第31話 殺人犯と被害者家族
中学二年生の終わり、寛太の母親を殺した犯人に対する控訴審が始まった。
一審では、初犯で被害者が一人だったことから、無期懲役の判決が下っている。
当時の新聞記事には、寛太の父が目頭を押さえている写真が載っていた。切れ長の目や薄い唇が、息子とよく似ていた。寛太の母親の写真も、新聞やテレビに出た。色が黒いところは寛太と同じだが、目は二重で大きく、南洋系の顔立ちをしていた。
写真を見ることで、彼の母親が確かに生きていたのだ、という当たり前のことを、宮子は知識でなく肌で実感した。
犯人は、当時二十二歳の男性、小西史生。
大企業に勤めていた父親がリストラに遭い、彼は大学中退を余儀なくされた。兄は医学部の学生だし、祖母の介護費用も必要だった。小西は自ら退学を選んだという。
しかし、最終学歴が高卒で、実践に役立つ資格も取っていなかったため、就職活動は難航した。名門大学を卒業するはずだったプライドもあったのだろう。小西は、職に就いても、数週間で辞めてしまうということを繰り返した。
最後に就いたのは、印刷工場の紙積みの仕事だった。機械の速度と競争しながら、重い紙を延々と補充するため、腰を痛めてしまった。苦労して受験戦争を勝ち抜いてきた自分が、紙を運ぶだけの仕事をしていることに嫌気がさし、やはり一週間で辞めてしまった。
大見得を切ったことや、自分と兄との格差を目の当たりにしたくない気持ちが邪魔をして、実家には戻れなかった。生活費にも困窮するのは時間の問題だった。スーパーのゴミ捨て場から盗んだ廃棄パンを食べながら、彼は泣いた。
四月のある日、小西は友人の家へ金の無心に行った。が、何度もやってくる彼に愛想を尽かしたのか、友人は居留守を使い出てこなかった。当てが外れて電車賃も足りない状態で、落ち込んだり腹を立てたりと定まらない心で歩いていると、新しい一戸建て住宅街が目にとまった。アイボリーの二階建ての家には出窓もあり、まっさらな白いカーテンがかかっている。彼は、急に悔しくなったという。
小西は住宅街に入り、手前の家から順に様子を窺った。テレビや人の声がする家はやり過ごし、物音がしない家には来客を装って門の中に入り、ドアノブが開くか確かめた。
四軒目の家のドアが開いた。そっと玄関に入る。中に人の気配はない。念のため、彼は後ろ手にドアを閉め、「ごめんください」と大声をあげた。
反応がないので、靴を脱いで靴箱の隅に隠し、家に上がった。足音を忍ばせて廊下を進むと、右手にあるドアが開け放たれていた。中はリビングダイニングだ。台所側のカウンターに、買ってきたばかりとみられる、スーパーの袋が置かれている。その隣に、ショルダーバッグがあった。
家を買うほど裕福なのだから、少しくらいくすねても構わないだろう。金は循環させるべきだ。そんな言い訳をしながら、小西はバッグから財布を取り出そうとした。
その時、玄関の扉が開閉する音がした。スリッパを履いた足音が、近づいてくる。彼は財布から札を抜き取ってポケットに突っ込み、キッチンカウンターの下に隠れた。
「寛太、帰ったの?」
女性の声が近くから聞こえて動揺した、と犯人は供述している。息を潜めて逃げる機会を窺っていると、突然カウンターから誰かが顔を覗かせた。浅黒い肌に、ウェーブのかかった黒髪の女性だ。
「もう、そんなとこに隠れ……」
女性の瞳孔がみるみる収縮して顔が引きつり、叫び声をあげる。
「静かにしろ!」
小西が立ち上がって凄んでも、寛太の母は短い悲鳴を何度も立てたという。
水切りの中の包丁が、小西の視界に入った。彼はそれを両手で握って構えた。
「動くな」
寛太の母は、叫ぶのをやめて立ちすくんだ。その隙に逃げるつもりだった、と犯人は主張している。殺すつもりはなかった、と。
被害者が叫びながら体当たりしてきたので、揉み合いになり、誤って刃が頸動脈を切った、というのが犯人側の主張だ。先に向かってきたのは被害者側だ。これは傷害致死であり、強盗殺人ではない、と。
一審は、強盗殺人罪で無期懲役刑が下った。
「若さゆえの身勝手さはあるが、謝罪の手紙を書くなど反省の気持ちを持っており、生涯をかけて償わせるのが相当」とされた。
一審判決時のメディアや人々は、犯人に同情的だった。端正な顔立ちの若い男性だったことが、大いに影響した。順調に人生を送るはずだった若者が、社会情勢のために父親が経済力を失くし、転落せざるを得なくなった、と小西のことをいかにも「時代の犠牲者」のように、もてはやした。犯人に対する同情が、寛太親子の無念を置き去りにする形になった。
今回の控訴審でも、同じようなことが起こるのだろうか。そう思うと、宮子はニュースを見るのが怖かった。
判決は、一審の量刑を支持し控訴を棄却。つまり無期懲役だった。
双方上告しなかったため刑が確定し、死刑を求めていた原告側、寛太の父の願いは、永遠に潰えた。
夜のニュースで、寛太の姿を見た。
彼は、山伏装束で裁判を傍聴し、その姿のまま父親と共にマスコミの前に現れた。
寛太の父が、差し出されたマイクに向かって、声を荒らげる。
「たった一通の『謝罪の手紙』や、裁判前に髪を刈りあげたくらいで『反省の気持ちが見られる』と言われるのが悔しい。犯人は、先に佳美……妻が体当たりしたから揉み合いになったと言っているが、それなら何故、妻は台所でなくリビング側で殺されているのか。犯人は嘘をついている」
シャッターを切る音が響く。
「妻が味わった恐怖や痛み、送るはずだった人生、私たち家族の苦しみ。そういったものの重さが認められず、とても残念です」
そう言って、寛太の父は目頭を手で覆った。カメラのフラッシュが、その姿を青白く照らす。
今度は寛太にマイクが向けられる。
が、彼は険しい表情を崩さず、ただ合掌し一礼した。
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