第5話 銀毛の謎
「課長。この銀毛を大至急、科捜研で解析してもらいましょう。やつの秘密の一端がわかるはずです」
日吉慶子巡査部長は言った。
「そうだな。あっ、ダメだよ! 日吉くん。警視庁が爆破されて何日も経ってないんだぜ。科捜研なんか機能しているわけないよ」
「ああ、そうですね」
うなだれる慶子。
「あのー」
綱島が小声で呟く。
「なんだ? どうした」
「私の知り合いに、日本生物大学の生野教授という若き英才がいまして、もしかしたら分析をしてくれるのではと……」
「なんだって! そういうことは早く言え。すぐにアポを取るんだ」
「はい」
三人は日本生物大学へと急いだ。
「どうも、生野です。ああ、日吉さんでしたね。生物的に美しい」
生野は変わり者であった。
「ありがとうございます。早速ですが、この銀の獣毛を分析していただきたいのですが」
「OK。『ぴったんこカンカン』でも観ていてください。その間に隅から隅まで調べ上げましょう」
「そ、そんんな短時間で?」
新丸子が驚く。
「僕を誰だと思っているんですか? 生物学界の大坂なおみですよ」
「なんか違うよな? あいつ男だよな?」
研究室に向かう生野の背中に新丸子は首をひねった。
「はーい、皆さん。結果が出ましたよー」
早い。本当に一時間だ。
「得意のごたくはいいから、早く頼む」
新丸子が懇願する。
「OK。では、早速。でも、これだけは言っておきます」
「なんだ!」
「結果にびっくりしないでください」
「えっ?」
「さー、ショータイム。この獣毛を遺伝子レベルで調べたところ、五十パーセントは、エゾヒグマでした。北海道に生息し、時にはヒトを捕食するという害獣です。悲惨な事件も多数起きています」
「エゾヒグマですか」
「そう。でもね、問題はここから。残りの遺伝子の二十五パーセントは……こ・お・り」
「は? 水ってことだろ」
「いいえ、氷です」
「おかしいだろ。氷って、水の塊だろ。成分は水、ウォーターだろ。大丈夫か? この先生」
「ふふふ、そこが科学の奥深いところ。僕は生物学だけど。常人には解明できない謎がこの世にはたくさんあるのさ」
「先生、残りの成分はなんですか?」
日吉慶子が冷静に尋ねた。
「ああ、いいところをついてきたね。多い順に、煉乳、みかん、パイナップル、マンゴー、イチゴ、小豆だ」
「?」
「なんだそりゃ?」
「やつはアイスでも食べていたんですかねえ?」
「綱島、お前、鋭いよ。さすが東大法学部大学院卒だ。僕が、この成分にあったものをデータベースから調べ上げたところ、一つだけ該当するものがあった」
「な、なんだそれは?」
「鹿児島名物『しろくま』」
「はあ?」
「クマにかけた冗談じゃないでしょうね?」
「いや、この獣毛の生物はエゾヒグマとしろくまのハーフだ!」
時は、数十年前。北海道札幌にある円山動物園に遡る。七月のその日、異常気象が起こり、日本で一番暑い都市は、なんと札幌であった。
うだるような暑さ。動物達は身じろぎ一つせず、お客さんたちもバテきっていた。ただ一人、張り切っていたのが、わざわざ九州鹿児島から出稼ぎにきていた、名産アイス『しろくま』売りの、おっさんだった。
「冷たい『しろくま』だよ。体がキンキンするよ!」
客が群がる。群がりすぎて、商品が一つ、コロコロと坂道を転がっていってしまった。おっさんそれに気づかない。転がった『しろくま』は動物舎の一つに落ちてしまった。そう、そこはエゾヒグマの動物舎だ。
一目会ったその日から、恋の花咲くときもある。エゾヒグマと『しろくま』は一瞬にして恋に落ちた。けれど言葉も交わせぬ一頭と一個。それでも心は伝わった。その瞬間、光が満ちてハートのような虹が天に浮かんだと言う。しかし逢瀬は短い。その日の炎天によって『しろくま』はみるみる溶けてしまった。悲しい気持ちになったエゾヒグマは氷水を舐め、フルーツと小豆を食べてしまった。儚き恋はこれで終わったかに見えた。
異変に気がついたのは飼育員だ。
「えっ、妊娠している?」
慌てて、飼育員は園長に連絡。緊急対策会議が開かれた。
「とりあえず、レントゲンで、本当に妊娠しているか調べよう」
検査が行われた。
「おい、双子だ!」
驚愕の声。
「しかし、交尾もしていないのに、なぜ妊娠するんだ」
「どこからか、野生のエゾヒグマがやってきたとか?」
「バカか。ここは札幌だぞ」
「まさか、処女受胎……」
「お前、クリスチャンだったな?」
「イエス」
結局、原因は分からずじまい。果たしてこの双子を出産させるか否かの問題となった。
「本来なら、妊娠、出産はめでたいことだが、今回は問題が多すぎる。堕胎させよう」
園長は決断した。そのとき、
「そのことならーん!」
と大音声が響き渡った。建物が振動している。
「余は不動明王なり。この子たちの守り仏である。いますぐ、出産させるによって、下々は手伝えおろう」
「は、ははあ」
飼育員たちは準備を始めた。しかし、
「明王さま、大変です。母体が衰弱し、双子を生むことは不可能です」
慌てた表情で飼育員が言う。
「うぬう。ならば仕方がない。男の子を産ませよ。女の子の魂は余が男の子の体に埋め込む」
「そ、そんなことできるのですか?」
「余に不可能はないことはないが、これは出来るのよ」
こうして男の子が誕生した。悪の権化、よろしくま・ぺこりである。
ぺこりは不動明王の弟子、八大童子に守られ、人間と同じように学校に入ることができた。ただし、自分の体をコントロール出来ず、一年ごとに雌雄が入れ替わってしまうため、毎年、転校を繰り返していた。自分をコントロールできるようになったのは大学受験の頃だった。ぺこりは東大に入学、大学院まで進んだ後、ハーバード大学に入り、ここでも大学院まで勉強し、MBAほか、たくさんの資格をとった。
ところが、
「人間のふりをするのはもう嫌だ。クマに戻る。これは妹も同意している」
と言って、八大童子の説得も振り切って、どこかに消えてしまった。その後五年間、ぺこりの行方はわからなかった。
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