第7話 あいつ、生きてないぞ

 空地まで戻ってくると、一昨日端によけたはずの棒が、沙耶がはまっていた壺のあたりを囲むように、四隅に立っていた。宮子がほどいたロープも、片付けられている。

「やだ……」

 真っ青な顔で、沙耶がつぶやく。

「どしたの、サーヤ。気分悪い?」

 肩をゆすると、沙耶がこちらを向いた。どこか哀しそうな顔だ。


「熱射病じゃない? うちに来て休んでよ。お父さんは氏子さんの家を回っているはずだし、妹はテレビでも観てるし、気にしなくていいから」

 沙耶が視線をはずし、とたんに元気そうに言う。

「ん、大丈夫。別に気分が悪いわけじゃないから。それより、まだ時間も早いんだし、遊ぼう。そうだ、妹ちゃんも呼ぼうよ」

「え、鈴子を? まだ小一だから、騒々しいよ」

「いいって、いいって。小さい子が一人で留守番って、かわいそうじゃん」

 確かに、今日は社務所に事務の原田さんがいるとはいえ、自宅には鈴子一人だ。たぶん、ブロックでお城を作っているか、アニメのDVDを観ているかだろう。

「それもそうよね。じゃあ、呼んでこようかな」


 道路へ向かおうとすると、寛太が立っている。驚いて、宮子は声をかけた。

「あれ、まだ三時くらいなのに。今日はもう終わりなの?」

 寛太は、宮子ではなく沙耶を見ている。いや、睨んでいる。

「老師が、三諸神社で夜通しの瞑想坐禅に入られるから、夕食の握り飯を作りたい。台所を貸してくれないか」

「いいけど……」

「米はあるけど、他人の家の台所はわからない。一緒に来てくれ」

 ようやく宮子の方を見る。有無を言わせない口調だ。

「そういうわけだから、諦めろ」

 沙耶に言い放った寛太が、宮子の手首をつかんで連れていこうとする。

「ちょ……、ちゃんと帰るから、触らないでよ! ごめん、サーヤ。また明日ね」

 振り返って、沙耶にもう一方の手を振る。沙耶も、名残惜しそうに手を振っていた。

「うん、また明日。待ってるから」


 空地が見えないところまできて、ようやく寛太が手を離した。

「痛いじゃないの! 勝手に人の間に割って入るし、なんなのよもう!」

 さすがに腹が立って、宮子はまくしたてた。しかし、寛太はまったく動じない。

「お前、シアワセな奴だな。守りが強いから無事なんだぞ。でも、妹まで危険にさらすなよな」

「なんのことよ」

 鳥居の前にさしかかる。二人共、いったん会話をやめ、一礼をして中に入る。砂利を踏む音が響き渡る。

「ねえ、妹まで危険にさらすって、どういうことよ」

 寛太が立ち止まり、宮子の方を向き直った。


「気づいてないと自分に暗示をかけているようだから、はっきり言わせてもらう。あいつ、生きてないぞ」


 意味が理解できず、宮子は呆けたように立ち尽くした。

「あいつ、お前が一緒にいないと、空地から出られないだろう。強い力のそばにいないと、形を保つことができないんだ」

 神社の前に着き、二人は神殿に向かって一礼をした。習慣通り、社務所の窓から原田さんに声をかけ、自宅の玄関へ向かう。しかし、頭の中は別のことでいっぱいで、自分が何をしているかもわからなかった。

「いつまでもこっちの世界にいたって、しょうがないんだ。変なことをしでかさないうちに、あるべき世界へ送ってやった方がいい」

 寛太が、追いうちをかけるように後ろから言う。めまいがして、視界がぐらつく。ふらつく体を、靴箱に寄りかかって支える。


「変な冗談言わないでよ。だって、サーヤとは、自転車の二人乗りも、一緒に買い物もしたのよ。透けてもいないし、足だってあるじゃない」

「実体があるから幽霊じゃない、と言いたいのか。じゃあ、たとえば、そこの花瓶を粉々に砕いたとする。そうしたら、花瓶は存在するか? 瀬戸物の破片はあるけど、花瓶はもうないだろう。物質は何も変化していないのに。『ある』と断言できるものなんて、この世にはないんだぞ。同じように、『ない』と断言できるものもない」

 寛太の言っていることは、わかるようでわからない。同い年のくせに、表情ひとつ変えず難しいことを言うのも、腹が立つ。

「な、なによ。煙に巻こうったって、そうはいかないんだから。サーヤを幽霊よばわりするのはやめて」


 寛太が、左手で壁を叩いた。大きな音に、びくりとする。

「頭でねじ伏せて否定するのはやめろ! 本当は勘付いているくせに。あれは、この世のものではない、危険な奴だって」

「でも……。でも、危険じゃないもん。サーヤは、私の初めての友達なんだから!」

「なにが友達だ。じゃあ、その首はなんだ」

 壁に掛けてある鏡を覗き込む。首に、うっすらと赤い指の痕が残っている。

「これは……暗かったから、腕と間違えただけよ」

「そうか? あいつ、お前の体が欲しかったんじゃないのか? そのお守りがなかったら、お前、体を乗っ取られていたぞ」

 宮子は、胸に手をあてた。服の下に、つるつるとした翡翠の勾玉を感じる。

「違う。違うもん」

 泣きそうになるのをこらえながら、靴を脱ぎ捨て、廊下を走った。

「あれえ、お姉ちゃん、お帰りー」

 鈴子が居間から顔を出したが、宮子は二階の自分の部屋まで駆け上がり、乱暴に扉を閉めた。


 ──あいつ、生きてないぞ。

 もしかすると、寛太の言うとおり、最初からわかっていたのかもしれない。沙耶が、地面から上半身だけを出して、もがいていたときから。


 そうだ。あのとき、四方にめぐらされていたロープは、結界の注連縄しめなわだ。紙垂しでがついていないから、気づかなかった。紙垂しでは薄い紙製だから、雨で溶けて流れたのだろう。注連縄しめなわで囲われることの意味くらい、宮子にもわかる。


 沙耶は封印されていたのだ、あの土地に。


 そうだとしても、宮子は嬉しかったのだ。特に親しい子もいないまま大きくなって、本当は寂しかった。母がいないから家事をしなければ、という理由で外出もしなかったが、友達とショッピングに出かけたり、秘密の場所を共有したり、他愛もないおしゃべりをしてみたかった。やっとできた友達なのに。

「お母さん。私、どうしたらいいんだろ」

 宮子は、机上の写真立ての中の母に話しかけた。首から下げた紐を手繰り寄せ、翡翠の勾玉を握る。


 沙耶がこの世のものでないとしたら、いちばんいいのは、父に供養してもらい、あちらの世界に送ることだ。しかし、それは裏切りのような気がしてならない。

 ──人間、誰でも死ぬのに、死んだら「穢れ」として忌み嫌うなんて、ひどい話だと思わない?

 穢れは、神主によって祓われる。でも、祓われて、どこへ? あちらへ行きたくないから、沙耶は空地に留まっているのだろう。だとしたら、このままでも構わないのではないか。友達が望まないことは、したくない。


 友達が望まないこと。

 沙耶は本当に、友達である自分の体を乗っ取ろうとしたのだろうか。いや、違う。そんなはずはない。それに、「あちら」へは、母も行ったのだ。悪い世界とも思えないし、そうであってはならない。父だって、死んだ人をあちらへ送ることを生業にしているのだから。

「お母さん。そっちはどんなところ? 友達を、そこに送っても大丈夫?」

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