第35話 服部半蔵の末裔

「こちらは警視庁の広報車です。ただいまテロ対策特別警戒態勢をとっています。無意味な路上駐車はやめましょう。不審な人物または生き物を見つけたら、ためらわずに110番に通報しましょう。こちらは……」

 小杉巡査が録音した音声が聞こえてくる。

「なんで、警視庁の真下で音声流すんだよ。うるせーな」

 警視庁捜査一課の課長席で、新丸子安男はつぶやいた。ぼんやりとフロアを眺めると、いつもは大勢いる刑事も事務員も誰もいない。総務・経理の担当になったはずの祐天寺警部までもが不在だ。みんな、お代がわりの特別警備の手伝いに駆り出されているのだ。退院したばかりで体力が回復していないだろうという、課員たちの余計な気遣いによって、新丸子は電話番として、席に座っているのだが、電話もなにも鳴りはしない。怖いほどの静けさだ。たいへんにヒマである。

 新丸子は心の内である決意を固めていた。。

「もう、俺は軽々しく、課長席から動かない。せいぜい、ブラインドシャッターを少し開いて、夕日を眺めるだけにしよう」

 と。

 考えてみたら、あくまでもドラマだが、七曲署という一所轄の捜査一課長にすぎない、石原裕次郎が、もちろん『太陽にほえろ!』のことね。その裕次郎が現場に行ったことなんてほとんどないじゃないか。それなのに、天下の警視庁捜査一課長である自分はというと、ホイホイと現場に行って、部下の日吉慶子巡査部長なんかに「無能!」っていう鋭い目で睨みつけられ、綱島みたいにアホな部下に振り回されてさ、優秀で頼りにしていた係長たちはと来たら、一人目は記憶喪失になるほど、敵に痛めつけられて、完全復帰のメドは立たず、代わりに来た、もう一人は失踪した挙句、なんと先日、退職願が郵送で警視総監に送られてきたそうだ。なんでも、やりがいのある新しい仕事を見つけたという、ワープロ書きの手紙と、なぜかイノシシの子供であるウリ坊の集団に囲まれて満面の笑みを浮かべるそいつの写真が同封されていたそうだ。意味わかんねえよ。

 今度赴任して来た、渋谷係長も、なんだか威勢だけはいいが、前任の二人ほど、有能には見えない。どうもやつは、新丸子のキライな体育会系のようで、直接話を聞いたわけではないので、詳細は不明だが、綱島が聞き出した情報によると、なんだか、レンジャー部隊に所属していたことがあるようだ。ケンカしても絶対に勝てないから、下手に叱責も出来ないな。

「まあきっと、ただの筋肉野郎なんだとは思うけどさ」

 新丸子は若干、不安感を募らせている。だが、今のところ、あえて指揮権を渋谷に譲ってい自分は席にじっとしている。「俺は裕次郎だ!」新丸子は自分に言い聞かせて、あえて、無聊をかこっているのだ。

 しかも、理由はよくわからないのだが、一連の警察庁舎爆破と東京鉄道網破壊テロの捜査権が捜査一課から政府主導の内閣府特別調査部に移され、さらに海上で起こっているテロ集団『ぼく』については海上自衛隊の案件となった。石油コンビナート爆破テロも陸上自衛隊に指揮権が移管された。噂ではどうも、アメリカ海軍が乗り込んでくるらしい。てな訳で、新丸子は今現在、何にもすることがないのである。誰も課員がいないから、なにかがあっても困るといえば困るのではあるが……


 腕を頭の後ろで組んで、回転椅子をぶらぶらさせながら「タバコ、吸いてえなあ」と新丸子が独り言を呟いていると、フロアに遠山警視総監がやってきた。どうやら、総監もヒマらしく、このところ毎日のようにこのフロアにやって来る。ヒマなら甲斐副総監のところか、仲良しこよしの矢部警察庁長官も元へでも行けばいいのにと思うのだが、あいにく副総監も警察庁長官殿も共にお忙しいらしい。なんで、あんたがヒマで、部下である副総監や上官の警察庁長官が忙しいのかと問い詰めたいが、ここは縦社会、出世のためなら靴の裏でもなんとやらである。にこやかに迎えてやろう。

「よおっ、遊び人の金さん。いらっしゃいませ」

 新丸子がおちゃらけて出迎えると、

「おう、マルコ。今日はお忍びだぜ。皆には内緒だあ!」

 遠山もノリノリである。もしかして、おバカさん? それとも春だから? なんだか、帽子は斜にかぶり、制服の前ボタンを外して、ネクタイはだるだる。遊び人というよりだらしがない、新橋のガード下によくいる、酔っ払いのオジサンのようないでたちで、新丸子に話しかける。

