第22話 はじめてのお泊まり
「お父さん、……明日、友達に泊まりに来てもらってもいいかな。ほら、お父さん出張だし、鈴ちゃんと二人じゃ心細いし。クラスの子で、菱田直実ちゃんっていうの」
朝刊を読んでいる父に、宮子は切り出した。
「それは構わんが、先方の親御さんは了承されているのか?」
「ん……今日誘うつもりなの」
「えらく急な話だが、何かあるのか?」
あの夢が本当にあったことなのか、少し自信がない。どう説明していいかわからず、宮子は代わりに質問をした。
「境内って、悪いものが入ってこられないから、安全なんだよね」
父がじっとこちらを見つめてくる。
「ああ、安全だ。中にいる人から『入っていい』と許可をもらえば別だが、基本的に勝手に入ることはできない」
言いたいことは、父に伝わったようだ。
「今日、その子と親御さんから許可をもらっておいで。今晩、先方に私から電話して、泊まりに来てもらうよう口添えするから」
父に礼を言い、黙々と朝食を食べる。
そういえば、見合いのことはまだ訊けないままだ。しかし、それ以上会話をする余裕もなく、食事を終えた宮子は急いで家事を片付け、寝起きの悪い鈴子を叩き起こして家を飛び出た。
明日泊まりに来ないかとの誘いに、直実は喜んで応じてくれた。「来週明けの登山合宿の予行演習みたい」とはしゃいですらいる。
親御さんに了承してもらうため、学校帰りに彼女の家に立ち寄る。飴色の扉を開けると、今日は母親が出てきた。ショートボブの、活発そうな人だ。直実の部屋に上がらせてもらい、彼女が話をしている間、宮子は昨日借りたまま読み損ねていた本を読んだ。
しばらくして、直実が戻ってくる。
「お泊まり、オッケー出たよ。お父さんが、『あの神社の子のとこか。ぜひ行ってこい』って」
「あれ、お父さん、家にいらっしゃるの?」
「うん。なんか、気分が悪くなって、午後から帰って来たんだって。今、横になってる」
黒い靄の瘴気に当てられたのだろうか。感覚を研ぎ澄ませてみるが、昨日のあれの気配はしない。
帰り際、直実の母親が「明日、よろしくね」と笑顔で見送ってくれた。「父が出張で、妹と二人だと心細いものですから、急に誘ってすみません、よろしくお願いします」と宮子も頭を下げる。直実の父は、とうとう姿を見せなかった。
夜、父が菱田家に電話を入れて、明日のことを頼んでくれた。
「明日、お姉ちゃんの友達が来るの? じゃあ花札しよう、花札」
アニメに出てくる花札がおもしろそうだからと、鈴子は祖父に花札を教えてもらい、以来いたく気に入っている。絵札や役の呼び名がきれいなのがツボらしい。鈴子が人見知りしない性格で助かった、と宮子は思う。
翌朝、始発電車で出張に出かける父を見送る。「本当に大丈夫か、何かあったらすぐ電話しなさい」と何度も言っていた。
確かにあの靄のことは気にかかるのだが、初めて友達が泊まりに来ることに、宮子は心を弾ませていた。
そわそわしながら授業を受け、放課後がやってきた。
「じゃあ、五時半に行くね」
「うん、鳥居の前で待ってる」
直実と別れ、宮子は小走りで家に帰った。社務所に顔を出し、事務の原田さんに声をかける。「買い物に行ってきます。閉門する五時までには戻ります」
原田さんの勤務時間は九時から五時までだが、今日は父がいないから、八時前に来てもらっている。せめて五時ちょうどに終わってもらえるよう、早く帰らなくては。
「ちょっとくらい遅くなってもいいわよ。毎日大変ね」
母が亡くなって以来、近所に住む原田さんは週五日、社務所で事務や参拝者の応対をしてくれている。自身も結婚前は巫女だったこともあり、事務だけでなく
原田さんは母とも仲が良かった。結婚が決まってから通信教育で神職資格を取った母に、実務のアドバイスなどもしていたそうだ。宮子も、晩御飯のおかずをわけてもらったり、家事のコツを教えてもらったりと、世話になっている。
「お母さんがいたら、宮子ちゃんももっと楽できるのにね」
話が怪しい方にいきそうなので、宮子は「そうですね」と適当に受け流して、自宅へと向かった。原田さんはいい人なのだが、ときどき「将来うちのバカ息子をもらってくれないかしら。八歳年上ならセーフでしょ」などと、返答に困ることを言うのだ。
原田さんは新しいお嫁さんが来ることに抵抗はないのかなと考えながら、宮子はガラガラと自宅の引き戸を引いた。音を聞きつけて、鈴子がチラシを持って走って来る。
「このチキンセット、おいしそうだよ。あ、ピザは? ピザ。私、宅配ピザ頼んだことない。頼もうよぉ」
またそんなジャンクフードを、と言いかけたが、宮子も実は興味がある。父がいないときくらい、味の濃い食べ物もいいだろう。
宮子はお気に入りの服に着替えると、鈴子お勧めのファミリーチキンセットを電話で予約した。
「お姉ちゃん、コーラも買ってきてね。あと、お菓子」
「はいはい。そのかわり、居間とお風呂とトイレの掃除しといてよ」
お店は電車で一駅のところにある。宮子は全速力で自転車をこぎ、なんとか五時前に帰宅した。神社前の門を閉め終わった原田さんが帰るのを見送り、お供え用の御飯を炊く。
五時二五分に鳥居前で待つ。空は薄紫色に暮れているが、まだ太陽は沈みきっていない。夜はまだ来ない。
しばらくして、直実がやってきた。念のため、3Dイラストを立体視するときの見方で、周りをチェックする。怪しいものは付いていない。
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