第36話 忍者と忍者の騙し合いwith内閣府特別チーム

 東北地方の某県に壮大な森がある。田中角栄の『日本改造論』をはじめとして、戦後の土木、建設計画の魔の手からなんとか逃れてきた、原始から続く手付かずの大自然だ。今は国立公園に指定され、決められたハイキングコース以外は一般人の侵入が禁止されている。森に入ることが許されているのは、点検のための保全員だけである。しかし、最近になり、一部の観光客や保全員が、立ち入りを禁止されている区域から炊事の煙が立っているという情報が複数寄せられていた。公園事務所の所長は地元の警察と協力し、公園内をくまなく捜査した。しかし、意外なことに、人間の影はおろか、生活の形跡、火の燃えかすなども見つからなかった。では、複数目撃された煙はなんだったのか? 同行していた日本生物大学の生野教授は「もしかして、水蒸気ではないでしょうかね。そうすると、この地域に火山爆発が発生する危険性がある。だが、断層的にはありえないんだよな」と発言した。今度は、長年、猟師をやっており、公園内が禁猟になってからは公園職員となっていた老人が語った。「動物たちがピリピリしている」と。どういうことかと、所長が問うと老人は「公園内が禁猟区になって以降、動物たち、特に顕著なのはシカだが、狩られるという緊張感から解放されている雰囲気を個体から発生していた。ところが、近頃、また緊張感が戻ってきている。誰かが、密かに狩猟をしているのではないか」と答えた。しかし、人間の気配は全くない。くだんの老人も人間のいる様子はないという。所長は止むを得ず、捜索を中止した。

 所長は律儀な男で、この顛末を報告書に記して、環境省の担当者に送った。しかし、環境省の担当者は、その報告書を別段には重要視しなかった。ただ、彼が唯一真っ当な仕事をしたのは、報告書をすぐに鼻紙にしてゴミ箱へは捨てず、省庁間全体で閲覧できる、一般報告書データベースにスキャニングしたことだ。まあ、そのあと、鼻紙にしてゴミ箱へ捨てたのは言うまでもないが。


 全省庁の公文書を集めたデータベースの情報量は天文学的に膨大なものである。普通の人間には、それがたとえキャリアの人間であろうと全てを読み込むことなどまず、不可能である。ところが世の中には何事にも突出した能力を持った人物がいるものだ。そういう一種の変人が、たまたま、内閣府の例の忍者部隊結成プロジェクトチームに事務方で所属していた。彼は文字通りの活字キチガイで、仕事という名目のもと、省庁のデータベースからダウンロードした文書を、一日中読み込んでいた。それは、パソコンのディスプレイではなくて、わざわざ、紙に印刷されたものである。彼曰く、そうでないとダメなのだ。ただ、惜しむらくはその全てを記憶しているわけではなかった。だから、公文書の生き字引にはなれない。ただの公文書マニアである。彼は出退勤時の電車の中では読書を常としていた。ジャンルはそれほど関係ない。書店で、通勤時に持って読める限界と思われるような分厚い本を定期的に買っていた。オールジャンルとは言ったが数字や公式の多い理工学書は彼には、あまり面白くないそうだ。やっぱり、活字がびっしり詰まっているものがいいらしい。漢字が多いと、とても興奮するそうだ。でも、やっぱり悲しいことに、彼は本の内容を完璧に理解しているわけではない。とにかく、活字を読む。これが大事。

 その彼が、やってくれた。たまたま閲覧した環境省の一般報告書の中に、例の文書を見つけたのだ。彼だって、キャリアだから我々と比べたら格段に賢いのである。それに自分の仕事に忠実である。だから、例の文書を読んで、ピンと来た。すぐに簾官房長官にお伺いを立てる。

