第4話 おそろいの髪飾り

「……お母さんは死んじゃったんだ。そのとき、ひどい噂が流れてね。あそこの母親は、神様に気に入られて取られたんだ。だから、その娘と仲良くすると、一緒に連れていかれるぞって」


 宮子の母は、ある日突然、眠っている最中に息を引き取った。幼い鈴子が夜中に突然泣き出したので、父が起きてあやしていると、宮子が泣きながら廊下を走ってきたのだという。「連れていかないで」と繰り返しながら。母の異変に気づいた父が救急車を呼んだが、すでに手遅れだった。

 そのときの記憶は、宮子の中からすっぽりと抜け落ちている。覚えているのは、病院の廊下で父が泣いていたことと、慌ただしく過ぎた葬儀の断片くらいだ。

 柏木家は早死にの家系で、祖父母はすでに他界している。宮子自身も「神社が怖い」と言って神殿に近寄らなかったり、県内の吉野に住む母方の祖父母の家に行きたがったりした時期がある。噂が立ったのも無理はない。


 車道に出たため、車のエンジン音で会話が中断された。沙耶の手が、宮子の肩に触れる。励まされているようで嬉しくなり、宮子はスピードを上げてペダルをこいだ。

「ねえ、そろそろ、こぐの代わるよ」

 後ろから沙耶が言う。

「え、いいって。まだ大丈夫」

「でも、すごい汗だよ。Tシャツが、背中に貼りついてる」

 確かに、この炎天下で二人乗りはこたえる。宮子は、少し歩道が広くなっているところに自転車を止めた。

「じゃあ、お願いしちゃおうかな」

 運転を交代し、宮子は荷台に腰かけた。自転車の後ろに乗るのは、はじめてだ。いつも眺めている三諸山が少しずつ遠ざかり、灰がかった青色になっていく。整った円錐型は、修行場であるのもうなずける美しさだ。


 交代で自転車をこぎ、ようやくサファイアタウンにたどりつく。自転車を停めて、自動ドアの中に入ると、警備員がこちらに来た。びくりとして立ち止まる宮子を、沙耶がうながす。

「大丈夫。若そうだから、学生バイトだよ。滅多に注意してこないから」

 何事もなく警備員とすれ違い、ほっとしてため息をつくと、その涼しさに顔がほころんだ。

「あー、気持ちいい!」

 近所のスーパーでもクーラーはきいているが、においが違うのだ。甘い香りが、フロア中に漂っている。

「いいにおい。香水かな?」

 香水というと、授業参観のときによそのお母さんたちがつけてくるむっとする匂いしか知らないが、これは清涼感がある。

「たぶん、あれよ」

 沙耶が指さした店には、赤やオレンジ、色とりどりの四角いものが並んでいる。

「うわ、おっきなキャンディー。おいしそう」

 沙耶が、手を打って笑いだす。

「あれ、石鹸よ」

 半信半疑の宮子が近寄って触ってみると、確かに石鹸だ。沙耶はまだ笑っている。

「そんなに笑わなくてもいいじゃん」

「ごめんごめん。でも、確かにおいしそうな色とにおいだよね」

 案内板でどんな店があるかをチェックする。家族連れや高校生の集団、大学生くらいのカップルと、道行く人たちも様々で、みんな楽しそうだ。

 ──今度は、鈴子も連れてきてあげたいな。


 とりあえず端から順にウィンドウショッピングをする。雑貨屋でぬいぐるみで遊んだり、文房具屋でかわいいノートを買おうかどうか迷ったり、「大人になったらこんなのを着たいね」と、ディスプレイの服を着た未来の自分たちを想像したりするだけで、時間があっという間に過ぎていく。

 パワーストーンの店の前で、沙耶が立ち止まる。

「あたし、こういうの好きなのよ。ほら、きれいでしょ。この深いピンク色のはインカローズ。そっちの青いのはラピス。願いが叶う石って言われてるやつ。宮子は、パワーストーンとか興味ない?」

「よくわかんないけど、きれいでいいよね。私も、同じようなのは持ってるよ」

 そう言って宮子は、首にかけた紐を手繰りよせ、淡い緑色の勾玉を沙耶に見せた。

「あ、翡翠じゃん。いいなー。でも、なんで服の中に隠してるの?」

「お母さんの形見だから肌身離さずつけていなさいって言われたんだけど、学校はアクセサリー禁止でしょ。だから、服の中に隠す癖がついちゃった」

 そっか、お母さんの形見か。沙耶はつぶやいて歩き始め、突然振り返って言った。


「形見じゃないけど、何かおそろいのものを買おうよ。身につけられるもの」

 迷った挙げ句、オレンジ色の花がついた髪飾りを買った。値段も手ごろだし、二人とも髪が長いから、ポニーテールにつければよく映えるだろう。

 つけ合いっこをしようと、二人でトイレに入る。宮子は、低い位置で束ねていた髪を、沙耶と同じポニーテールにしてもらった。ななめを向いて、二人並んで鏡の前に立つ。

「なんか、双子みたい」

 沙耶が首を振って髪を揺らす。

 鈴子にも何か買ってあげたかったが、やめておいた。ここに来たことがばれてしまうからだ。

 二人はおそろいの髪飾りをつけたまま、自転車に乗り、元来た道を帰った。


「サーヤ、家はどこなの? 送るよ」

 一瞬の間の後、沙耶が小声でつぶやいた。

「いいよ、あの空地で。おばあちゃんが厳しいし。うちの親、離婚したんだけど、原因はママの浮気だったんだ。だから、おばあちゃん、『こんな娘に育てた覚えはない、ご近所様に恥ずかしい』って、実家に帰ったママのこと追い出しちゃった」

 宮子が返す言葉に詰まっていると、沙耶が慌てて言い足した。

「あ、ママだけが悪いんじゃないのよ。パパだって、仕事仕事って、誰も知り合いがいない転勤先で、ママのこと放っておいたんだもん。パパの分のご飯を置いたテーブルの前で、電話を気にしながら、夜遅くまでじぃっと座ってて、ママかわいそうだった。おばあちゃんは頭が固いから、『娘に育てさせたらこの子までふしだらになる』って、あたしのこと引き取ったの」


 しんみりし始めた空気を打ち砕くように、沙耶がおどけた口調で続けた。

「最初に言われたのが、『ブラジャーしなさい』よ。あたし、小四くらいから胸がふくらんじゃったんだけど、『子どものくせに、ませている。このままじゃ、男を誘うような毒婦になる』とか言うの。毒婦だよ、ドクフ。胸がふくれたのは、あたしのせいじゃないのにさ。息苦しいし、制服のブラウスから透けると男子にからかわれるし、ブラジャーなんて大嫌い。キャミソールとか、胸元の開いた楽な服は全部取り上げられて、ぴっちり詰まった地味な服ばっかり着せられるし、もう最悪」

 胸が大きいと、いろいろ苦労も多いようだ。宮子は、真っ平らな自分の胸をありがたく思った。

「しつけも厳しくてさ。ママのことでむきになってたんだろうけど、ひどいのよ。お客さんにお茶を出すでしょ、こぼしちゃったらもちろん、茶卓の木目模様が机に平行じゃなかっただけでも、後で説教されるの。言い訳なんてしようもんなら、『不倫なんかする親に育てられたから、根性が曲がってるんだ。叩き直さなきゃ』って、ものさしで手の甲を打つの。いつの時代よって感じでしょ? だからママが、再婚するから東京で一緒に暮らそうって迎えにきてくれたときは、迷わずついていった」


「……ひどい話。でも、今は東京で楽しく暮らしてるんだよね?」

 後ろから、返事はなかった。

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