第16話 捜査一課の焦燥
警視庁捜査一課課長、新丸子安男警視正はイヤホンを両耳に入れて何かを聴いていた。もちろんミュージックではない。そんなことをしている暇はない。彼は祐天寺係長が残した、音声データを聴いているのだ。もう何回も聴いているが、はっきりした証拠になるものはない。捜査の結果、2011年に、人力車に関する業務を目的とした会社は商業登記されていなかった。株式登録されていないのかもしれない。社長が間抜けな妖怪だという話も、車夫のジョークだろう。気になるのは、社長にアドバイスをしたという大物だ。車夫は祐天寺に「知っているような、知らないような」と曖昧なことを言った。もしかしたら自分が知っている有名人だろうか? 考えられるのは大物政治家や有能実業家だが、彼らがテロを行う意味は全くない。新丸子はイヤフォンを外した。なぜか左目が痛い。疲労からきたものに決まっている。どこか遠くの喫煙所のある場所に逃げ出したいが、どんな連絡がくるかわからない。なぜかこういう時に限ってスマホが壊れた。修理にも行けない。いつもの事件だったら、自分から表に出て行って、アクティブに捜査するのが新丸子のスタイルだが、女房役の祐天寺がいないのでそれもできない。お人形さんのような小杉巡査と会話をしようにもその糸口が見つからない。その小杉は電話番をしている。だが、外に出た課員からは連絡がまったくない。これは忙中閑ありなのではないかと考えた新丸子はソファーで仮眠をすることを考えた。小杉が頑張っているが、まあいいか。安易な気持ちで毛布をかぶった時、電話が鳴った。全く、間が悪い。小杉を見ると必死にメモを取っている。初々しいね。もしかしたら、これから可愛くなるのかななんて、新丸子がオヤジくさい想像をしていると、
「課長、蒲田警察署の地域課からお電話がありまして、昨晩の夜半に、大量の人力車がマラソン大会のような形相で走り去ったそうです」
「なんだそりゃ……ああ、これまで東京中を走り回っていた人力車が撤収したということかな……うぬ、小杉くん、たいへんに申し訳ないんだけど神奈川県警の川崎署の地域課にその件を聞いてみてくれない? ウチと神奈川県警は仲が悪いから、冷たくあしらわれるかもしれないけれど、気持ちを強く持って、やってみて」
「はい、頑張ります」
小杉は電話をかけた。
「課長、男性の方が出られてとってもやさしく教えてくださいました。あちらでも同様なことがあったようです。ただ、事件性はないと見て、特に捜査はしていないそうです」
「ああ、そう。きみは声もかわいいからね。得だわ」
「それ、セクハラ♡」
なぜ、ハートをつける。惚れてまうだろ。問題になるかもしれない。ああ、俺は独身だから別にいいんだ。それよりも、蒲田、川崎ってことは国道一号線ってことかな? 神奈川方面に逃げたっていうことか。面倒だな。副総監に相談してみよう。
「小杉くん、お留守番お願いね」
「はい、かしこまりました」
小杉は機械的に答えた。さっきのは俺の勘違いか?
「副総監。新丸子です」
新丸子は副総監室(仮)の扉をノックした。
「なんですか。事件に進展でもありましたか」
「いえ、これと言ってはないのですが」
「ではなぜに? 私はあなたの茶飲み友達ではありませんよ」
「いや、実はですねえ……」
新丸子は人力車の一件をかいつまんで説明した。
「そうですか。そうすると、神奈川県警の協力が必要になりますね。厄介ですな。こちらとあちらさんは仲が悪い」
「そこを副総監の人脈を使ってスムーズにですね。円滑にですね」
「私がキャリアの中の嫌われ者だということを忘れてませんか?」
「ああっ。どうも、この頃親しくさせていただいているので失念しておりました」
「私の友はあなただけですよ」
「そ、それはありがたいような。なんというか……しかし、どうしましょう?」
「警視総監だよ。あの人に頼むんだ。彼は人心掌握に長けている。きっと神奈川県警にも人脈があるだろう」
「ああ、そうか! そうですね」
「私が連絡をしてみましょう」
五分後、甲斐副総監と、新丸子課長は警視総監室(仮)の前に立っていた。
「さあ、遠慮なくお入りくださいよ」
遠山警視総監の大声がする。
「失礼します」
二人が入室する。テーブルには美味しそうな玉露と和菓子。
「まあ、やってくださいな。で、神奈川県警の協力を仰ぎたいと」
「そうです」
「まあ、それは簡単な話さ。県警本部長の平松は私の後輩だ。さっき、電話したら直立不動で電話を聞いていたよ。これは、あくまでも私の想像だけど」
「もしかしたら、捜査権があちらに移る可能性もあります。人力車が神奈川県に入ったということは、彼らの本拠地があちらということになります」
