第38話 よろしくま・ぺこりの試行錯誤

 なぜか知らぬが、事態は切迫してきている。だというのに、ぺこりはちょっと羽毛の量を少なくした掛け布団に包まって、特になにをするわけでもなく、ぼんやりとしているように見えた。

 しかし、ぺこりの灰色の脳細胞(本人、ではなくて本クマ談)は急速に回転していた。この訳のわからなくなった状況をいかにして打開するのか。新たな敵の出現により、畳かえすに委託したグランドデザインの完成は遅れている。それでなくても、超多忙な新進気鋭のミステリー作家でもある、畳かえすに無理難題を押し付けたのはいささか無謀であったのかもしれない。彼女のもたらす印税は、ぺこりの組織の資金全体から見れば、大した額ではないが、水沢舞子が表の顔として運営している学校や各種ボランティアには多大な貢献をしている。

 だが、忘れてはいけない。ぺこりたちはあくまで、日本征服を企む悪の組織である。最近は何かにつけて若手の底上げと称して、他人に仕事を振るというサボタージュが度を越していたとぺこりは自己反省をしはじめた。畳かえすのグランドデザインはそれとして、自分も少し真剣に考えなくてはならない。そのためには敵を知ることが大切であろう。そう思い立ったぺこりは布団を蹴飛ばし勢いよく立ち上がった! しかし、「プチッ」という音がして右後ろ足の太もも部分に激痛が走った。「あちゃあ、ハムストリングスやっちゃったあ〜」ぺこりは叫ぶ。そして、「舞子さ〜ん、至急、勝栗洋三と整形外科医を呼んでくれえ〜」と弱々しく言ってお布団に逆戻りした。


「洋三、参りました」

 勝栗洋三が襖の前に来る。

「おい、洋三。お医者さんよりやって遅く来るなんて、柔道修復化としての、きみは少々たるんでいるじゃないかね。まるで、おいらのお腹みたいだな。まあいいや。とりあえず、入ってくれ」

 ぺこりのご機嫌は悪い。というよりも、太ももがものすごく痛いのだ。

「申し訳ございません。失礼いたします」

 恐縮しながら洋三が入室する。ぺこりはお布団の上で、お医者さんに痛み止めの注射を打たれていた。

「ぺこりさま、どうされました?」

 尋ねる洋三。

「日頃の運動不足と過食がたたったようだ。柔道修復化としてのきみのように日々鍛錬すればいいんだがね。(もちろん、嫌味です)……おいらは、図体はでかくともさ、ひどい喘息持ちだからなあ。ゴホ、ゴホ……」

 取ってつけたように咳をしつつ、今度は洋三に対する嫌味に徹するる、ぺこり。

「お大事になさってください」

「ありがと。じゃあな……じゃなかった。なあ、洋三くん。きみはいま、とてもヒマだろう?」

「ヒマと申しますか、出番がないと言いますか……というか、ぺこりさまが真実さんや涼真ばっかり重用して私のことを全然、用いてくれないんじゃないですか!」

 軽くキレる、洋三。

「そいつはすまんな。ただ文句は作者にきちんと君からのクレームは言っておくよ。なにせ、おいらは部下を均等に愛してるからね。ものすごく安心してよ。ああ、あっちの意味ではないから、さらにもっと安心してね」

「はあ、なんかよくわかりませんが、お心遣いに感謝します」

「ああそう。でね、今日は誰にでもできる簡単な仕事で悪いんだけど、この紙に書いてある書籍を横浜そごうのたぶん上の階にある、紀伊国屋書店で買ってきてもらえるかな。間違っても横浜駅西口の地下街では買ってはならんよ。あそこはクソだからさ」

「本当に、簡単ですね。ものたりませんよ、ぺこりさま」

「何事も序章が大事だよ。洋三くん。いずれはきみの実力が発揮されるときがくるからね」

「はい。そのお言葉を信じて、行って参ります」

 洋三は部屋を出た。しかしながら、残念ながらその仕事は簡単なものではなかったのである。


 三十分後、電話がかかってきた。受話器を取るのは舞子である。ぺこりは極度の電話嫌いだ。それに部屋から滅多に動かないから、スマホも持っていない。まあ、仮に持ったとしても、耳と口の距離が遠いから全く使えない。固定電話もスピーカーフォンにしないと使えないから。これだは、ますます電話が嫌いになる。

