第12話 呪い殺したい相手

「鈴ちゃん、お父さんを呼んできて!」

「でも……でも、お父さん、どこ~?」

 鈴子が泣きじゃくる。そうだ、父は出かけていた。

 沙耶の力は強く、必死で踏ん張っても結界へと引き寄せられていく。長くはもたない。どうすれば……。

 誰かが走ってくる足音がする。振り向くと寛太がいた。彼は短く真言を唱えると、掛け声と共に金剛杖で沙耶の手を打った。


「ぎゃあっ」

 沙耶の手が離れた。反動で尻餅をつきながら、手を引っ込める。握られたところが、赤黒く変色している。

「なにするのよ、このくそボウズ!」

「ああ、来週には坊主になるさ。お前こそ、自分ばかり憐れむのはよせ」

 寛太が沙耶の前に立ちはだかって、宮子と鈴子を隠す。


「うるさい! あんたなんかにわかるもんか。義理の父親にひどい目に遭わされて、それなのにママは、あたしよりあいつを信じた上に、あたしを壺の中に隠した。おまけに、この姿を見て逃げ出したのよ! 絶対に許さない。追いかけて、追いつめて、泣きながら詫びさせてやる。ママも同じくらい不幸になればいいんだ」

 沙耶の大きな口がゆがみ、皮肉めいた笑みを浮かべる。


「そうか。じゃあ、お前の望み、叶えてやろうか」

 寛太が低い声で言う。後ろ姿だから、表情は見えない。

「行者の修する護摩に、調伏法ちょうぶくほうというのがあってな。昔から、敵を呪い殺すのに使われていた。現代でも、一般に知られていないだけで、裏ではよく行われている。呪われた相手は、病気で衰弱したり、事故に遭ったりして、死に至る」

 密教にそのような修法があることは、宮子も知っている。しかし、かなりの修行を積み、師僧に認められた者以外には秘されているはずだ。


「俺にも、呪い殺したい奴がいてな。まだ法は伝授されていないが、自分なりに調べた。見よう見まねなら、修することができるぞ。それなりに効果もあるはずだ」

 沙耶が動きを止める。

「呪いたい相手の住所と名前、生年月日がわかればいい。さあ、母親の名前は?」

 沙耶は唇を噛んだまま、一言も発さない。

「どうした? 名前だよ。……そうか、義理の父親の方を先にやって欲しいか。じゃあ、二人まとめて呪い殺してやるよ。ほら、名前は?」

 上目遣いに寛太をにらんでいた沙耶が、眉根を寄せて目をそらした。その表情はどこか、哀しそうだった。


 寛太が小さくため息をつく。彼は、腰紐に挿した小さな錫杖しゃくじょうを取り出し、静かに振った。凛とした音が響き渡る。

「お前、本当は、母親を呪いたいわけじゃないだろう。母親が『悪かった』と泣いて謝って、今度こそ愛してくれることを期待しているんだろう」

 沙耶がうつむいて顔を隠す。


「憎めないんなら、もう赦してやれよ」

 寛太が、光明真言を唱え始めた。異国の音楽のような調べが、空き地に流れる。

「やめて、やめてよ! 赦したりなんかしたら、あっちに行ったら、もうママに会えなくなっちゃう。やめてってば!」

 沙耶の肩が、小刻みに震える。

「あたしはただ、ママに会いたかっただけなのに、ママが逃げたりするから……」


 真言を何回か唱えた寛太が、宮子に耳打ちする。

「このままそっとしておこう。あとは、管長さんにお任せすればいい」

 寛太が鈴子を連れて、神社へ戻ろうとしている。が、宮子は動けなかった。

 本当に、これでいいのだろうか。自分がもし沙耶だったら──。


 宮子は沙耶に走り寄り、周りを囲う注連縄しめなわをほどきにかかった。

「バカ、よせ! 結界が破れる」

 寛太が慌てて戻ってくる。

「破ってるのよ!」

 寛太に手を押さえられる。

「ここに留まっても、余計に苦しむだけなんだ。あちらに送ってやった方が、こいつのためだ」

 宮子は寛太の手を振りほどき、正面からその目を見据えた。

「ホントにそうなの? 自分の目で見たの?」

 寛太の動きが止まる。

「お父さんだって言ってた。私も死んだことがないから、本当のところはわからないって」

 宮子の剣幕に押された寛太が、切れ長の目を丸くする。

「あっちに行った方が楽になるのに、この世に留まってたのは、理由があるからでしょ?」

 宮子は、視線を寛太から沙耶に移した。

「それだけ、お母さんに会いたかったのよ。恨むとかそんなんじゃなくて、ただ会いたくて、何年も待ってたのよ。……わかるでしょ、その気持ち」

 寛太の目が泳ぐ。


「お願い、何も知らなかったことにして」

 宮子は、再び注連縄しめなわを解きにかかった。

「ひとつ聞く。結界を破って、どうするんだ?」

 沙耶に聞こえないよう、寛太が小声でささやく。

「お母さんに会わせる。最近、骨折して救急車で運ばれたから、市内の総合病院にいるはずよ。探せば見つけられると思う」

 縄をかきだそうとして爪先を激しく引っかけてしまい、宮子は悲鳴をあげて指を押さえた。

 再び縄に手を伸ばそうとすると、寛太が割って入った。

「かせ。コツがある」

 意外な手助けに、寛太の横顔を凝視する。暑さで流れてきた汗が顎まで伝うより先に、注連縄しめなわがほどける。


「よし」

 寛太がほどけた縄を手繰って、斎竹いみだけを引き抜く。宮子も、反対側の縄を持ち、竹を引き抜いた。紙垂しでのついた注連縄しめなわを地面に置く。

 目が合うと、寛太が小さくうなずいて、沙耶の方を顎でしゃくった。

 結界から解放された沙耶に、宮子は駆け寄って手を差し出した。

「サーヤ。……会いに行こう、お母さんに」

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