第41話 四十九日
四人でこたつを囲みながら、他愛のないおしゃべりをする。柿の葉寿司を葉っぱごと食べようとしていた外国人に、身振り手振りで食べ方を教えた話を、鈴子が再現して祖父母を笑わせていると、玄関の戸が開く音がした。
「ごめんください」
寛太の声だ。誰よりも先に、宮子は立ち上がっていた。祖母と共に玄関へ向かう。
「本日は結構なお供えをいただき、ありがとうございました。師僧玄斎の四十九日法要を無事終えることができました」
彼には似合わないくらい明るい声で、よどみなく話す。
「まあまあ、玄斎様のところの」
寛太は、紙袋を三和土に置き、一歩下がって礼をした。
「お供えのお下がりです。お納めください。老師の法話会のCDも記念品として入れてあります」
「それはありがたいねぇ。……あなた、お父さんのところに帰るんだって?」
祖母がさりげなく訊ねる。
「はい。明日、吉野を発ちます。皆様には、本当にお世話になりました」
「住所、決まったの?」
宮子は思わず口をはさんだ。
「ああ。奈良市内に住むことになった。親父の通勤にもちょうどいいところが見つかってな。今日、三諸教本院に供え物のお下がりを送るから、そのとき知らせようと思ってたんだ。……葉書、届いてたよ。ありがとな」
いつもより高いトーンの声が、演技のように聞こえる。
「玄斎様の御仏前に手を合わせたいんだけど、あとで庵に行ってもいいかな」
「しばらくは人が出入りするから、夕方遅くなら大丈夫だぞ。老師も喜ばれる」
五時過ぎに行くことを約束し、寛太を見送る。
「あの子、明るくなったねえ。弟子入りしたてのころは、怖い顔してたけど」
祖母の言葉に、宮子は生返事しかできなかった。
夕方、宮子は鈴子を連れて庵へ向かった。
夕陽に照らされた長い石段を登る。門をくぐると、白梅の香りがした。
「ごめんください」
入り口の引き戸を開け、土間に入る。右側の広間は襖が取り払われており、仏壇前にはたくさんの花や供物が置かれていた。奥の廊下から、寛太が出てくる。
「よく来てくれたな。まあ、上がってくれ」
宮子と鈴子は靴を脱ぎ、仏壇前まで進んだ。遺影の中の玄斎様は、赤い頬をして微笑んでいる。懐かしい笑顔に接すると、寂しいはずなのに顔がほころぶ。線香を立てて
足音に振り向くと、寛太が紙袋を持って入ってきた。
「供え物のお下がり、持って帰ってもらってもいいか。満中陰志は、別に送ってあるから」
果物や干物、お菓子などの供え物が入った紙袋を、宮子の横に置く。続いて、鈴子の前に小さな紙袋と本を置いた。
「鈴子ちゃん、前に借りてたマンガ、遅くなってごめんな。おもしろかったよ。やっぱ宇宙ものはいいよな。それと、いただきものだけど、お菓子の詰め合わせ」
「ありがとう。寛斎兄ちゃん、映画観に行く約束、忘れないでよ」
寛太が「忘れてはいないよ」と微笑む。
「大学、受かったってな。おめでとう」
滅多に見られない寛太の笑顔に胸が高鳴り、「ありがとう」の声がうわずってしまった。
「寮に入るんだって? また妙なのに取り憑かれないよう、気をつけろよ。人がたくさん集まる場所には、人以外のものも寄ってくるからな」
そう言って寛太が、小さな布袋を取り出して宮子の前に置いた。
「餞別だ」
布袋を開けると、中には木製の腕輪念珠が入っていた。以前、寛太が左腕にしていたものだ。
「元は老師のものだからな。お守りと思って、身につけておけ」
使いこまれた鉄刀木の念珠は、年月の分だけ重みがあるように感じた。
「でも、これって玄斎様の形見でしょ。私がもらうわけには……」
寛太が笑ってさえぎる。
「俺は、老師からはもう十分すぎるくらいいただいた。だからそれは、初めての友達が幽霊だったり、動物霊に憑依されたりしてた、誰かさんが持ってた方がいいのさ」
ひどい、と笑いながら、念珠を左腕につける。木独特のやわらかな温かみがする。
「じゃあ、ありがたく頂戴する。大事にするね。……そうだ、新しい住所を教えてよ」
覚えていないから転居のお知らせを送ると言われたが、宮子は「今調べてきて」と食い下がった。寛太がしぶしぶ部屋を出て行く。
「お姉ちゃん、珍しく粘ったね」
鈴子が小声で言う。別に住所を訊くくらい不自然ではないはずだ、と自分に言い訳をしながら、宮子は布袋をバッグにしまった。かすかに白檀香のにおいがする。
寛太が戻ってきて、住所を書いたメモ用紙を宮子の前に置いた。鈴子も覗き込み、声をあげる。
「奈良県内になったんだ。よかったね。電車で三十分くらいだし、また前みたいに、うちにも来てよ」
寛太が「そうだね」と答える。彼は戒により嘘をつけないから、いつかは三諸教本院を訪れてくれるはずだ。
窓の外が薄暗くなってきた。
「そろそろ帰った方がいいんじゃないか。夜の山道は、初心者には厳しいぞ」
「そうそう。お姉ちゃんの運転、ひどいんだから」
鈴子がちゃかす。けれども、ただでさえ自信のない山道を、暗い中帰るのは怖い。
「じゃあ、そろそろ失礼するね」
後ろ髪を引かれながら、宮子は庵を出た。寛太が門まで見送ってくれる。
「まあ、今日は鈴子ちゃんが一緒だから、大丈夫だろう」
一瞬意味がわからなかったが、思い当たることはある。
運転に集中すると、余計なものを見ないようにとかけているフィルターが外れることがある。路上実習では、ときどき人間とそうでないものの区別がつかず、急ブレーキをかけて教官に怒られた。しかし、今日は余計なものはまったく見えない。鈴子が隣にいるからだろう。彼女は父親に似て、霊視体質ではないが、潜在的な力はかなり強い。
「立派な神職になれよ」
少し離れた位置から、寛太が言う。その顔を記憶に焼きつけておこうと思うのに、薄暗くてよく見えない。言葉を返せない宮子に代わって、鈴子が言った。
「寛斎兄ちゃんも、明日から新しい生活だね。がんばってね」
「ああ。鈴子ちゃんも、四月から中二だな。がんばれよ」
喉がきゅっと締め付けられて出ない声を、宮子はようやく振り絞った。
「あの……何か力になれることがあったら言って。私も、お父さんも、できる限りのことをするから」
寛太が目を見開いて、驚いたような表情を作る。
「他人より自分の心配をしろよ。また危ない目に遭ってビービー泣いてるんじゃないかって、俺はお前が心配だよ」
「ちょっと、私がいつビービー泣いたのよ!」
むきになって反論すると、寛太が愉快そうに笑った。今日の彼は、珍しくよくしゃべるし、よく笑う。心配になって見つめていると、寛太が真面目な顔に戻った。
「ん。気遣ってくれて、ありがとな。管長さんにもよろしく伝えてくれ。……本当に暗くなるぞ、早く帰れ」
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