「ぺこりさん、洋三さんよ」

「なんだ? おい洋三どうした?」

「ぺこりさま、たいへん悲しいお知らせです」

「なんだよ?」

「ぺこりさまご指定の書籍、すべてが古すぎて現在、市場に流通していないそうです」

「えー、そうなの。人文書だから平気だと思っていたのになあ!」

「でも、朗報です。とても親切な紀伊国屋書店の店員さんの話だと、神奈川県立図書館にはおそらく収蔵されているようです。西区紅葉ケ丘の本館だそうです。川崎の分館に行ってしまうと理工学所しか置いてないそうです。(学生時代の作者も痛い目に遭いましが、理工書目録を閲覧しまくる攻撃でやりあっしました。図書館司書学の宿題でした。嫌味な慶応から着ていた女講師でした)」

「そうか。じゃあ洋三くん、県立図書館に行って借りてきてよ」

「ぺこりさま、それはムリです。本を借りるには神奈川県に在住しているか、就労、就学しているという証明書がいるそうです。私はぺこりさまの組織の人間ですから、そんな素性のバレるようなものは何一つ持っていません」

「そ、そうかあ……かと言って、おいらが県立図書館に直接行って閲覧なんかしたら、警察と猟友会の人が来ちゃうもんなあ。どうしたものか……ああ、洋三くん、お疲れ様。役に立たない奴は、帰ってきていいよ。次の出番はいつかねえ」

 洋三の返事も聞かずにぺこりは電話を切った。かわいそうな勝栗洋三。十二神将なのにひどい扱いだ。


「はて、どうするか? 簡単そうな問題ほど案外難しいものだ。悪の権化が県立図書館で本を借りるという発想が間違えていた。全くさあ、ハーバード大学大学院を首席で卒業したおいら上に図書館資格を持っているライブラリアンたるおいらの率いる組織に、まともなライブラリーの一つもないというのが根本的な間違いだな。近所の横浜国立大学か神奈川大学の史学科の教授を脅迫して、強奪して来るか? でも、組織のイメージが悪くなっちゃうなあ」

 ぺこりがブツブツ呟いている。そこに舞子がやって来た。

「ぺこりさん、本ならあたしが借りてこれますよ。ほら、貸し出しカードだって持ってるし」

 ぺこりはハタと右後ろ足を叩いてしまい、あいにくと痛み止めが切れちゃってしまっていたため、超涙目になっていた。ぺこりは巨体だから薬の効き目が短いのだ。

「いててて……ああ、しんどいわ。ええと、舞子、相変わらずきみは素晴らしい。ではこの紙に書いてある本を借りて来てくれ」

 ぺこりは紙を舞子に渡す。

「……うーん、ぺこりさんは知らないと思うけど、貸出は一人、五冊までなの。三十冊は、普通ではムリ」

「えっ、そうなの?」

「そう。仕方がないから、特別な手を使ってあげるわ」

 舞子はそう言うと、どこかに電話をかけた。

「もしもし、白岩さん。ご無沙汰しています。舞子です。ええ、ちょっとお願いがあるんですけど県立図書館で歴史の本を三十冊ほどお借りしたいのです。無理ですか? ええっ、いいんですか? 嬉しいわ。そう、学校の授業の一環なの。ありがとうございます。今度またゆっくり。ええ、失礼します」

 舞子が指でOKマークを出した。

「白岩って誰だ? 一発屋作家の白岩玄か? この前、河出文庫で本を出していたけどな。あいつ『文藝賞』作家だろ? 面倒見がいいよな」

「やあね。白岩さんって言ったら神奈川県知事の白岩祐治さんじゃないの」

「あれ? 県知事って黒岩じゃなかった?」

「あたしが白って言ったら白。黒って言ったら黒なの。それは冗談だけど、こういう時って、本当の名前は使わないんじゃないの? さっき、ぺこりさんは横浜国大とか神大って実名を使ってるけど大丈夫なの?」

「さあね。怒られるのは作者だろ。しかし作者も昔は架空の名前をよく作っていたが、今回はどうもダメだな。他作品との同一世界観ってやつがさあ、なくなるよね。それはそうと、舞子はなんで県知事と親しいんだ?」

「ああ、彼がまだ湾岸テレビのキャスターをやっていた時、二年間、彼が司会の報道番組のアシスタントをやってたの。まだ十代だったかな? 若者代表って呼ばれて、結構辛口コメントしてあげたわ。あの頃SNSがあったら炎上女優になってたかな」

「湾岸テレビね。とりあえず、フジテレビって言ってはいけないのだな。とにかく、そういうご縁か。納得。じゃあさあ、たぶん土佐鋼太郎も洋三と同様にヒマしてそうだから、荷物持ちで連れて行ってよ。あいつは無口だし、胃からはあるから、管具だ言わないよ」

