第18話 悲しみの捜査一課

 突然、映し出された残酷映像に動揺したのか、警察庁広域区域重要指定事件の捜査会議は中止となった。状況把握をし、落ち着いてから再度会議を行うと、議長の矢部警察庁長官は宣言した。


 遠山警視総監は矢部警察庁長官と同じ高級車で東京に帰り、甲斐副総監は新丸子捜査一課長と覆面パトカーで帰路についた。車内で、二人は一言も言葉を交わさなかった。言葉を出すことを忘れてしまったかのようだった。


 捜査一課に戻っても、新丸子は沈痛な顔で天井を見上げていた。優秀な片腕をこんな悲惨な形でなくすとは思っても見なかった。実はこれまで、最小の被害者しか出してこなかった今回のテロリストを新丸子は少し感心して見ていた。前の警察庁長官と警視総監は悪い噂のある官僚だった。殺されて、ザマアミロという気持ちがあった。しかし、祐天寺係長は違う。たたき上げの正義感に満ちた有能な刑事であった。それをISの真似をして、どこかの砂漠に拉致して、頸を刎ねるなんて。しかもSNSで配信するとは。一応、あの画像は閲覧できないように処置がされたが、その前に画像を保存して拡散しているやつが必ずいる。今頃、世界中のキチガイたちがあの映像を観て喜んでいるんだ。怒りが頂点に達する。

 そんな時、日吉慶子巡査部長が声をかけてきた。

「なんだ? 俺は今、誰とも話をしたくない」

「いいえ、そうはいきません。課長、私にあの画像をもう一度、閲覧させてください」

「ダメだ。あの画像は閲覧禁止になった。今頃、科捜研の画像解析班が調べている。彼らに任せるんだ」

「それではダメなんです! 私はですね、係長の頸を斬った者に心当たりがあるんです!」

「えっ、それはどういうことだ?」

「私は剣道を習っていました。段位は最高位を持っています」

「そりゃあ、すごいな」

「余談ですが、柔道、空手、合気道、弓道、ボクシング、テコンドーを習っていて、段位のないボクシングを除いて最高位の地位にあります」

「うひゃあ……あのさあ、もしもの話なんだけど、俺と戦ったら、どれくらいで殺せる?」

「五秒です」

「ご、五秒かよ……じゃあさあ、武井壮だったら?」

「ふふ、あんなタレントごとき、まあ彼もアスリートですからね。一分くらいはかかりますかね」

「百獣の王を一分で! じゃあ、ライオンやトラは?」

「複数で襲われたらさすがに勝てませんが、一頭で来たなら五分ですかねえ」

「俺は今後、君には逆らわないから、どうか殺さないでください」

「課長を殺したら、私は殺人犯になりますから、おそらく殺しません」

「おそらくねえ……ところで祐天寺係長を斬った者がわかるとは、どういうことだ?」

「だいたい、見当はついているんですが、確認がしたいんです」

「では、総監に特別許可をもらおう。ところで、一体何者なんだ?」

「それは画像を確認してからです」


 一時間後、二人は科捜研、画像処理班のディスプレーの前にいた。もちろん、沢口靖子はいない。担当者がいるだけだ。

「じゃあ、流しまーす」

 担当の象田(ぞうだ)は体重百キロ超の巨漢だ。仕事の時以外も、菓子を食いながら画像を観ているという噂がある。

 ディスプレーに、あの残酷場面が流れる。画質が思ったより粗い。

「やっぱり!」

 慶子が叫んだ。

「わかったのか?」

「確信が持てました」

「一体、係長を斬ったのは誰なんだ?」

「銘抜刀先生という、剣術界のレジェンドです」

「拝一刀みたいな名前だな、たって誰もわかんないよなあ……ああ、日吉、殺人者に先生なんてつけるな!」

 新丸子は突然、怒った。

「すみません。でも、とんでもない人なんです」

「でも、なぜ画像を観ただけで、その銘抜刀とわかるんだ?」

「はい、斬り込んだ瞬間、左手が鞘から離れるんです」

「それに、なんの意味が?」

「抜刀は若い頃、酩酊して車道に飛び出てしまい、猛スピードで突進して来た大型ダンプカーにはねられたんです」

「おいおい、それじゃあ即死だろ」

「いえ、酔っていても彼は超人です。かろうじて逃げてたですが、その時、左腕に大ダメージを受けたのです」

「なるほど」

「ただ、彼は超人ですので、左腕は奇跡的に、元に戻りましたが、健常な右腕に比べるとだいぶ力が衰えてしまいました。それ以来、抜刀は打ち込む瞬間、左腕を離してしまう習慣がついてしまったのです」