 官房長官は、

「ああ、これはおおいに脈がある。早速、現地調査だ」

 と号令を発した。


「……ということでございます」

 ぺこりの秘密基地の大会議室で、戦闘員の報告がいま、終わった。

「迷うことはないね。内閣府の特別チームの後ろをつけよう。隊長は、ご面倒だが、関根老人」

「かしこまりました」

「あとは涼真と……」

 とぺこりがもう一人、誰かを指名しようとすると、

「ぺこりさま、俺に行かしてくれ」

 と叫ぶ者がいる。

「はあ? 蛇腹かよ。きみは北陸宮をお守りする仕事があるだろう」

「そ、それは、目白先生か抜刀先生に一時的に頼んでくれよ。身重とはいえ、遥だって、お側にいるんだ。それより、俺は半蔵を倒したい」

「勘違いするなよ。おいらは服部半蔵の末裔を味方につけて、我が忍者衆を鉄壁なものにしたいんだ。倒しちゃったら遺恨しか残らないっての」

「すみやせん。でも、必ずや生け捕りにする。約束だあ。あとの交渉はぺこりさまがやってくれ。おいらはとにかく半蔵と戦いたいんだ!」

「蛇腹、きみはもしかして半蔵の末裔のことを知っているのか?」

「いえ、全く」

「ドテッ。なんか遺恨でもあるのかと思ったよ。おいらが、きみ的に考えれば、単に忍者のナンバー1と戦いたいだけということだな」

「ご明察」

「難しい漢字を使うなよ。うーん、あんまり行かせたくないけど、きみの情熱に負けた。関根老人と涼真の言うことをきちんと守るなら、行ってよし」

「はい。ありがとうございます」

「じゃあ、北陸宮の護りは弘樹にまかす。きみさあ、無口なのはいいけれど、少しは北陸宮の話し相手くらいはしろよ。下手したら、二人で黙っているうちに夜になる」

 目白弘樹は黙って頭を下げた。

「大丈夫かなあ、何もかもがね。まあでもさあ、失敗も少しはしないと物語に起伏がなくなるよね。我々は無敵じゃないってことをわかって頂かないと。ああ、半蔵は残念だけど内閣府かなあ〜」

 もう、諦め顔のぺこり。指名を受けなかった将軍たちも同じ顔だ。よりによって、蛇腹蛇腹だものね。


 内閣府の特別チームの武力部隊の精鋭は隊長、副隊長、そして隊員十名で結成され、早速現地に飛んだ。全員が東大卒で、なおかつ武道においては元オリンピック候補だったという優れものだ。ただ、本当にオリンピック出場した者はいないというのが瑕疵である。

 公園の管理事務所では所長と元猟師である公園職員の老人が待っていた。すぐにミーティングが始まる。

「諸君、今回の最大の任務は服部半蔵の末裔を見つけだし、我ら、日本国政府によるテロ撲滅作戦に最大限の協力をしてもらう約束を導き出すことである。条件については、相手の言うがままで良いという官房長官のお墨付きもある。何としても探し出し、無傷で半蔵の末裔とその一派を確保するべく、各人の努力に期待する。以上だ。では所長も訓示を一言どうぞ」

 隊長は所長の顔を立てた。

「ああ、どうもお疲れ様でございます。今回の任務、大変なこととお察しいたします。私が申し上げたいのは、できるだけ自然を荒らさないでいただきたい。それだけです。詳しくは隊長さまにお願いしておりますので、私の話はここまでで。ただ、私も不慣れながら捜索に参加いたします。足手まといになると思いますが、森のことだけはよく知っておると自負しておりますので、どうぞ遠慮なくお問い合わせください」

 ただの田舎に住む純朴な人だと隊員たちは思った。隊長がまた話し出す。

「所長が申された通り、この森を荒らしてはいけない。だから、森の中では喫煙はもとより、大小便も禁止だ。公園内にトイレはない。不安な者は恥ずかしがらず、オムツを使用すること。そこっ! 笑い事ではない。また、健康管理に留意しているであろう諸君らにはあり得ないと思うが、万が一、大便を我慢できなくなった時は、野糞の上、速やかに回収すること。要は犬の散歩と一緒だ。諸君の不用意な行動が、森の生態系をおかしくするのだ。最大限の注意を! 以上だ。五分休憩ののち、所長及びベテラン保全員さんと同行し捜索を開始する」

