第32話 「悲劇の少年」
人々は、無言で合掌し一礼した寛太の姿に、様々な想いを想像し、投影した。
「母の菩提を弔うために出家した悲劇の少年」の姿は同情を集め、マスコミの論調は被害者側に傾いた。一審のときは、「時代の犠牲者」と犯人をかばう発言をしていたコメンテーターが、「母親を殺され、父親の元を離れて厳しい修行の道に入った苦悩は、察するに余りあります。未来ある少年の人生を狂わせるような事件は、二度とあってはならないですよ」と熱弁していた。翌日のワイドショーも録画して観たが、大抵は寛太に同情的だった。
「本当は、犯人を殺したいほど憎いでしょうね。でも、仏門に入ったから、赦さなきゃいけない。その間で、とても苦しんでいるのかと思うと……」
涙ぐみながら女性タレントが言う姿を、宮子は正視できなかった。
本当は何もわかっていないくせに、と思う。それは自分もだが、少なくとも、ころころ意見を変えたり、一時的に熱狂して勝手に同情したりはしない。
上から目線で「かわいそう」と言い、自分は不幸ではないことを再確認し安心する。同情の裏に含まれているそんな感情に、苛立ちを覚える。同時に、自分もそういう態度を取っていないか不安になる。どうしたら寛太の彼の力になれるのか。彼を支えられるのか。
土曜日、宮子は図書館で各新聞記事のコピーを取った。後ろから直実に声をかけられる。二時から一緒に勉強しよう、と待ち合わせをしていたのだ。
「ああ、この裁判」
コピーした記事を見て、直実がつぶやく。最後の記事をコピーし終えて新聞の束を抱えると、「重いでしょ」と返しに行くのを手伝ってくれた。
「ちょっと外に出ようか」と、直実が出口を指さす。
ロビーの椅子に座る。暖房が効いていないこともあり、他には誰もいない。しばらく、お互いの出方を待つように沈黙が流れた。直実が口火を切る。
「私も、ニュース見たよ。寛太君……法名は寛斎君だっけ? あのときの男の子だよね」
無言でうなずく。彼女には、寛太の母は事件に巻き込まれて殺されたことを伝えている。
「黙って手を合わせる姿見て、こっちまで泣けてきたよ。私だったらきっと、犯人が憎い、司法が罰してくれないなら、この手で殺してやりたい、って言っちゃうと思う」
寛太に同情が集まるのは、年齢と境遇の割に理性的な行動を取っていて、それが「自分が同じ立場ならこうしてしまう」と想像するきっかけになるからだろう。
「うん。……あれ、直ちゃんは、死刑反対じゃなかったっけ?」
「国家が行う制度としての『死刑』に反対ってだけだよ。私たちの命を、国や権力者に握られたくないから。でも、肉親を殺した犯人を個人的に憎むのは、自然な感情だと思う」
直実らしい考え方だと思いながら、小さく相槌を打つ。
「じゃあ、被害者の家族に対して、周りはどんなふうに接したらいいのかな」
宮子の問いに、直実が唸り声をあげて腕組みをする。
「一般論じゃなくて、宮ちゃんが寛斎君に、どう接すればいいか、だよね」
新聞記事の写真の中の寛太を見ながら、宮子はうなずいた。
「今、すごく苦しんでると思う。被害者の家族にとって、裁判の傍聴はかなりつらいんだって、本で読んだことがある。事件当時のことを生々しく思い出しちゃうって」
寛太の意識と同調したときに垣間見た、一面の血の海が、脳裏に浮かぶ。その中央に横たわる遺体に、怖くて目を向けることができない。
寛太との接し方のヒントになればと、宮子は犯罪被害者関連の本を何冊か読んだ。犯罪被害者は、思い出したくないことを訊ねられてトラウマになったり、配慮に欠けた事情聴取やマスコミの過剰取材のために、いわゆる二次被害を受けたりする。
「被害者にも非があった」「因果応報」と考える風潮が根強く残っているため、社会の理解を得られず、孤立感を深めてしまう。書かれていることを寛太に当てはめるたびに、心が痛んだ。
「明日、法話と瞑想の会に行くから、顔を合わせるの。事情を知ってるのにスルーするのも、わざとらしいし。それにね」
宮子は、背筋を伸ばして顔をあげた。
「私のお母さんが死んだとき、周りがみんな『そっとしておいてあげよう』って、距離を取るようになったの。気遣ってくれたのかもしれないけど、今度は話しかけにくくなっちゃって。そのまま何年も一人ぼっち。……贅沢かもしれないけど、あのとき無理やりにでも、明るく話しかけてくれたり、外へ引っ張り出してくれたりしたら、ありがたかったなぁって」
「じゃあ、寛斎君には、そうしたらいいじゃん」
あっけらかんと直実が言う。
「でも、それは私の場合であって、彼も同じとは限らないもん」
「だーかーらー、寛斎君がどう思ってるかなんて、それこそいくら想像してもわかんないでしょ。だったら、自分がして欲しいと思うことをすれば、当たらずしも遠からずだと思うよ。『迷惑だったら言ってね』って付け足しときゃいいし。そんなに心配なら、『何か助けになれることある?』って聞くのがいちばんでしょ」
一理ある。意思疎通のために言葉があるのだから、直接聞けばいいのだ。勝手に相手の気持ちを想像して的外れなことをするのは、ありがちな失敗だ。
そっか、そうよね、とうなずいて、宮子はコピーの束に再び目を落とした。
山伏装束の寛太は、群衆の中で異彩を放っている。目立つことを嫌う彼が、何故こんなパフォーマンス的なことをしたのだろう。
不殺生戒を受けた出家の身であることを忘れないためなのか、犯人へのメッセージなのか、被告に同情的だったマスコミに釘を刺すためなのか。本当のところはわからない。わからなくても、寛太が何らかの意図を持っていたことは想像できるし、力になりたいと思う。
翌日、宮子は一人で法話と瞑想の会に出かけた。
いつも寛太がいるはずの受付に、彼はいなかった。代わりに、一番弟子の仁斎が、小学二年生の娘と一緒に座っている。ときどき、子どもも一緒に参加させているのだ。
あいさつを交わし、お布施を渡す。会費は無料だが、宮子はいつも貯金の中から布施をしている。
仁斎が合掌して、のし袋を受け取る。宮子はあたりを見回した。座敷には、参加者がまばらに座っているが、寛太の姿はない。
「寛斎は、老師と一緒に奥にいるよ」
仁斎が声をかけてくる。
「そうですか。姿が見えないから、体調でも崩したのかと思って」
仁斎の顔が、一瞬曇った気がした。
「何かあったんですか?」
宮子が訊ねると、言い淀んでいた仁斎が声を落とした。
「健康面は問題ないよ。けど、後で老師からお話があるんだ。……宮子ちゃんは、寛斎とは親しかったね。修行をする者にとって、立派なことではあるんだ」
仁斎は、普段は表情豊かな人だ。それなのに今日は努めて無表情なことが、宮子の不安を掻き立てた。
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