第40話 欠けた自分の半分
その日は、遅くまで祖母と話をした。玄斎様の想い出話はもちろん、父と母の馴れ初めも聞いた。総本山の祭の日、人違いで声をかけてきた母に、父が一目惚れしたのがきっかけだと思っていたが、実際は微妙に違った。
「田紀里──宮ちゃんのお母さんはな、人違いのふりをしてお父さんに声をかけたんだよ。人ごみの中にすごくきれいな気を出している人がいるから、どんな人か確かめたいって言ってな。おばあちゃんには、背の高い真面目そうな男性にしか見えんかったが、あの子には何か感じるものがあったんだろうね」
若いころの父と母が出逢った場面を想像する。
「お互いに一目で自分の伴侶を見つけるって、すごいね」
祖母は遠い目をして、「そうだね」と言った。
「あの子が初めてお父さんを家に連れて来たとき、おばあちゃんも思ったよ。ああ、これは引き離せないなって」
「おばあちゃんは、最初は結婚に反対したんだっけ」
祖母が苦笑する。
「形だけさ。二人の絆を深めるための儀式みたいなもんだね。昔から、人は自分の欠けた半分を求めると言われとるだろう。ほら、バターハーフとかいう」
「ベターハーフね」
「そう、それ。お父さんとお母さんは、取り換え不可能な二人だったんだよ。……お父さんは、お母さんが早死にしてしまったことを私らに申し訳なく思っているようだが、それはあの子の定命だから、仕方がない。数年でも、自分の半分と過ごして子どもまでできたんだから、あの子は幸せだったはずさ」
祖母はお茶を飲み干して、宮子の方を向いた。
「宮ちゃんも、欠けた自分の半分に出会ったと思ったら、誰に何を言われても、その手を離しちゃいけないよ。相手にとっても、宮ちゃんが欠けた部分を埋めてくれる存在なんだからね」
湯呑みの縁を見つめながら、ぼんやりと考える。自分の半分とは、父と母のように直感的に気づけるものなのだろうか。
初めて会ったときの寛太の、鋭い目を思い出す。あのとき宮子は、「怖い」と感じてしまったのだ。
翌日は、一月にしては珍しく晴れ渡り、暖かさすら感じた。玄斎様が参列者を気遣ってくれたかのような青空を見上げ、焼香を終えた宮子は、祖父母と共に道路に並んで出棺を待った。参列者で長い人垣ができる。
会館からゆっくりと棺が担がれてきた。寛太もその列に加わっている。棺が前を通る瞬間、本当に今生でのお別れなのだと、手を合わせながら泣いた。周りからも、すすり泣く声が聞こえる。
霊柩車に棺が納められ、扉が閉まる。出発を告げるクラクションが長く響き渡ると、駐車場の植え込みにいた野良猫が三匹、呼応するように鳴いた。「猫までお別れを言っているよ」と誰かが言った。電線には鳥たちがずらりと並び、沿道の飼い犬は、鎖ギリギリのところまで出て霊柩車を見送った。
空を見上げると、「心を育てなさいよ」という玄斎の声が聞こえた気がした。
二月は逃げる、三月は去る、とはよく言ったものだ。卒業式も終わり、お彼岸の季節となった。
大学に受かった宮子は、着々と入学準備を進めていた。毎日神社の手伝いをし、作法や所作はもちろん、事務や経理も教えてもらっている。また、遠方の月参りや外祭に車が必要なので、自動車教習所に通い免許も取得した。親友直実も第一志望の大学に合格し、すべてが順調に進んでいるように見えた。
ただ一つ、寛太のことを除いては。
玄斎様の告別式で見かけて以来、彼には会っていない。携帯を持っていないので、庵に何度か電話をしたが、いつもつながらなかった。
迷惑なのでは、という気持ちを圧して電話をかけ続けると、一度仁斎が出て、「寛斎はお父さんのところへ帰っているよ」と教えてくれた。玄斎様の四十九日法要が終わり次第、父親の元に帰るので、新居を探しているそうだ。
あまりしつこくしてはいけないと思いつつも、玄斎様に頼まれたのだからと自分に言い訳をし、宮子は葉書を出した。
「今日は玄斎様の
「吉野は寒いので、体に気をつけてください」
「大学に受かりました。玄斎様のような立派な宗教者になれるようがんばります」
「庵の庭の白梅は、今年も咲きましたか」
当たり障りのないことしか書けないのがもどかしかったが、宮子はきれいな絵葉書を選び、一週間おきに送った。新生活用に買った携帯電話の番号とメールアドレスも書いておいたが、寛太からの返事は一度もなかった。
玄斎様の四十九日法要の日が来た。
宮子は鈴子を連れて、吉野の祖父母の家まで車で向かった。曲がりくねった山道は、初心者には運転しづらく、何度もガードレールにぶつかりそうになる。助手席の鈴子が、手すりにつかまりながら、怖い怖いとひっきりなしに叫ぶ。
ようやく祖父母の家に着いたときには、二人共ぐったりしていた。まずは仏壇と神棚に手を合わせる。
「やっぱり神社の子は信心深いねえ。宮ちゃんも鈴ちゃんも、こっちに来てお菓子でもお食べ」
祖母が、お茶とお菓子を用意してくれる。
「おばあちゃん、お姉ちゃんの車に乗っちゃだめだよ。すっごく怖いの。寿命が縮まったよ」
鈴子がこたつに入りながら、憎まれ口を叩く。
「初ドライブなんだから、仕方ないでしょ。その内慣れるもん。上手になったら、おばあちゃんも乗ってね」
それは嬉しいねえ、と祖母が微笑む。
玄斎様の法要は関係者のみで行われるが、できるなら後で仏壇に手を合わせに行きたい。それに、寛太のことも気になる。明日には庵を出て実家に帰るはずなのに、相変わらず何の連絡もないし、新しい住所も知らない。
「宮ちゃん、合格おめでとう」
襖を開けて入ってきた祖父が、のし袋を差し出す。達筆な字で「入学祝」と書かれている。
「お父さんやお母さんみたいに、立派な神主になるんだよ」
いつもは無口な祖父が笑って言う。「ありがとうございます」と一礼し、宮子は両手で受け取った。その重みに、将来への責任を感じずにはいられない。
父のように泰然とし、母のように氏子さんの話に耳を傾け、玄斎様のように生きとし生けるものと喜び悲しみを共にして導く、そんな宗教者になれるだろうか。今はまだ、大事に思う人の力にさえなれないのに。
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