「ほとんど、隻腕と変わらないんだな。お前、見つけ出して、斬り殺せ!」

「無理です。抜刀はとてつもない達人です」

「お前が、倒せなかったら誰が倒すんだよ」

「課長、落ち着いてくだい。大勢で取り囲んで、拳銃で撃ち殺せば、多少の犠牲で済むでしょう」

「うわあ、残酷。北朝鮮の処刑みたいだ」

「課長、大事なのはこれからなんです」

「そうなの?」

「抜刀には弱点が一つあります。飛行機に乗れないんです」

「なぜ?」

「怖いからですよ」

「最強の剣術士が高所恐怖症かよ。わはは」

「かつて、沖縄で剣道の全国大会が行われたのですが抜刀は名誉審査委員長として招待されました。ですが、抜刀は飛行機にどうしても乗れず、止むを得ずに新幹線、特急と乗り継いで鹿児島に出て、そこからフェリーに乗ったんです。ところが……」

「どうしたんだ?」

「フェリーで、猛烈な船酔いを起こして沖縄についたときには、あの、抜刀がヨロヨロだったんです。ああ、抜刀はいつも酒に酔っているのでもともとヨロヨロなんですけれど」

「アル中なのか?」

「おそらく。でも、深酔いはしないんです。それに、健康にすごく気を使っていて、毎月、血液検査をしていました。それに肝臓に良いとされる漢方をいつも服用していました。なぜかと尋ねたところ『血液透析だけにはなりたくないでのう』って言っていました」

「なんか、プチハート。本当に強いのか?」

「課長なら瞬殺されるでしょう」

「うへえ。あれ? 待てよ。飛行機にも船にも乗れない抜刀がなんで砂漠にいるんだ? これは鳥取砂丘か?」

「それはないでしょう」

「おい、象田くん。これって、CGとか合成なんじゃないか?」

「はい。実はその可能性もあるんです。ただ、画像が不鮮明なので判断しきれなくて……」

「なるほど。おい、日吉。抜刀の所在はわかっているのか?」

「いえ、沖縄で行方不明になっています。関係者の話では「わしは泳いで本土に帰る」と言ったそうですが、無理ですよねえ。いや、超人ですから、可能かも。以後、招待された大会にも現れていません」

「抜刀の行方を捜すのが事件解明の一手だな。日吉、抜刀を探せ。ああ、綱島は役に立たないから、反町か白楽をつけいなさい」

「はい」

 慶子は走り出した。


 抜刀は剣術と酒だけの男である。慶子と、新しくパートナーになった反町隆史(たんまち・たかし)は全国の剣道協会に連絡をとってみた。それを、パーテーションの端っこで、綱島が歯噛みをして見ている。反町は痩身、高身長のイケメン刑事である。

 全国の剣道協会を当たったが空振りだった。慶子は頬杖をついて考える。そういえば、抜刀は恐るべき剣の使い手だったが、子供には優しかった。ああ、わかる限りのこども剣道教室に連絡してみよう。慶子は反町と手分けをして電話をかけてみる。そうしたら、当たった。横浜市の野毛というところで、開かれているちびっこ剣道教室に3年前、抜刀がふらりと現れ、「飲み代が尽きてしまったので、剣術指南をするからいくらか融通してもらえんかな」と言ったという。教室の主宰は高名な剣士が現れたのでびっくりしたそうだ。抜刀は優しく、子どもたちに剣道を教え、二万円包んでもらい、とても感謝していたという。慶子は反町と詳しく話を聞くため、野毛に向かった。

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