「はい!」

 隊員たちは競うようにお手洗いに行った。


 公園事務所から少し離れた茂みの中に人影が三つ。もちろん、関根勤勉、竹馬涼真、蛇腹蛇腹の三名である。

「我らの密偵のデータは正確であったな。ユニフォームに一寸の狂いもない」

「それこそ甲賀衆の密偵ですよ。勤勉さま、伊賀衆はそれを上回るということですよね。本当なんですか?」

 涼真が尋ねると、勤勉ではなく蛇腹が答えた。

「ああ、忍者の最高峰は伊賀者よ」

「でも、山田風太郎の『甲賀忍法帖』では……」

「こら、涼真。偉大なる先人の作品のネタバレをするでない。読者さまに失礼じゃ」

「申し訳ございません。ところで確認ですが、部隊の後方三名を倒して、こっそり入れ替わるのですね」

「そうじゃ。おい、蛇腹よ。毒を用いるのは構わないが、殺してはならんぞ。それがぺこりさまの決まりだ」

「わかっておりますよ。ご老体。昨晩ちゃんと毒の塩梅を調整しました。睡眠薬程度でさあ」

「うぬ。おっ、動き出したぞ。準備開始だ」

「はっ」


 特別チームの一行は元猟師の公園職員、所長、隊長、副隊長と順番に歩いて行き、一般隊員が後に続く。その一番後方の隊員を関根勤勉が音も立てずに鳩尾を手刀で突いて倒す。続いて、涼真が次の隊員の頸動脈を強烈に締め上げ、隊員は泡を吹いて失神した。最後に蛇腹が薄めた毒を塗った針で、三人目の隊員を昏倒させ、三人は、シラっとした顔で隊列に加わった。作戦大成功と思われたが、十分も行かぬうちに、蛇腹が小声で、

「ご老体。何者かが我々を狙っています」

 と囁いた。

「それはこの部隊をか? それとも我々三人をか?」

「狙いはこの部隊のようですが、ターゲットは後方部隊。つまりは我々」

「やれやれ、面倒だな。何者かわかるか?」

「ええ。もちろん伊賀者だ」

「えっ!」

 勤勉はちょっと大きな声を上げてしまった。すかさず、隊長が振り返り、

「静かに歩け!」

 と怒鳴った。

「はっ」

 キレイに揃った返答。

「来ました」

 蛇腹が言うや否や振り返り、毒矢を吹いた。相手はまさか、蛇腹が振り返るとは思わなかったのだろう。覆面から見える両目が開いている。

「あとはお任せあれ」

 蛇腹は次々に襲いかかってくる敵を音もなく毒針と毒矢で倒した。十人はいる。どうも予想に反して一般隊員を全滅させたかったようだ。ああ、もちろん眠らせただけなので、のちの交渉に影響はないと思われるのだが、伊賀者の敵意に勤勉らは驚いた。

「これはさあ、あくまでも蛇腹個人による、内閣府、いや日本政府に対する敵意だよな? 我らは関係ないよな?」

 勤勉が悩む。

「そうですよ。彼らの敵は日本政府。案外、我々との交渉には応じてくれるのでは?」

 涼真が楽観的なことを述べた。

「おい、さっきから私語が多いぞ。集中力が切れたか? 一旦休憩にする」

 隊長が右手を上げて隊列が止まった。隊員たちは持参した水筒でスポーツドリンクを飲む。そしてみな、絶命した。勤勉、涼真、蛇腹を残して。


「こ、これは……どういうことだ。そして、なぜ、きみたちだけが生きているんだ?」

 隊長と副隊長は混乱していた。

「おそらく、水筒に毒が仕込まれていたんでしょうな。全員が持ち物から離れた瞬間はなかったかね?」

「そんなことは……あっ、あった! 皆がお手洗いに行った時だ!」

「たぶん、その時に、繊細な注射針を用いて毒を仕込んだのでしょうな。最近は鉄などの重いものより軽くて柔らかい素材の水筒が多いからな。ほれ、この通り」

 勤勉は骸になった隊員の持っていた水筒を取り上げた。

「なるほど。ところで貴殿は何者であるか? 我々のユニフォームを着用して、面妖である」

「ふふふ、『悪の権化(仮)』の者と言えばお分かりかな? わしは今回の作戦責任者、関根勤勉と申す」

「関根勤勉殿。はて? うぬ……ああ! 思い出しましたぞ。かつて最年少で自衛隊の統合幕僚長となり、『諸葛孔明以来、最高の軍師』という名を戴きながら、任期途中で謎の失踪を遂げた、伝説の人物ではないですか。生きてお目にかかれるとは喜ばしい。しかしなぜ、テロ集団にいらっしゃるのですか?」