「でも、祐天寺くんの拉致はこちらで起こったんでしょ? じゃあ、警察庁広域区域重要指定事件だよ。すぐに矢部くんに連絡して、大々的にやろう。なんか、面白くなってきたね」
「総監。人命がかかっているんですよ」
「ああ、そうだね。でもこういう時はノリノリでやったほうが一致団結。いい方に行くんじゃないかな。神奈川県警も巻き込んでさ。この際、両者のわだかまりも解いちゃおうよ」
ニコニコと、電話をかける遠山。甲斐と新丸子は呆れた表情を見せる。電話の向こうの矢部警察庁長官も当惑しているだろう。いや、迷惑しているな。これは。
かくして、警察庁広域区域重要指定事件の発令がなされ、横浜のパシフィコ横浜の大会議場で、第一回合同捜査会議が開かれることになったのだが……
場所は変わって、ここは人気小説家になった、畳かえすの住む、タワーマンション。ここの屋上にはヘリポートがあり、一機のヘリコプターが今にも飛び立とうとしていた。ご推察の通り、このヘリコプターはぺこりの組織のものである。騒音や何やらで住民からのクレームなどが警察に寄せられないのだろうか? ええ、実は一切、その手のものは寄せられないである。なぜなら、このマンションの住民は全員、ペコリの組織の人間だからである。周りの十棟も同様である。しかも、ただ住んでいるわけではない。当たり前のことながら、ちゃんと仕事をしている。そのほとんどが、ディトレードをしているのだ。一日の収益は相当なものである。もちろん、個人個人で確定申告をしているので問題はない。
エレベーターが屋上まで上がってきた。ドアが開くと出てきたのは、羽鳥真実と竹馬涼真。そして手錠をかけられ、猿轡と目隠しをされた男、祐天寺真一である。パイロット席にはサンブラスをかっこよく決めた、高須という隊員がスタンバイしていた。
三人が乗り込む。
「高須、用意はいいか?」
「イエス」
「なんだその返事? お前日本人だろ?」
「イエス」
「あのなあ……まあいいや。テイクオフを頼む」
「イエス、高須発進いたします」
あんまり、面白くない寸劇だった。
ヘリコプターはあっという間にぺこりの居城近くにこっそりと作られたヘリポートに到着した。途中、高須は何度も「アクロバット飛行をお見せしますか?」と言って、羽鳥真実に拒否されていた。テイクオフ後は祐天寺に戒められていた、目隠しと猿轡を取られていた。しかし、祐天寺は一言も発しない。恐らくは拷問にかけても何も語らないだろうと竹馬涼真は思った。鉄のような芯を持った警察官に見える。だが、ぺこりは拷問という手法は基本的に用いない。どうやって、この男を陥落させるのかが見頃だ。
祐天寺は真実と涼真、それに隊員三名に導かれて、ぺこりの居城の一番高いところに作られたVIPルームに入れられた。当然施錠はされるが、この部屋は超一流ホテルのスイートルームもびっくりの施設である。祐天寺がソファーに座ると、手錠が外された。祐天寺は少し、眉毛が動いたが、黙って正面に飾られたゴッホの絵を観ている。だが、内心はあまりの好待遇に驚いていた。てっきり、汚い牢獄で拷問を受けるのかと思っていたからだ。
「祐天寺さん。長くのご不便、申し訳ございません。今回の責任者、羽鳥真実と申します」
「同じく、竹馬涼真です。よろしくお願いします」
緘黙を決め込むつもりだった、祐天寺は思わず尋ねてしまった。
「きみたち、それは本名か?」
「ええ、何か問題でも?」
「だって、きみたちテロリストだろ? 本名を刑事に晒すなんて考えられないぞ」
「そうですか? 確かに我々は現在テロリストと呼ばれてもおかしくないことをしていますが、ぺこりさまはもっと崇高なことを考えています」
「ぺこり? 外国人か?」
「いいえ、人間ではありません」
「すまないが、よくわからない。できたら、そのぺこりに合わせて欲しい」
「いや、ぺこりさまは極度の人見知り。お会いすることはできません」
「はあ? ますますわからない。ああ、今はやりのAIか何かだな」
真実と涼真が困った顔をする。そこへ、
「トントン」
とノックの音が響いた。
「どなたですか?」
真実が問う。
「舞子です」
「えっ、舞子さま?」
舞子は施錠を外されたドアから入ってきた。
「ま、まさか。こんなか弱き女性が悪の首領?」
祐天寺は思わず立ち上がる。
「ふふふ、違いますよ」
舞子が笑う。その華奢な体の後ろに巨大な影が映る。
「えっ、えー!」
その影の正体を見た祐天寺は恐怖のあまり気絶した。
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