第13話 母を訪ねて

 赤く腫れぼったい目で、沙耶が宮子を見あげる。

「私も一緒に行くから」

 もう一度差し出すと、沙耶はようやく手を取ってくれた。指が氷のように冷たい。

 宮子が引っ張ると、腰まで埋まっていた沙耶の体は、すんなりと地表に出てきた。

「ママ……」

 その顔は青ざめ、心なしかふらついている。結界が強かったから、体力を奪われてしまったのか。自転車で行こうと思っていたが、この様子ではとても無理だ。


「お姉ちゃん」

 寛太の後ろに隠れ、妹が怯えたようにこちらを見ている。

 鈴子にすれば、結界が解けて、突然沙耶が現れたように見えるのだろうから、驚くのも無理はない。

「鈴ちゃん。お姉ちゃんこれから、友達と出かけてくるね。家に帰ってお留守番してて」

「やだ、鈴子も行く!」

 寛太の足から離れないくせに、頑として帰ろうとしない。

「お願い。家でお父さんが帰ってくるのを待ってて。お姉ちゃん、大事な用があるの」

「やだ!」


 途方に暮れていると、寛太が鈴子の前にしゃがみこみ、芝居がかった声で言った。

「柏木鈴子隊員を、これより少佐とし、通信部主任に命ずる!」

 寛太がアニメの真似をして敬礼すると、鈴子も勢いよく敬礼を返した。

「いいかい、この任務は、全員のチームワークがあってはじめて成功できる。鈴子少佐は、通信部主任として、管長さんにメッセージを伝えるという大事な役目を任されたんだ。できるだろ?」

「はいっ!」

 とびきりの笑顔で、鈴子が答える。寛太が、宮子に目でうながす。

「えっと……鈴子少佐、これより帰宅し、我々が青垣総合病院に向かった旨、父親に伝言すること」

 戸惑っている鈴子に、宮子はもう一度言いなおす。

「家に帰って、お父さんに『お姉ちゃんたちは青垣総合病院に行きました』って伝えて」

 ようやく理解した鈴子が、宮子に向かって敬礼する。

「はい! お父さんに、アオガキソーゴービョーインに行きましたって伝えます!」

 地面に置いておいた金剛杖を手に取り、寛太が後を引き受ける。

「よし。では、各自任務に当たれ」

 家の方へと走りだす鈴子を見て、宮子は安堵のため息をついた。

「ありがと。子どもの扱い、上手なんだね」

「お前だって、まだ子どものくせに。同じ目線でものを考えた方が、話は早いぞ」

「アニメが好きってこと?」

「仲間はずれは嫌ってことだ」


 寛太が、沙耶の方をちらりと見る。

「大分消耗しているな。タクシーで行こう」

「じゃあ、お金を取ってこなきゃ」

 宮子が言うと、寛太は首から下げたお守り袋を手繰り寄せ、中のお札を見せた。

「親父がな、つらくなったらいつでもこの金で帰ってこいって、持たせてくれたんだ」

「そんな大事なお金……」

「見くびるなよ。俺は絶対、しっぽを巻いて逃げ帰ったりしない。だから、この金は別のことに使う」

 軽やかに走りだした寛太が、振り向く。

「そこの県道でタクシーつかまえておくから、ゆっくり来い」


 沙耶を気遣いながら、慎重に歩く。角を曲がるときによろめいた沙耶を、抱きとめるように支える。

「宮子、ごめんね。あたし、宮子にひどいことしたのに……」

「いいって、いいって」

「どうしても……どうしても、ママに会いたかったんだ」


 もう一度角を曲がると、寛太がタクシーを止めて待っていた。

 沙耶を後部座席の奥に座らせ、宮子も続く。寛太は、金剛杖が沙耶に当たらないよう、助手席に座った。

「青垣総合病院まで」

 気のよさそうな運転手が、はいよ、と言って車を発進させた。沙耶がつらそうに目を閉じる。

 信号待ちで止まったときに、運転手が寛太に話しかけた。

「僕、巡礼かい? えらいねえ」

 寛太の白衣は、巡礼の装束に見えないこともない。市内に札所があるので、白装束の巡礼者をタクシーに乗せることも多いのだろう。寛太は、「はい」とも「いいえ」とも言えず、居心地悪そうにしている。仏道を志す者は、嘘をついてはいけないという戒を授けられているのだ。

「そ、そうなんです。お母さんが入院中で」

 思わず、後ろから口をはさむ。嘘をつくなという父の教えを破ったことに、ちくりと胸が痛んだ。しかも、寛太の母親はすでに亡くなっている。胸の痛みがさらに増した。

「そうかあ。こんな優しい息子さんが祈ってるんだから、観音様も願いを聞き届けてくださるよ、きっと」

 車が動き出し、景色と共に気まずい沈黙が流れる。

 ようやく、青垣総合病院の玄関前に着く。先に行けという寛太に支払いを任せ、宮子は沙耶を連れて車を降りた。


 人であふれかえる受付前を通り過ぎて進む。案内板によると、外科病棟は五階だ。エレベーターを探し、ボタンを押して待つ。

 ちょうど扉が開いたときに、寛太が早歩きで追ってきた。

 三人でエレベーターに乗り込む。地下から乗っていたパジャマ姿の老人が、寛太の白装束をじろじろと見る。宗教者が衣のままで病院を訪れると、死を想起させて縁起が悪いと嫌う人がいる。早く着いてくれとじりじりしながら、宮子は階床ボタンを見つめた。

 五階に着く。建前上は、正面のナースステーションで記名しなければならないが、大半の付き添いの人達は素通りしている。

 呼び止められないか怯えながら、宮子は沙耶に肩を貸して病室へ向かった。目立つことを恐れた寛太が、沙耶の母親の名前を聞いてから、素早く先へ進む。

 奥から二番目の病室の前で寛太が立ち止まり、宮子の方を振り返って手招きをする。

「サーヤ、もうすぐ会えるよ」

 だが、沙耶は急に立ち止まった。

「……やっぱり、怖い。また逃げられたら、どうしよう」

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