 隊長は一瞬にして、勤勉に私淑してしまったようだ。

「我らの首領のことはどこまでご存知かな?」

「はい。風聞で知るにとどまりますが、クマかそれに似た巨大な生物。人間の可能性もある。大規模な破壊工作などは行うが、人命は最大限に尊重する。さらにお代がわりが終わるまでは動かないという予測も聞いております」

「おお、素晴らしい。だいたい把握されとるな」

「で、勤勉先生は何のご用で、こちらに? まさか! 服部半蔵の末裔に会うためでは。それはなりません。服部殿には我々が日本政府の威信を賭けてお会いし、我らにご協力して頂かなくてはなりません。申しわけございませんが先生にはご帰宅を願います」

「先生はよしてくれ。きみは知らないかも知れぬが、先生とはな、本当はバカという意味なんだよ。ところで、こちらも申し訳ないことを言うが、きみはバカかね? 協力をする可能性のある者が、隊員たちを殺したりするものか!」

「そ、それは……」

 がっくりと両手を膝に当てる隊長。副隊長が必死に慰めている。

「先に帰るのはきみたちだな。さあ、そろそろ名乗ったらどうだ? では、服部半蔵殿」

 勤勉が元猟師の老人の方を向く。涼真と蛇腹が身構える。すると、

「何を言ってるんだあ。俺は服部半蔵なんかじゃないよ」

「えーっ?」

 勤勉、当てが外れてかなり慌てている。と言うことは……

「愚かな人たちだ。私が服部半蔵正義(はっとり・はんぞう・まさよし)ですよ」

 そう言ったのは公園管理事務所の所長だった。

「貴殿が?」

 隊長と勤勉が同時に叫んだ。

「私たちを高く評価してもらっていることには、大いに感謝する。だが、あなた方の団体には協力することはできない。ご存知かと思うが、我々は初代より代々、徳川家にお仕えしている。で、よくお考えいただきたい。日本国政府の阿呆晋三総理大臣はどこの出身ですか?」

「山口県です」

 隊長が答える。

「そう、山口県。つまりは長州ですよ。徳川幕府を滅亡させ、多くの徳川方の人々を殺したものの子孫に、我々が使えると思いますか!」

 半蔵は激怒した。隊長はすっかり諦めて、副隊長と去っていった。

「では聞こう。なぜ、我らとも協力できないのじゃ?」

 勤勉が尋ねる。

「あなたも愚かなようですな。半年前なら、もしかしたら協力できたかも知れません。しかし、あなた方はバカなことをした。我々もね、一応防諜の能力を持っているんですよ。忍者ですからね。あの北陸宮を引き取ったのは、実質的にはあなた方の首領なんでしょう? そして、いくら疎外されていたとはいえ、宮は徳川幕府を滅ぼした明治帝の子孫ですよ。残念ですが、あなた方は我々の怨恨の対象でしかありません」

「ああ、そうじゃのう。だがな、聞くぞ。忍者というもの、主君なしでは生きていく価値がないだろう。今の徳川さんは一般市民なのではないか? 担がれたら迷惑に思うはずだぞ」

 勤勉の言葉に半蔵は笑った。

「今の徳川氏は慶喜公の子孫か、御三家の子孫ですよ。そんな方は我々の眼中にはありませんよ。我々が押し立てるのは、家康公のご嫡男、徳川信康公の子孫です」

「なんだと? でも信康公は織田信長の命令で、貴殿の祖先に殺されたのだろうが。それに跡には女子しか生まれていないはず。わしを誑かすな。日本史くらいはわかるわ」

「その私の祖先が、本当は信康公をかくまっていたとしたら? そして嫡男を生み、それが連綿と続いていたとしたら?」

「うぬぬ、それはまことか?」

「ええ。我々は徳川幕府を再興するために、日々研鑽しているのです。邪魔立ては無用に願います」

 半蔵はそう言うと、きびすを返した。その時、

「待て、半蔵。勝負しろ!」

 蛇腹が飛び出してきた。


 ここで字数が尽きました。続きは次回にて。

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