第9話 殺されて壺の中で
宮子の質問に、父は腕組みをして低くうなった。
「難しい質問だな。神道では、
「そんなあいまいなことで、いいの?」
「神道には、『
なんだかよくわからないが、あいまいでいい、という意味らしい。
「じゃあ、黄泉の国とか常世の国って、どんなところ?」
「それらに関する文献は、あまり残っていない。『古事記』には、
では、死後の世界とは、暗くて穢いのか。そんなところへ行けだなんて、沙耶には言えない。
「……お母さんも、そんなところへ行っちゃったの?」
うつむいていると、父の声がした。
「死体は、どうしたって腐る。だから古代の人達は、死体のイメージをそのまま死後の世界のイメージにしてしまったんだろうな。だが、他の考え方もあるぞ。体は腐るが、魂は
「その
「管長自らが、違います、とは言えないな。この世は予行演習で、
この世よりもいいのなら、希望が持てる。
「じゃあ、本当はもう死んでる人が、そこへ行かずこっちにいる場合、どうすればいいの?」
「あちらの世界にお送りする。体がないのに、この世に留まるのは、本人にとってもかなり大変なんだ。時間がたてばたつほど、あちらへ行きにくくなる」
少し間を置いてから、恐る恐る訊ねる。
「あの空地に結界を張ったのって、お父さんなの?」
父がゆっくりとうなずく。
「ああ、私だ。あそこに住んでいた水野さんの親戚から、お祓いを頼まれている」
水野。
その苗字に、心臓が跳ね上がる。指先から血の気が引いていく。
「あそこには昔、おばあさんが住んでいて、一時期お孫さんを引き取っていた。とても厳しくしつけていたみたいだが、本人は孫のためと思っていたんだよ。神社に来て、お母さんによく話していた。『あの子は男好きするタイプだから気をつけないと、不幸になってしまう。私が守ってやらないと』って。お母さんは、お孫さんを信用してあげてって言ってたんだがな。……しばらくしてその女の子は、再婚した東京の母親のところへ行った」
沙耶の話と同じだ。
「ところが、母親の再婚相手に魔がさした。その……義理の父親として許されないことをしようとして、誤って娘の命を奪ってしまった」
指先が震える。息がうまく吸えず、いやな汗が背中に流れる。
「母親は、なんとか夫の罪を隠そうとした。その男は、娘が自分から誘ってきたのを止めようとしてこうなった、と説明していたそうだ」
「サーヤは、そんな子じゃないよ!」
腰を浮かせ、なかば悲鳴のように叫ぶ。
言ってから、沙耶の名前を出してしまったことを悔やんだが、父はそのまま会話を続けた。
「そうだね。お母さんもそう言っていたし、私もそう思うよ。近所の人に元気よくあいさつする、いい子だった」
父は、沙耶のことを気づいていたのだ。宮子はおとなしく座り直した。
「だが、夫を失いたくない母親は、そんな嘘を信じ込もうとした。母親は、水野のおばあさんに相談して、沙耶ちゃんの遺体を壺の中に隠し、床下に埋めた」
手足を折りたたまれた沙耶の死体が、スーツケースから大きな壺に移されるところが、やけに鮮明に脳裏に浮かんだ。水色のワンピースが、暗い壺の中に吸い込まれる。長い髪の束が壺の口から出ている。それを、誰かの手が中に入れ、粘土で入り口をふさぐ。
嫌な映像を振り払うよう、頭を振る。沙耶と同じポニーテールが、空を切って頬に当たった。
「ひどい」
「おばあさんも母親も、平気なわけじゃなかったんだよ。おばあさんは、毎日のように神社に来て、お母さんと長々と話し込んでいた。御祈祷を頼むことも多くて、私も不思議に思っていたんだが、後で考えると、そういうことだったんだな。お母さんは、秘密を守る人だから」
父が、少し寂しそうに遠い目をする。
「おばあさんはだんだん痩せ細って、素人目にも何か病気にかかっている風だったのに、病院に行こうとしなかった。胃癌とわかっても、手術も治療も拒否してね。沙耶ちゃんのお母さんが無理やりホスピスに入れたんだが、入所一ヶ月で亡くなられた」
宮子はうつむいたまま、机の木目を見つめる。
「その直後、沙耶ちゃんのお母さんは自首したんだ。遺体は死後約一年半だった。警察が来て騒ぎになったが、もう六年近く前のことだから、宮子は覚えていないかもしれないな」
いくら祖母と母親も苦しんだとはいえ、一年半も壺の中で放置された沙耶の悔しさには及ぶはずがない。恐ろしい目に遭った上に、暗い土の下でひっそりと腐っていった沙耶のことを思うと、体中が熱くて苦しくて、指先が食い込むくらい拳を握りしめているのに震えが止まらない。
涙の粒がぱたぱたと落ちて、スカートの色を変える。
「遺骨は、実の父親が引き取った。水野さんの家は、十日前に親戚が取り壊したんだ。今月の始め、刑期を終えた母親が、あの家の階段から落ちて骨折してな。縁起が悪いから、と」
「母親って、もう出所したの!?」
「ああ。義父はまだ服役中だが、母親の罪は死体遺棄だから、三年以下の懲役なんだ」
そんな短い刑期で戻ってくるとは、納得ができない。
「勇気を出して家の様子を見に来たらしいんだが、足を滑らせて骨折だ。おまけに、救急車で運ばれるとき、しきりに沙耶ちゃんに謝るし、迷わず成仏してとつぶやくしで、あそこは殺された女の子の霊が出るという噂が広まったんだ」
宮子は、腕で涙をぬぐった。
「罰があたったのよ。ざまあみろだわ」
「宮子、いつも注意しているだろう。言葉には魂が宿るから、不用意なことを言ってはいけないよ。たとえ、相手に非があると思えてもだ」
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