの背中を見たと言ったな。わかったぞ! 甲羅だ。甲羅を見て初代はあんなことを言ったんだ。つまりは甲羅を持った生き物が居たんだ。それが、おそらくは今回のテロリストの首謀者、ウミガメだろう」
ぺこりは長考に疲れたのでお布団にくるまって寝てしまった。
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