「わかりました。土佐さんを誘って行ってきます」

「洋三、グレなるかな?」

 ぺこりは舞子を見送ると、強い鎮痛剤を飲み込んだ。


 舞子と土佐鋼太郎はすぐに帰って来た。白岩知事の計らいで、書籍メールでフで県立図書館へ送り、司書さんが二人が到着する前に全部用意してくれてあったそうだ。

「エクセレント!」

 英語が大嫌いな、ぺこりが(でも、会話はネイティブという不思議)使い慣れない単語で感嘆した。

「舞子よ、おいらも白岩知事とやらに会ってみたいな」

「考慮いたします」

「頼むよ。地元密着型、悪の組織ってのも新しいよね」

「さあ、新しいけれど、知事にとってはありがた迷惑かも」

「そうか……まあいいや。これから三時間くらいでビシッとこの三十冊を速読するから。悪いけど一人にさせて」

 ぺこりが変なことを言い出した。

「ぺこりさん。三時間で三十冊はムリでしょう。いつも、薄っぺらい文庫本を十日くらいかけて読んでるじゃない?」

「文庫本はゆっくり時間をかけて、楽しく読んでるの。でも、勉強の本なんて、決して面白くない。日本史の専門書なんて、大学の名誉教授なんかが、わざと難しい文章をひねって書くから、全然面白くはない。平易な文章で書けば、運がよけりゃ、ベストセラーになるのにさ。格式にとらわれる、学会がそれを許さないんだよな。テレビに出てくる、塾講師なんて、学会は相手にしてないよ。でもね、本心ではジェラシーのジェラートができてるね」

「そう。じゃあ、私は行きますね。頑張って読了してください」

 舞子は出て行った。


 ぺこりが借り受けたのは、ズバリ、徳川信康と服部半蔵に関する研究書である。半蔵についての本は結構あるが、信康に関する本は少ない。まあ、歴史上に名を残すような活躍はしていないから仕方がない。ぺこりの注目点は信康の切腹が本当にあったかどうかに尽きる。しかも、その場に服部半蔵正成が一緒にいたことは本当のようだ。一説には半蔵は切腹の介錯を命じられたが、涙が溢れて介錯できず、検死役の天方道綱が代わりに介錯したという。


 もともと、信康が自刃する羽目になったのは正妻である織田信長の娘、徳姫(五徳)が信康の母、築山殿と折り合いが悪く、信長に不満を書いた手紙をやたらと送っていたかららしい。また信長が自分の嫡子、信忠と信康を比較して、その実力差を恐れたともいう。

 築山殿は今川氏の出身だから、今川本家を滅ぼした織田氏の人間が嫌いなのは理解できる。ただ、よくわからないのは築山殿が武田家に内通したという話だ。ほんとかな? ぺこりは疑問に思う。そして信長は家康に信康のことは貴殿に任せると言ったらしい。別に殺せとは言っていないのだ。それを深読みした家康は、まず、もう関係が冷めていた築山殿を殺す。そして信康についてはいろいろな城へたらい回しにして、結局は自刃させた。もしかしたら、言外に「逃せ」という思いがあったかもしれないが、律儀な家臣が切腹させてしまったというのが定説である。信康はかなり有能な若者だったらしいのだ(個人の見解です)。


「うぬ。信康自刃の際に、服部半蔵がそばにいたというのが、鍵だよなあ。でも天方とかいうのもいたわけじゃん。ということは二人で共謀しなきゃ、信康を逃れさせることは不可能だよな。ちょっと検索しちゃお……ありゃ天方道綱の情報少な! 元は今川方で、信康の介錯をしたことで肩身が狭くなり、出奔して出家した。どっちとも取れるなあ。出奔したふりして信康の元に駆けつけた。でもなあ、結局のところ、信康が歴史の表舞台に立つことはなかったんだよな。ああ、こんな話もあるねえ。

 浜松の山中で狩人だか農民が元は偉丈夫と思われる老人に『いまは誰の天下だ?』と尋ねられたか……信康の血統が連綿と受け継がれていまに至るなんてさあ、やっぱりありえないよな。じゃあ、半蔵は誰を担いでいるんだ? ああ、この小説って現代ファンタジーだよな。クマやウミガメが喋ってるんだからさ。本人が、違った、本熊が語っているんだから間違いない。もしかしたら、半蔵が担いでいるのは、徳川信康そのもの。魔界転生……まさ山田風太郎先生のパクリだ! でも、ライトノベルって『転生ジャンルあるんだよね?』 舞子! 十二神将召集だ。ああ、それからおいらの乗れる車椅子……そんなのないか。大きな荷物を動かせる台車と力自慢の戦闘員三名連れてきて!」

 ぺこりは大声を放った。

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