第5話 「ああいうの」って

 空地の前で、宮子はブレーキをかけた。沙耶が勢いよく飛び降りる。

「あ」

 沙耶の視線の先を追うと、金剛杖を持った寛太がいた。修行帰りなのだろう。


「お疲れさま」

 宮子は軽く会釈をした。立ち止まった寛太が、睨むような目でこちらを見ている。

「知り合い?」

 沙耶が耳打ちする。

「うん。うちに泊まってる行者さんのお弟子さん」

「ふうん」

 沙耶までが、険しい顔をする。とりあえず、この二人を引き離さなくては。宮子は寛太の方を向き、極力明るく言った。

「玄斎様と一緒じゃなかったの? 汗かいたでしょ。うちでシャワー使って。さ、帰りましょう」

 今度は沙耶に声をかけようと空地の方を振り向いたが、どこにもいない。


「あれ、サーヤ? もう帰っちゃったんだ」

 次の約束をしたかったのに。仕方なく自転車を反転させて家へ帰ろうとすると、寛太が後ろからぼそりと言った。

「ああいうのと付き合わない方がいい。管長さんが心配するぞ」

 校区外へ二人乗りで行ったことが、ばれたのだろうか。思わず耳が熱くなる。

「い……いいじゃない別に。まあ、二人乗りは悪かったと思うけど。見かけがちょっと大人びてるだけで、サーヤは不良じゃないよ。『ああいうの』って失礼じゃない」

 振り返った宮子の剣幕に驚いたのか、寛太が立ち止まる。


「ああ、そうか。お前にはわからないんだったな」

「……何が?」

「いや、何でもない」

 きょとんとしている宮子を追い越し、寛太が一礼して鳥居をくぐり、境内へ入っていく。


 社務所にいる父に「ただいま」とあいさつをし、自宅へ戻る。そろそろ晩御飯の支度をしなければいけない。

 神饌しんせんのおさがりの野菜を見つくろって晩御飯を作っていると、鈴子のせわしない足音が近づいてきた。

「あ、お姉ちゃん、その髪飾り、どうしたの?」

 見つからないうちに取ろうと思っていたのに、忘れていた。宮子は、髪飾りを隠すように振り向いた。

「いいなー。鈴子も欲しい。ちょうだい!」

「だめよ。これは、お姉ちゃんの。鈴ちゃんは髪が短いから、つけられないでしょ」

 煮物がチリチリと煮詰まる音がする。宮子は慌ててコンロの火を切った。

「ずるい、お姉ちゃんだけ。鈴子も、欲ーしーいー!」

 鈴子が地団駄を踏む音にかぶさって、炊飯器のメロディが鳴り響き、いらいらを募らせる。

「もう、うるさい! そんなことより、お皿並べるの手伝ってよ」

 つい口調がきつくなった。とたんに、鈴子が大声で泣き出す。

「ごめん、ごめん。じゃあ、同じようなのを作ってあげるから」

 顔をくしゃくしゃにして泣く鈴子を、宮子は必死でなだめた。やはり、何かお土産を買ってくれば良かった。父は男親だから、かわいい物には気が回らない。鈴子だって、髪飾りやアクセサリーが欲しいのだ。


 声を聞きつけて、父が入ってきた。

「どうしたんだ」

 鈴子が一目散に父の元に走り寄って、白衣の袖を引っ張る。

「鈴子も髪飾りが欲しいのに、お姉ちゃんだけ、ずるいの」

 しまった。遠くまで出かけたのがばれてしまった。

「見ない髪飾りだな。買ってきたのか?」

 父の口調は、特に怒っている風でもないが、後ろめたさの分だけ萎縮してしまう。

「はい。お小遣いで」

「どこで?」

 日頃から、「嘘はつくな」と教えられているから、ごまかせない。

「……サファイアタウン」

「あんな遠くまで行ったのか? 誰と?」

 沙耶のことは言えない。もし、おばあさんに知られたら、沙耶が折檻されてしまう。口を閉ざしていると、父が静かにうながした。

「別に、怒ろうというわけじゃない。ただ、先方の親御さんに会ったら、あいさつくらいしなきゃいかんだろう」

「言わないで! ばれたら、サーヤが怒られちゃう」

 つい口が滑ってしまった。観念して、うなだれる。


「サヤちゃんというのかね。どこの子だい?」

「水野沙耶ちゃん。家は知らないの。東京に住んでるけど、夏休みはおばあさんの家にいるって」

 父は、「水野」という名前を何度かつぶやいた。

「その水野沙耶ちゃんは、宮子の友達なんだな」

「はい。……サーヤは、悪くないの。だから、お家の人には黙っててあげて。おばあさんが、ものさしで手の甲を打つんだって」

 父は腕組みしていたが、拍子抜けするほどすんなりと言った。

「今度だけは黙っておこう。ただし、これからは、どこへ誰と行くか、前もって言ってから出かけるんだぞ」

 父が、かがみこんで鈴子を抱き上げる。

「鈴子には、お父さんが髪飾りを買ってやろう。来週、手伝いの神主さんが来るから、ここを空けられる。サファイアタウンに行ってみるか」

 鈴子が歓声をあげる。緊張が解けて、宮子は思わずため息をついた。

「そろそろ玄斎様が戻って来られるぞ。お父さんは神棚に御飯を供えてくるから、鈴子はお皿を並べて。宮子、おかずを頼むぞ」


 次の日、宮子は父に断ってから、空地へと向かった。電話帳を調べたが、この近所に水野という家はない。また沙耶に会うには、あそこで待つしか方法を思いつかない。塀の陰に座っていると、沙耶がひょっこりと現れた。

「ふふ、宮子見ーつけ」

「サーヤ! よかった、会えて。昨日、大丈夫だった? おばあさんに怒られなかった?」

 手をひらひらとさせて沙耶が笑う。

「ダイジョブ、ダイジョブ。だって、帰ったの、五時前だったし。宮子、もしかして、怒られた?」

「ううん、怒られはしなかったけど、サファイアタウンに行ったの、ばれちゃった。妹が、この髪飾りに気づいて」

 頭につけたオレンジの髪飾りを指さす。

「そっか。女の子はやっぱり鋭いね」


「で、ごめん。サーヤの名前、お父さんに言っちゃった。絶対に、家族の人に声をかけないで、とは言っておいたけど」

 沙耶の顔が曇る。

「……お父さん、神主だっけ」

「うん。もしかして、サーヤの家、うちの氏子さん?」

 沙耶が答えずに後ろを向く。やはり、沙耶は昨日、おばあさんに怒られたのではないだろうか。だって、今日も水色のワンピースを着ているのだ。型違いではなく、全く同じ服を。

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