第20話 娘の体をくれ

 物音で、宮子は目を覚ました。

 暗い部屋の中で耳を澄ませたが、何も聞こえない。もうひと寝入りしようと寝がえりを打った途端、宮子の体は空中で回り、下向きになった。


 眼下に、ベッドで寝ている自分の姿が見える。


「え、ちょっと待って。何これ」

 焦って、自分の顔や体を触る。が、体があるはずなのに手がすり抜けてしまう。これが幽体離脱というものなのだろうか。

 ベッドの上の実体に近づき、重なるよう寝転がってみた。が、体に戻れないし、感覚もない。もしや自分は死んだのかと不安になったが、眠っている実体は規則正しく呼吸をしており、命に別条はないようだ。


 ──これは、夢?

 金縛りに遭うと、胸の上に怪物が乗るという話をよく聞くが、あれは「胸の上に怪物が乗っているリアルな夢を見ている」だけらしい。とすると、これは「幽体離脱をしたリアルな夢」ではないか。

 宮子は浮いたまま窓に向かい、手を伸ばしてみた。指先がカーテンやガラスには触れず、そのまますり抜けていく。今度は、思い切って体ごと飛び出してみる。ほんの少し抵抗を感じた後、全身が解き放たれたような開放感があった。


 目を開けると、自分の体が夜の境内に浮かんでいる。


 怖くないと言えば嘘になるが、好奇心の方が勝った。せっかく意識のある夢を見ているのだから、いろいろ試してみたい。

 早速、空を飛ぶところを想像した。

 体が急上昇し、神社の屋根が小さくなっていく。慌てて「止まれ」とイメージすると、空中で静止した。そういえば以前寛太が、「修法はどれだけ具体的に想像できるかが勝負なんだ」と言っていた。宮子は慎重に、「これくらいの速度でこの方向に飛ぶ」とイメージした。

 だんだんコツがつかめてきたので、いつもの通学路を鳥のように滑空する。月明かりに白々と光る校庭に着く。校舎も眠っているように静かだ。


 上昇すると、見覚えのある赤い屋根が目に入った。直実の家だ。彼女は眠っているだろうか。ちょっと覗いてみようと、そちらに進路を取る。

 ゆっくりと高度を下げ、二階の窓を順に覗いていった。青いカーテンが直実の部屋のはずだ。さすがにもう寝ているのだろう、真っ暗で、起きている気配はない。

 そろそろ体に戻ろうとして、宮子は下に何かがいるのを感じた。


 ──何、あれ。

 そっと地面に下りる。一階の窓から、黒い靄がたなびいている。

 そういえば昨日の夕方、直実の父の足に黒いものが巻きついていた。あれは、やはり良くないものだったのだ。


 気づかれないよう、靄の出ている部屋に近づく。頭を壁に突っ込む。チリチリと、かゆいような抵抗を感じた後、顔が壁の向こうに出た。

 暗い寝室のベッドの足元に、黒い靄が集まっている。夜の闇とは違う黒色だ。

 その中央に、白い双眼が光っている。目の持ち主が、寝ている人物の胸元へ這っていく。大きさはネコくらいか。

 うなされる声が聞こえる。ベッドの主は、やはり直実の父だ。苦しそうに呻いていたが、弾かれたように上半身を起こした。


 汗を拭い、荒い息と共に直実の父が顔をあげると、太ももの上にいるそれと目が合った。

 直実の父が顔をゆがめ、ひいっ、と短く悲鳴をあげた。しばらく硬直していたが、大きなため息を一つつくと、自嘲気味に笑った。

「これは、夢だ」

 さすがは無神論者だ。

 信念ゆえの強情さに感心しつつ、宮子は成り行きを見守る。こちらの方が、心臓が早鐘を打ち、苦しくなってくる。


「金縛りは、体が寝ているのに脳が起きている状態と、科学的に証明されている。その際、怪物が胸に乗っていて苦しいという幻覚が出ることも、世界的に共通している。だから、こいつは存在してはいない」

 台詞を棒読みしているみたいな口調だ。たぶん、自分に言い聞かせているのだろう。


「ほう、私が幻覚だと。お前にとって存在していないなら、何をしてもいいと?」


 どこから発せられたのか、性別のわからない子どものような声が部屋の中に響く。

「私は、三日前にお前が壊した小さなほこらに祀られていたものだ」

 靄がはっきりと動物の形を作る。

「昔、あのあたりの木を切り倒したときの不注意で、私は命を絶たれた。憐れんだ人間が、あそこに祠を建てたのだ。おとなしく共存していたのに、迷信を否定するパフォーマンスのために、酒に酔ったお前は祠を壊した」

 父が福沢諭吉のようなことをした、と直実が言っていたのを思い出す。直実の父が祠を壊したときに、恐らく何かが服か靴に付着して、連れ帰ってしまったのだろう。


 直実の父が、こわばった顔でなおも続ける。

「これは夢だ。私自身が無意識のうちに、祠を壊したことに罪悪感を持っているから、こういう夢を見るのだ」

 靄が直実の父の腹ににじり寄る。四本の手足としっぽ、小さな三角の耳がうっすらと見える

「お前がどう考えようと勝手だが、償いはしてもらう。代わりの棲みかを提供しろ」

「これは幻聴だ」

 直実の父が耳をふさぐ。しかし、あの声は鼓膜から聞こえる類のものではないから、無駄だろう。


「祠を用意できないなら、人間でもいいぞ。あれはなかなか良い容れ物らしい。特に若いのが。……お前には、娘がいるな」

 まずい展開になった。宮子は割って入りたい衝動を抑えながら、成り行きを見守った。

「娘は関係ないだろう」

 直実の父は、耳をふさいでいた手を下ろし、黒い靄に向き直った。


「お前の娘という時点で大ありだ。祠を建てる気がないなら、娘の体をくれ」

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