「どうだい、市井の様子はよ?」

 たぶん、スカパーで、時代劇チャンネルを見過ぎているようである。

「なにもないですよ。ヒマなんで帰りたいんですけど、電話番がいないんでねえ」

 新丸子が管理職にあるまじき、ふざけたことを言う。

「そうか。ない便りがよい便り。でもなあ、水面下ではおっかないことになっているぜ。聞きたいか?」

 なんか、妙に間違った慣用句を使う遠山。水面下での、おっかないこととはなにか? とても興味がある。

「総監、聞きたいですよ」

 当然な答えをする、新丸子。

「そうか。じゃあ特別にマルコにだけには教えてやろう」

 新丸子の口が軽いのは警視庁では有名なのだが、遠山は知ってか知らずかはわからないが、おもむろに喋り始めた。

「なんかなあ、内閣府にいる同期のやつと話をしたんだけど、首相殿はちょっと精神的に病んでいるんじゃないかと思うよ」

「えっ、阿呆首相は胃潰瘍で虎ノ門病院に一時入院ですよね? 阿蘇副総理が臨時総理大臣になって、言いたい放題に好き勝手言って、野党に突っ込まれている」

「確かにな。だが、実は入院前、最後の閣議でとんでもないことを命じたらしい」

「どういうことですか?」

「忍者部隊月光を作れってさ」

「総監、すみません。意味がわかりません」

「きみ、わからないのか? いくつだっけ?」

「四十路ちょいですよ。あとで作者が混乱するので、正確な年齢とかは聞かないでください」

「ああ、そうなんだ。きみらの世代だとねえ、ゴレンジャーかな?」

「はあ? 確かにそれはまずいですね。一国の首相の発言ではありえません。このまま、閉鎖病棟に入れておいたほうがいいでしょう」

「残念だったな。首相は先ほど退院された。薬で散らして、ガスターで治すんだとさ」

「ガスターでは 治らないでしょうね。日本の行く末が……マジに心配です」

「だが、綸言汗のごときでさ、簾官房長官は内閣府に特別チームを作った。そのうちの幹部一人が『忍者なんていかがですか?』と官房長官に進言し、なんか、静岡にいる在野の歴史学者が忍者に詳しいというので、密かに職員が会いに行ったそうだ」

「『密かに』って、じゃあなんで総監のお耳に入ってるんですか?」

「まあ、同期のよしみもあるし、貸した恩もあるんでね。ははは、そういうことは詮索しないのがキャリアの処世術だぞ。新丸子くん」

 遠山は笑いながら、新丸子を睨みつけた。この人はなんなんだ? と新丸子はちょっと怖くなって、お手洗いに行きたいと言って、一旦休憩になった。お手洗いで、新丸子はここから逃げ出そうかどうしようか考えたが、キャリア人生を台無しにすることはないと思い直して、席に戻った。


「おお、帰ってきたかい。いっぱい出たか?」

 相変わらず、アホなことを言う、遠山。

「まあ、それなりにって……あの、大の大人を赤ん坊やねこみたいに扱うのはやめてくださいよ」

「ははは。言葉の感じ方は人それぞれだな。では続けよう。静岡の歴史学者は訪問した職員に『伊賀忍者』を勧めたらしい。きみ、伊賀忍者がどこにいるか知ってるか?」

「はあ、伊賀じゃないですか?」

「きみは学がないな。伊賀というのは律令制の時の古い国名だよ。現在のどこかを私は聞いているんだ」

「すみません。わかりません」

「ふうん、それで捜査一課長が務まるのかねえ……まあいい。今の三重県の西部あたりだそうだ。さっき、Wikipediaで調べた」

「なんだ、総監も知らなかったんじゃないですか!」

「バレた? ははは」

 なんか、本当にバカな会話である。東京の治安は大丈夫なのか?

