第12話 人力車の謎
警視庁仮庁舎の十三階に捜査一課のスペースがある。
「ちくしょう、縁起が悪いな」
捜査一課長、新丸子安男は窓の外を見ながらブラックの缶コーヒーを飲んでいた。本当だったら煙草を吸いたいところである。しかし、なんたることであろうか、仮庁舎は全館禁煙となっていた。喫煙所もないのだ。新丸子はいい歳こいて独身なのだが、借りているマンションは事もイジメのように喫煙不可物件なのだ。本当はこんなところには住みたくないのだが、どうしても他にいい物件がなく、仕方なく禁煙物件に住んでいる。なので、休みの日には一日中ネットで住宅情報を見ているのだが、全く好みの物件が見つからない。いつしか、物件探しは単なる趣味になっていた。そうそう、休みといえば、鉄道連続爆破事件以来、新子安はじめ捜査一課のメンバーは休みがない。家にも帰っていない。鉄道が動かないのだから単純に移動ができないのだ。警視庁全体が疲労感に包まれ、モチベーションもだだ下がりであった。
さらに追い討ちをかけるように、先ほどまで新丸子は甲斐副総監の厳しい叱責を受けていた。九州出張の件である。
「きみはいま、我々がどういう状態にあるのかわかっていないのではないですか? のんびり、女性刑事と出張ですか? 周囲に誤解を受けても言い逃れできませんよ。今回は私が握りつぶしますが、交通費、往復二名分は返納していただきます」
「えー」
「何か、反論でも? 私はね、きみが優秀だと思っているからこの程度の処分ですませているんですよ」
「はあ、すみません」
「わかったら仕事に戻りたまえ」
「はい」
新丸子がたそがれちゃうのもむべなるかな。彼はぼんやり、窓の下の方を見た。
「うん? あれはなんだ」
新丸子が気にかけたのは小型のリアカーのようなものを引っ張って全速で走る、男であった。男だよな? ああ、たぶん男だ。
そこに、サボりに来たと思われる綱島が、新丸子の顔を見て、気まずそうにやって来た。
「綱島!」
「はい、すいません」
「なぜ謝る? それより、あのリアカーみたいのはなんだ?」
「リアカーじゃありませんよ。人力車です。課長、知らないんですか?」
「ああ、ここんとこデスクワークで外に出ていなかったからな」
「あれ、便利なんですよ。通常のものよりちょっと小型で、二人で座るとちょっとばかり狭いんですけど、なんとかいけます。で、車夫のスペックが異常に高いんですよ。全速力で、信じられないほど遠くに運んでくれます。どうやって鍛えたか聞いたら『ゴールドジムです』って言っていましたけど、たぶん冗談ですね」
「台数はどれくらいあるんだ?」
「正確にはわかりませんけど、頻繁に走ってますよ。千台はくだらないでしょう。歩道を走ったり、道路交通法違反もしていますが、この状況ですからね、警ら課でも大目に見るようにとお達しが出ているようです」
「ふーん。でもさあ、なんか手回しが良くないか? 仮に千台作るのだって時間がかかるだろう?」
「浅草から来てるんじゃないっすか?」
「バカか。浅草に人力車が千台もあるか!」
「すいません」
「お前、もう少しここで休んでろ。俺は用事を思い出した」
「はい」
新丸子は捜査一課に戻ると、祐天寺と日吉慶子を呼んだ。
「ちょっと調べて欲しい。いま、東京で走り回っている人力車。誰が取り仕切っているか? それから、車夫たちのスペックの高さの秘密をな。内密で頼む」
「なぜ、内密なんですか?」
慶子が尋ねる。
「いま、交通は遮断されている。徐々に回復はして来ているがな。人力車はまだ必要不可欠だろう。交通網が回復して、奴らが不要になったところで攻める。そのための準備をしてくれ」
「はい」
慶子が庁舎の前を出ると上手い具合に空の人力車がやってきた。
「お願い!」
「あいよ」
車夫は靴台を素早く置いて、慶子が乗りやすいようにした。
「気が効くわね」
「自分以外は皆お客様でございやす」
「ふーん。じゃあ、渋谷までお願い」
「はい、喜んで!」
「ははは、居酒屋みたいね」
「良いものはどんどん取り込んでいくでやんす」
「あなたがそう決めたの?」
