第10話 血しぶき模様のカーテン

「でも、悪いのはサーヤの母親なのに……」

「よくない言葉を発すると、自分自身が穢れてしまう。自分のために、やめた方がいい」

 納得できない宮子が生返事をすると、父は咳払いをして続けた。

「それで、幽霊の噂を払拭し、母親の怪我も治るようにと、親戚からお祓いを頼まれたんだ。わざわいををなすものを封じ、供養して欲しいと」

わざわいって……。沙耶は悪くないよ。どうみても被害者じゃない。殺された上に、悪霊扱いなんて、あんまりよ」

 無理やり封じられて供養されるのが、本人にとって最善の方法とは思えない。


「そうだな、悪くはないな」

 父が、穏やかに言う。

「けれども、そのままにしておくと、御霊みたまが自然霊と溶け合って、意思も理性も失った単なる『わざわいをなすもの』になってしまう。本人にとってもつらいことだと思うよ。自分が乗っ取られてしまうのだから」

 肯定も否定もできず、宮子は唇を噛んだ。

「だから、その前に、沙耶ちゃんをあちらへ送ってあげよう」

 父が諭すように言う。

「親戚の方が参列できる日を待っていたのだが、こうなったら早い方がいい。明日、沙耶ちゃんの御霊祀みたままつりをしよう。あちらには事情を説明しておく」

 父は供え物が載ったお盆を持って、渡り廊下へと去って行った。


 ──サーヤのために、いちばんいいこと。

 たぶん、父に供養してもらうのがいちばんなのだろう。「わざわいをなすもの」になってしまう前に。沙耶が沙耶であるうちに。

 でも、無理強いはしたくない。沙耶は思い残すことがあるから、この世に留まっているはずだ。なんとか、彼女の未練を取り去ってあげたい。


 宮子は神殿の電気を消し、外へ出た。月のない夜空は暗い。気を紛らわせようと、光の粒を集めて何か作ろうとした。が、何を作っていいか思いつかない。渦巻き状にしてぐるぐる回していると、炎をまとった真っ赤な鳥が現れ、頭上で振り返った。

「きゃあっ」

 驚いて尻もちをつくと、鳥は光の粒に変わり、闇と同化した。人の気配に振り向くと、寛太が立っている。

「下手な同情は、相手のためにならないぞ」

 そう言うと、寛太は闇の中へと去って行った。



 目が覚めると、宮子は知らない家に迷い込んでいた。

 薄暗い廊下の先に、扉の開いた部屋がある。覗いてみると、電気は点いておらず、ぼんやりと明るいカーテンが見えた。壁の一面を覆い尽くす、水玉模様の大きなカーテンだ。不揃いな丸い柄が、外から照らされてシルエットになっている。それにしても不揃いな水玉模様だな、と宮子はカーテンを凝視した。

 それは水玉模様ではなく、血しぶきだった。

 模様と勘違いするほど、カーテン中に飛び散っているのだ。

 床は、一面の血の海だ。その中に、女の人がうつ伏せに倒れている。傍らには、男の子が座り込んでいた。泣くことすらできず、表情を失った顔で、虚空を見つめている。

 ──寛太君。

 廊下から足音がして、父親らしき男の人が現れた。彼は目を見開いて硬直し、我に返ったように絶叫した。走り寄ろうとして血で足が滑り、床に倒れ込む。血だらけになりながら這っていき、女の人を抱き上げる。が、あまりに深く切られた首の傷のせいで、ウェーブのかかった長髪の頭が不自然に垂れ下がり、男の人はまた叫ぶ。その声を聞いても、寛太は動かない。眉ひとつ、動かさない。


 場面が急に切り替わった。包丁を持ち、裸足で玄関を飛び出す寛太を、父親が追っている。門の手前で、父親が寛太を抱きとめる。その腕を振りほどこうと、寛太は大声で叫びながら暴れていた。吊りあがった目に、やはり涙はない。

 父親は、自分の手を傷つけながら、息子の手から包丁を奪い取り、庭の植え込みに投げる。武器を奪われた寛太は、それでも必死でどこかに行こうと前進しながら、繰り返す。

 ──殺してやる! 殺してやる!

 父親は泣きながら、何度も何度も寛太の名前を呼び続ける。開け放たれた玄関の奥から、テレビの音声が聞こえてくる。

 ──繰り返します。主婦強盗殺人事件の犯人が逮捕されました。犯人逮捕、犯人逮捕です。


 再び目が覚める。今までのことが夢だったのか。

 すぐに状況が呑み込めず、宮子はあたりを見回した。カーテンから、光が差し込んでいる。黄緑色の無地のカーテンで、もちろん水玉模様はない。時計は、四時半を指していた。夢のせいで、まだ心臓がどきどきしている。

 起き上がって寝汗を拭きながら、宮子はカーテンを開けた。サッシの鍵に手をかけようとして、境内の木の下に寛太が座っているのを見つけた。結跏趺坐けっかふざの姿勢で瞑想している。母親に回向えこうするためだろうか。微動だにせず座る寛太の目には、やはり涙など浮かんでいない。


 そっとカーテンを閉める。泣けない寛太の代わりなのか、涙がにじんでくる。

「実の子を手放すなんて冷たい」と寛太の父親を非難したのを、申し訳なく思った。寛太の荒れて閉ざした心には、人の手のぬくもりでは足りないのだ。もっと強烈な光でないと、彼を救えない。だから、寛太の父親は、息子を玄斎に託したのだ。


 ──泣いていてくれた方が、よかった。

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