「で、新丸子くん。伊賀忍者はどこにいると思う?」

「そりゃあ、その三重県西部でしょうね」

「まあ、確かにそこにいるよ。いることはいるけれど、そこにいるのは観光客相手の俄か忍者だよ。時給850円ってとこかな。そうではなくて、内閣府の特別チームが探しているのは、本物の、伊賀忍者の末裔。もっと言えば服部半蔵の末裔だ」

「服部半蔵なら知ってますよ。千葉真一が演じてましたよね?」

「ため息が出てしまうよ。本物の忍者はあんな派手なアクションはしない。こっそりと敵を殺したり、流言をまいて、人心を乱したりという陰の仕事をするんだ」

「そうなんですか。すみません。私は法律しか勉強していないので、日本史はちょっと苦手です」

「視野が狭いぞ、新丸子くん。まあいい。でね、官房長官も伊賀忍者を探すと決めたんだけど、くだんの歴史学者に再度、聞きたいことがあって、職員がまた静岡まで出向いたんだ。そうしたらな。ははは、ここからが傑作だよ」

「なんですか? もったいぶらないで教えてください」

「ああ、教えるとも。職員が歴史学者の家を訪れたら、中から前回とは全く違う老人が出てきたそうだ。驚いた職員が老人に話を聞いたのだが、なんだかボケていて話が通じない。そうしたら、家人が出てきて、この老人が確かに忍者に詳しい歴史学者だったんだが、認知症でいまはもう何も喋れなくなっているんだそうだ。そして、さらにはなあ、先月から前日まで大学病院に入院していたという。では果たして、前回の老人は誰だったのか? 思うに、実はその者が服部半蔵の末裔だったのではないかという、笑えないジョークになってしまった。官房長官は激怒して、マジに服部半蔵の末裔を探せと言明し、職員を増員したそうだ」

「なんか吉本新喜劇のようですね」

「そうかなあ、私は松竹新喜劇みたいだと思うがね」

「どっちにしても悲劇であり喜劇ですね」

「うむ、使い古された言い回しだが、言い得て妙だ」


「……なんか、警視庁は重要な敵から除外しても良さそうなね」

 よろしくま・ぺこりがボソッと呟いた。ここはぺこりの秘密基地、大会議室。十二神将も揃っている。

「ぺこりさま、おっしゃる通りですな。警視総監の遠山はいまだもうひとつ人物の大きさがわかりませんが、国家の機密情報を新丸子ごときに話すとは、軽率の極みですな。それに副総監の甲斐とは、わしがよしみを通じておりますから。まあ、安全牌に成り下がったと」

 関根勤勉が言った。

 ぺこりたちは今まで、祐天寺が自分の机に仕込んでいた高性能盗聴器を用いて、遠山警視総監と新丸子捜査一課長の雑談を聞いていたのだ。

「そうしましたら、祐天寺さんには、こちらに戻って来てもらいましょうか?」

 竹内涼真がぺこりに問う。

「いや、警視庁に留めておこう。正直、彼に任すことができる仕事はないな」

「無能ということですか?」

「違うよ、彼は有能だよ。でもそれは残念ながら、警視庁ではっていう注釈がついちゃうね。学都くんとはちょっとレベルが違う。それにつけても新丸子くんは無能だよなあ。例のさあ、女性刑事……おい、舞子。なんという名前だったけ?」

「日吉慶子巡査部長。美人好きのぺこりさんが、忘れちゃうなんて、珍しい。ほほほ」

「面目無い。加齢には勝てないよ。イメージは湧くんだけど文字情報が出てこない。嫌だなあ」

「ぺこりさま、ご心配には及びません。人間……たぶん、クマの脳も同じだと思いますが、画像データは右脳が無限に蓄積することができるそうですが、文字データは左脳が司っていて、その容量に限りがあるそうです。ですから『顔はわかるのに、名前が出てこない〜!』ということが起きるそうです」

 大学学都が進言した。

「ああそうなんだあ。じゃあ、仕方ないんだね。それにしても学都くん、博識だね」

「すみません。たまたま『チコちゃん』を観ていたらやっていたんです」

「バラエティかよ……まあ、NHKさんだから、いいんじゃないの」

「恐れ入ります」

 学都は頭を下げた。それを笑って見ていた、ぺこりが急に真剣な顔に戻ると、諸将に宣言した。

「ああ、みんなに伝えておくよ。これからの我らの行動の指針となるグランドデザインを、畳かえすを中心にした特別参謀チームに作らせています。それに伴い、斬新な作戦を立案できなかった旧参謀総長を始め、幹部の連中は粛清しました。いや、おいらは金正恩じゃないから処刑とかはしてないからね。ちょっと北海道の関連企業の経営する農場とかに転勤してもらったわけ。秋には彼らの作った美味しい無農薬野菜が食べられると思うよ」

 諸将が失笑していると、戦闘員が入って来た。

「ぺこりさま、内閣府に潜入している密偵から情報が入りました!」

「おお、なんだって?」

「内閣府特別チームが服部半蔵の末裔の居所を探し当てた模様です」

「さすが、国のエリート連中だな。それで、場所は?」

「はい! 今回はここまで〜」

 みんな、ずっこけた。

 

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