第9話 殺されて壺の中で

 宮子の質問に、父は腕組みをして低くうなった。

「難しい質問だな。神道では、黄泉よみの国や常世とこよの国へ行く、と言われている。仏教では、死んだときの心の持ちようや積んできたごうに従って、生まれ変わるとされている。でも、お父さんも死んだことがないから、本当のところはどうだかわからんよ」

「そんなあいまいなことで、いいの?」

「神道には、『言挙ことあげせじ』という基本思想がある。あまり理屈ばかり言うのはよくない、という意味だ。論理よりも、あるがままに物事を受けとめる方がいいとされている」

 なんだかよくわからないが、あいまいでいい、という意味らしい。

「じゃあ、黄泉の国とか常世の国って、どんなところ?」

「それらに関する文献は、あまり残っていない。『古事記』には、伊耶那岐命いざなぎのみことが死んだ妻を追って黄泉の国へ行き、灯りをともしてこっそり見たら、妻は蛆がわいて醜くなっていた、とある。醜い姿を見られて怒った妻が、黄泉醜女よもつしこめたちに夫を追いかけさせた、とも」

 では、死後の世界とは、暗くて穢いのか。そんなところへ行けだなんて、沙耶には言えない。

「……お母さんも、そんなところへ行っちゃったの?」


 うつむいていると、父の声がした。

「死体は、どうしたって腐る。だから古代の人達は、死体のイメージをそのまま死後の世界のイメージにしてしまったんだろうな。だが、他の考え方もあるぞ。体は腐るが、魂は大国主命おおくにぬしのみことが支配なさる幽世かくりよに赴き、そこで本当の世界が始まる、と。その考えにのっとって亡くなった方をお祀りしているのが、この三諸教本院だ」

「その幽世かくりよは、いいところなの?」

「管長自らが、違います、とは言えないな。この世は予行演習で、幽世かくりよが本番なんだから、ここよりはいいはずだ」

 この世よりもいいのなら、希望が持てる。


「じゃあ、本当はもう死んでる人が、そこへ行かずこっちにいる場合、どうすればいいの?」

「あちらの世界にお送りする。体がないのに、この世に留まるのは、本人にとってもかなり大変なんだ。時間がたてばたつほど、あちらへ行きにくくなる」

 少し間を置いてから、恐る恐る訊ねる。

「あの空地に結界を張ったのって、お父さんなの?」

 父がゆっくりとうなずく。

「ああ、私だ。あそこに住んでいた水野さんの親戚から、お祓いを頼まれている」

 水野。

 その苗字に、心臓が跳ね上がる。指先から血の気が引いていく。


「あそこには昔、おばあさんが住んでいて、一時期お孫さんを引き取っていた。とても厳しくしつけていたみたいだが、本人は孫のためと思っていたんだよ。神社に来て、お母さんによく話していた。『あの子は男好きするタイプだから気をつけないと、不幸になってしまう。私が守ってやらないと』って。お母さんは、お孫さんを信用してあげてって言ってたんだがな。……しばらくしてその女の子は、再婚した東京の母親のところへ行った」

 沙耶の話と同じだ。

「ところが、母親の再婚相手に魔がさした。その……義理の父親として許されないことをしようとして、誤って娘の命を奪ってしまった」


 指先が震える。息がうまく吸えず、いやな汗が背中に流れる。

「母親は、なんとか夫の罪を隠そうとした。その男は、娘が自分から誘ってきたのを止めようとしてこうなった、と説明していたそうだ」

「サーヤは、そんな子じゃないよ!」

 腰を浮かせ、なかば悲鳴のように叫ぶ。

 言ってから、沙耶の名前を出してしまったことを悔やんだが、父はそのまま会話を続けた。

「そうだね。お母さんもそう言っていたし、私もそう思うよ。近所の人に元気よくあいさつする、いい子だった」


 父は、沙耶のことを気づいていたのだ。宮子はおとなしく座り直した。

「だが、夫を失いたくない母親は、そんな嘘を信じ込もうとした。母親は、水野のおばあさんに相談して、沙耶ちゃんの遺体を壺の中に隠し、床下に埋めた」

 手足を折りたたまれた沙耶の死体が、スーツケースから大きな壺に移されるところが、やけに鮮明に脳裏に浮かんだ。水色のワンピースが、暗い壺の中に吸い込まれる。長い髪の束が壺の口から出ている。それを、誰かの手が中に入れ、粘土で入り口をふさぐ。

 嫌な映像を振り払うよう、頭を振る。沙耶と同じポニーテールが、空を切って頬に当たった。

「ひどい」


「おばあさんも母親も、平気なわけじゃなかったんだよ。おばあさんは、毎日のように神社に来て、お母さんと長々と話し込んでいた。御祈祷を頼むことも多くて、私も不思議に思っていたんだが、後で考えると、そういうことだったんだな。お母さんは、秘密を守る人だから」

 父が、少し寂しそうに遠い目をする。

「おばあさんはだんだん痩せ細って、素人目にも何か病気にかかっている風だったのに、病院に行こうとしなかった。胃癌とわかっても、手術も治療も拒否してね。沙耶ちゃんのお母さんが無理やりホスピスに入れたんだが、入所一ヶ月で亡くなられた」

 宮子はうつむいたまま、机の木目を見つめる。


「その直後、沙耶ちゃんのお母さんは自首したんだ。遺体は死後約一年半だった。警察が来て騒ぎになったが、もう六年近く前のことだから、宮子は覚えていないかもしれないな」

 いくら祖母と母親も苦しんだとはいえ、一年半も壺の中で放置された沙耶の悔しさには及ぶはずがない。恐ろしい目に遭った上に、暗い土の下でひっそりと腐っていった沙耶のことを思うと、体中が熱くて苦しくて、指先が食い込むくらい拳を握りしめているのに震えが止まらない。

 涙の粒がぱたぱたと落ちて、スカートの色を変える。


「遺骨は、実の父親が引き取った。水野さんの家は、十日前に親戚が取り壊したんだ。今月の始め、刑期を終えた母親が、あの家の階段から落ちて骨折してな。縁起が悪いから、と」

「母親って、もう出所したの!?」

「ああ。義父はまだ服役中だが、母親の罪は死体遺棄だから、三年以下の懲役なんだ」

 そんな短い刑期で戻ってくるとは、納得ができない。

「勇気を出して家の様子を見に来たらしいんだが、足を滑らせて骨折だ。おまけに、救急車で運ばれるとき、しきりに沙耶ちゃんに謝るし、迷わず成仏してとつぶやくしで、あそこは殺された女の子の霊が出るという噂が広まったんだ」

 宮子は、腕で涙をぬぐった。

「罰があたったのよ。ざまあみろだわ」

「宮子、いつも注意しているだろう。言葉には魂が宿るから、不用意なことを言ってはいけないよ。たとえ、相手に非があると思えてもだ」

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