第3話 秘密のお出かけ

 社務所の流しでグラスを洗いながら、宮子は父に話しかけた。

「寛太君って、私と同い年なんだね。……寛太君って、呼びにくいな。苗字は何て言うの?」

「須藤寛太君だ。玄斎様の内弟子になって実家を出ているし、出家得度したら法名で呼ぶことになるから、今は『寛太君』でかまわんだろう」

 グラスをすすぎ終え、タオルで手を拭きながら訊ねる。

「じゃあ、玄斎様の庵にずっと住むの? お母さんは亡くなってても、お父さんはいらっしゃるんでしょ?」

 父が、あたりを見回す。鈴子が聞いていないか、確認しているのだろう。当の鈴子は、この時間はお気に入りのアニメを観ているはずだ。


「もちろん、お父上はいらっしゃる。だが、玄斎様のそばにいる方がいいと納得した上で、寛太君が内弟子になることを承諾されたのだよ」

「でも、実の子を手放すなんて」

 周りを拒むような寛太の雰囲気は、そのせいかもしれない。

「寛太君のお母さんは、事件に巻き込まれて、あまりよくない亡くなり方をされている。それもあって、玄斎様は、寛太君を手元に置こうとお考えなのだ。親というのは、いつでも、子にとって最善の道を願うものだ。手放して平気なわけじゃないさ」

 父が少し寂しそうに見えるのは、寛太の父親と自分が重なるからかもしれない。


 母が死んで間もないころの父を思い出す。慣れない手つきで作ってくれた父の料理を、宮子は「おいしくないし、お母さんの味と違う」と手をつけなかった。言ってから、しまったと思ったが、父は悲しそうな顔をしただけだった。

 その夜、トイレに行こうと部屋を出ると、一階から物音がした。台所を覗くと、父が料理を作っていた。神主は朝が早いのに、何度も本を見て、「ニンジンを先に入れて、キャベツは後」とつぶやきながらフライパンを動かし、丁寧に計りながら調味料を混ぜていた。

 父の料理はだんだんおいしくなったが、逆に宮子にはいたたまれなかった。だから、宮子も専用の足台を置いて父と一緒に流しに立つようになった。社務所のパート事務員の原田さんから料理を教えてもらい、今では一人で台所を仕切っている。

 一歳と六歳の娘二人を男一人で育てるのは大変だからと、母方の祖父母が自分たちを引き取ろうとしたと、後で聞いた。しかし、父は頑として首を縦に振らなかったそうだ。父方の祖父母はすでに亡くなっており、母方の祖父母や近所の人に協力してもらいながら、父は自分たちを育ててくれた。

 そんな父と比べると、やはり寛太の父親のことは、冷たいと思ってしまう。寛太自身は、自分の境遇をどう思っているのだろうか。


 翌日、昼御飯の片付けを終えた宮子は、約束通り空地に向かった。

 鈴子をまくのは大変だったが、「友達と遊びに行く」と言うと、父は快く送り出してくれた。宮子に友達がいないのを、秘かに心配していたのだろう。

「時間ぴったし。宮子はやっぱり真面目だねぇ」

 いつの間にか沙耶が空地に現れた。水色のワンピース姿なので、あれ? と思ったが、きっと昨日のとは同じ色の別物なのだと考え直す。

「ホントに行くの? 先生に見つかったら、まずいことになるよ」

「あたしは、ここの生徒じゃないし。大丈夫、見つかっても、親と待ち合わせしてますって言えばいいのよ。さ、早く。宮子が一緒じゃなきゃ、行けないんだから」

 一緒に行きたいと言ってもらえるのは、素直に嬉しい。

「でも、どうやって行く? バスだと、子ども二人じゃ乗りにくいし。自転車にする?」

「あたし、持ってない。宮子、後ろに乗せてよ。交替でこごう」

 二人乗りはルール違反だが、沙耶とおしゃべりしながら自転車に乗るのは、なんだかとても楽しそうに思えた。

「待ってて。自転車取ってくるから」

 宮子は走って家に戻り、社務所にいる父と鈴子に見つからないよう、そっと自転車を動かした。砂利道は派手に音が鳴るので、ひやひやする。道路に出ると、宮子は勢いよく自転車に乗り、沙耶が待つ空地へと向かった。


「宮子、遅い」

 沙耶が、汗ひとつかかずに笑っている。宮子はサドルにまたがったまま声をかけた。

「ごめんごめん」

 こちらに来てくれると思ったのに、沙耶は突っ立ったまま動かない。

「どしたの、サーヤ。気分でも悪い? 早くおいでよ」

 そう言ったとたん、沙耶は嬉しそうに駆けてきて、荷台に横座りになった。

「さ、出発進行!」

 沙耶の掛け声と共に、宮子はペダルを踏みしめた。沙耶は大人っぽい体つきなので重いだろうと気合いを入れたのに、拍子抜けするほどすんなり動く。

「あれ? サーヤ、軽いんだね」

「失礼ね、どれだけ重いと思ってたのよ!」

 公園の手前で、自転車に乗った女の子三人が反対側からやってきた。すれ違いざまに「こんにちは」と声をかけたが、向こうはあいまいに会釈を返しただけだった。


 女の子たちが見えなくなってから、沙耶が耳打ちしてくる。

「今の、クラスの子?」

「うん」

「もしかして宮子、友達いない?」

 痛いところを突かれた。宮子は、いじめやシカトの対象ではないが、特に親しい子もおらず、教室ではいつも一人で本を読んでいる。

「……バレちゃったか。いじめられてるわけじゃないんだけどね。なんとなく、一人でいるポジションが決まっちゃって」

「いつから?」

「幼稚園のころから。私は覚えてないんだけど、誰もいない席に『食べる?』っておやつを持っていったり、一人でブツブツ会話をしてたんだって。『こいつは宇宙人のスパイで、地球の様子を報告してるんだ』って、男の子によくいじめられたなぁ。小学校に上がってからは、逆に怖がられた。こいつは霊が見えるんだって噂が立って。ほら、うち、神社だし、お母さんは霊能力があるって言われてたから、余計にね。私は、そんなの全然見えないのにさ」

「なんか、宮子らしいなぁ」

 後ろから、沙耶の笑い声が聞こえる。

「あ、ひどい。私だって、普通に友達と、他愛もないおしゃべりとかしたかったんだから」

「ごめんごめん。そうだよね。宮子は悪くないのに。……親は、何も言わなかったの?」

 宮子の背中を、汗が流れる。

「お父さんは、何があっても明るくあいさつしていれば、なんとかなるって。おかげで、いじめだけは免れたかな。……お母さんは」

 沙耶になら話せそうな気がして、宮子は先を続けた。

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