「いえ、CEOです」
「はあ? CEO」
「自称、CEO。ただの社長でやんす」
「かなり笑えるわね。社長ってどんな人」
「人じゃないです。妖怪でやんす」
「はあ? よっぽど恐れられているのね」
稽古の脳裏には甲斐耀蔵の顔が浮かんでいた。あの男のあだ名も妖怪である。苗字と名前をひっくり返したのだ。だが、
「うちの社長はやさしいですよ」
「妖怪なのに?」
「ええ、妖怪ですよ」
「よく、わかんないわ」
「へい、渋谷ヒカリエ前に到着でございます」
「もう着いたの! ずいぶん、早いわね」
「途中ワープいたしました」
「嘘だあ」
「もちろん、嘘でございますよ」
「だよね。で、おいくら?」
「五百円でございます。クレジット、各種ICカードもご利用いただけます」
「すごい、ハイスペックな人力車ね。どこで作られたの?」
「そいつは言えねえ約束でして」
「そう、ごめんね。Suicaでお願い」
「ありがとうございます。またご贔屓に」
人力車は去って行った。
「あっ、いけない!」
慶子は、車夫のスペックの高さと独特の口調に気を取られて何も重要な証言をいけなかった。
一方祐天寺係長はある作戦を立てていた。しばらく佇んでいると人力車が来る。
「なあ、ちょっと遠いんだが、いいかな?」
「どちらでしょう?」
「埼玉栄高校」
「お相撲の方ですか?」
「おいおい、このガラどりが相撲に見えるかよ。文部科学省のものだ」
「それは失礼いたしました」
「で、行けるか?」
「ええ、若干ペースは落ちますが、行くことはできます。でも、埼玉は電車が動いておりますよ。県境についたらお乗り換えになられたら」
「いや、俺は乗り換えってやつが嫌いなんだ。あんたがよかったら、話でもしながらゆっくり行こうよ」
「かしこまりました。じゃあ、カーナビをセットして……」
「そんなものまでついているのかい」
「ええ、ハイスペックですよ。この人力車は。料金も、クレジット、ICカードと自由自在です」
「へえ、すごいな。じゃあ、頼むよ」
人力車は走り出した。
「なあ、おたくの会社はいつからあるんだい?」
祐天寺が尋問を始めた。時間はたっぷりある。なんでも聞いてやろう。
「へい、2011年でございます」
「随分と、前だな。最近の騒乱に乗じて作ったのかと思ったんだが」
「あのう、東北で大きな震災がございましたよね。あの時、東京でもご帰宅できなかった方々が多かったとか。それを見た社長のお知り合いが進言したとか」
「なるほど。先見の明がある人だな。その社長の知り合いは」
「はい。わたくしも、少しだけ、お話しさせていただいたことがありますが、凄まじいカリスマ性とものすごい優しさを兼ね備えた傑物でございます」
「俺が知っているような人かい?」
「さあ、知っておられるような知らないような」
「なんじゃそりゃ。まあいいや、社長さんていうのはどういう方だい?」
「はい、妖怪です」
「そんなに恐ろしいのか!」
「いいえ、惰弱な方ですよ。笑っちゃうくらいに」
「それでよく社長が務まるな」
「周りが優秀ですから」
「なるほど、お坊ちゃんか何かか?」
「皇太子さまだとおっしゃってましたよ」
「おいおい、悪い冗談だぜ。でさあ、おたくの会社ってなんていうの?」
「はい。『かっぱの人力舎』です」
「なんだか、お笑いのプロダクションみたいだね。でさあ、どこにあるの?」
「秋葉原です。お客様、よく質問されますね。ここは一つ、わたくしも質問させていただきますね? 今の、文部科学大臣は? 文科事務次官は?」
「えっ……あれ? ど忘れしてしまったみたいだ。なんだ? なぜ止める?」
車夫が足を止めると、両端から十人くらいの屈強な男たちが車夫の格好で現れた。
「お客様。あいすいません。埼玉栄高校にはいけないようです。代わりに、ちょっと別の場所にご案内しますね」
車夫は振り向いて、慌てる祐天寺の背中に注射を打った。
警視庁捜査一課の祐天寺係長は行方不明となってしまった。
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