第27話 背中のぬくもり

 直実の父が車を出してくれることになったので、鈴子と直実が大急ぎで準備をしている。

「お姉ちゃん、着替えられなくて悪いけど、我慢して。そのかわり、髪はきれいにして行こうね」

 櫛でまとめあげた長い髪を、鈴子が髪ゴムで結わえ、ポニーテールにしてくれる。

 宮子の中の靄は、意外にも静かにしている。もしかすると、鈴子は父と同じく、霊視能力はなくても、潜在的な霊力が強いのかもしれない。


「そろそろ時間よ」

 バッグを抱えた鈴子と直実に両脇を支えられ、玄関へと向かう。

 ときどき靄の力が強くなり、足が前に出なくなるが、鈴子に撫でさすられて、どうにか歩を進めることができた。

 玄関で、鈴子が宮子に靴を履かせようとする。しかし、ここに来て宮子の体は突っ立ったまま、言うことをきかなくなった。

 砂利を踏む足音に気づいた直実が、外に出て父親を伴い戻ってきた。


「無神論者のくせに、お前も考えたな。娘をこんなところに隠すとは。やはり、信念が揺るいだか」

 クツクツと笑う声に、直実の父が顔をゆがめる。が、無言で宮子の体を抱き上げ、外へと向かった。

「直実、車のドアを開けてきてくれ」

 直実の父が、宮子の方を見ないように言う。

「わかった。鈴子ちゃん、宮ちゃんの靴と戸締まりをお願いね」

 走って行く直実の足音が遠ざかる。


「ふん。お前の主義からすると、自分の娘も他人の娘も公平に助ける、といったところか」

 宮子の体を抱える直実の父の手に、力が入る。彼は無言のまま、暗い境内を歩き続けた。

「いや、平等と見せかけて、ただ単に、自分の娘の代わりに誰かが犠牲になるのは後味が悪いだけなのだろう?」

 直実の父が足を速める。鳥居を出てすぐのところに、シルバーの車が横付けされ、直実が後部座席のドアを開けて待っていた。

「乗せるぞ」

 直実が先に乗り込み、宮子の体を引き入れるのを手伝った。靄が足をばたつかせて暴れ出す。走ってきた鈴子が、直実の父と入れ替わりに後部座席に乗り込み、宮子の膝を押さえる。

「お姉ちゃん、返事して!」

 体と意識のつながりを断たれそうになっていた宮子は、鈴子の手のぬくもりを道しるべに、体の主導権を自分に取り戻そうとした。

「よし、行くぞ」

 直実の父がドアを閉め、車を発進させた。吉野までの道中、鈴子が宮子の肩や膝をさすって、意識を保たせてくれた。


 夢うつつの中で、宮子は山の中にいた。

 両手両足を目いっぱい広げ、鬱蒼と茂る木々の間を軽快に飛び回る。耳のそばで風が渦巻き、音を立てる。太陽がさえぎられて、ひんやりとした空気、湿った土のにおい。木の実のほろ苦い味、仲間たちの声、うろの中のあたたかな寝床。


 激しいカーブが繰り返され、宮子は目を覚ました。曲がりくねった坂を上がりきると、吉野の門前町が見えてくる。

「あの子か」

 直実の父の声に目を動かすと、フロントガラスの向こうに、懐中電灯を持って手を振る白衣の少年の姿が見えた。寛太だ。

 車が、階段下の空きスペースに停まる。


「お姉ちゃん、着いたよ」

 鈴子が膝を軽く叩いて合図する。先に降りた直実と入れ替わりに、寛太が顔を覗かせた。こちらを一瞥し、表情を変えずに言う。

「なんだ、おもしろい格好だな。里では、そういうファッションが流行っているのか?」

 注連縄しめなわをぐるぐる巻きにされている上に、下はパジャマのままだ。パジャマといっても、スウェットパンツとTシャツであることが、まだ救いだ。ピンクのフリル付きなど着ていたら、恥ずかしくて悶絶するだろう。

「やだ、見ないで!」

 宮子は思わず叫び、顔をそむけた。反対側を向いてから、体の主導権が自分にあることに気づく。


 隣に、寛太が座る気配がした。

「会うなりごあいさつだな。まあ、こっち向けよ」

 頬どころか、耳まで熱くなっているのがわかる。宮子は小さく首を振った。ポニーテールに結わえた髪が、動きに合わせて揺れる。

「いいから、こっち向けって」

 小さい子を諭すような口調で、寛太が言う。宮子は恐る恐る、彼の方を向いた。

臨兵闘者皆陳烈在前りんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」

 寛太がすばやく九字を切った。


 心と体の回路が断たれ、首がかくんと背もたれに倒れた。目も見えるし声も聞こえるが、体が動かない。それは靄も同じらしく、なんとか動こうと必死になっているのがわかる。

「お姉ちゃん?」

 鈴子が心配そうに、膝へ手を置いてくる。

「霊縛法で動きを封じただけだ。心配ない」

 寛太がそう言って、注連縄しめなわの結び目を解き始める。縄の戒めが取れると、久しぶりに呼吸が楽になった。


「このまま庵に運ぼう。鈴子ちゃん、背負うのを手伝ってくれるか」

 車外に出た寛太の背中に体が乗せられ、彼の体温が胸に伝わってくる。こんなときなのに「直ちゃんが泊まりに来るから、Tシャツの下にハーフタンクを着ておいて良かった」などということが気にかかる。

 寛太は宮子を背負ったまま立ち上がると、体を揺すりあげて位置を正し、しっかりと足を持った。垂れさがった宮子の手を、鈴子が寛太の肩に回す。


「あの階段を上る気かい? それは無理だよ。私が代わろう」

 直実の父が言う。確かに、庵への階段はかなり長い。

「大丈夫です。鍛えてますから」

「しかし……」

「参拝に来られるご老人を背負って上り下りをすることもありますから、こいつ一人くらい、どうってことありません」

 寛太がゆっくりと歩きだす。薄暗い階段を、後ろから誰かが懐中電灯で照らしてくれている。石段を登るごとに、宮子の体に振動が伝わる。寛太の息遣いがすぐそばで聞こえる。


「そろそろ代わろうか」

 途中で、直実の父が申し出たが、寛太は「大丈夫です」と言い張り、歩き続けた。

 平静に見せかけているが、首筋に流れる汗や、呼吸のたびに大きく膨らむ背中で、かなり体力を使っているのがわかる。宮子は申し訳なさでいっぱいになった。

 けれども同時に、ずっと背負われていたいとも思った。

 あまり肉の付いていない背中から伝わるぬくもり、骨張った肩、目立ち始めた喉仏、白檀香と肌のにおい、小さく漏れる息遣い。もう少しこのままでいたい。

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