第24話 深夜の侵入者

「直ちゃんのパジャマ、かわいいね」

 チャイナ服のようなピンクのパジャマで、布製の飾りボタンがついている。ズボンも七分丈で野暮ったさがない。

「そう? ピンクって恥ずかしいんだけど、お母さんの趣味なんだ」

「お母さん、かわいいのがお好きなんだね。玄関の粘土細工もそうだったし」

 本人は活発そうなイメージだったが、たぶんかわいらしいものを身の回りに揃えることで、バランスを取っているのだろう。

 宮子は母親がいないし、祖母では感覚が違うので、若い子向けのかわいい服を買ってもらえることがない。自分のパジャマは、スウェットパンツとTシャツであることが、恥ずかしく思えてきた。小学校の林間学校で「パジャマはジャージとTシャツ」と指定されて以来、癖になってしまったのだ。


 さっさと出てきた鈴子に代わって、宮子も風呂に入った。髪が長いと、乾かすのに時間がかかる。直実や鈴子の短髪を少し羨ましく思いながら、宮子はドライヤーを当てた。ようやく乾かし終えて座敷に戻ったときには、鈴子はもう眠っていた。直実が読んでいた本に栞をはさみ、畳に置く。

「鈴子ちゃん、いい子だね」

「そう言ってもらえるとありがたいな。でも、騒々しいでしょ。誰にでもこうなの」

 直実が、鈴子の寝顔を見て微笑む。

「気を遣ってるのよ。無邪気で子どもらしくしていれば、周りから好かれるし、お父さんや宮ちゃんにもプラスになるって、無意識に計算してるんじゃないかな」

「そうかな」

「そうよ。人と接するとき、先手を打って仲良くなっちゃえば、摩擦が少なくて済むもの。でも、他人と付き合うのって、エネルギーが要るでしょ。だから、ホントは疲れてるんじゃないかと思うの」


 そう言われれば、鈴子の無邪気さは、彼女なりの世渡り術のような気がする。どちらかといえば付き合い下手な父や宮子を、フォローしてくれていたのかもしれない。

「そっか。そうよね。……そんなことも気づかないなんて、姉失格だわ」

 宮子は電気を消し、布団に入った。

「宮ちゃんは宮ちゃんで、一生懸命やってるじゃん。家事もして、神社の手伝いもして、それなのに成績優秀。まさに優等生じゃん」

 豆球の薄明かりで、直実の横顔がうっすらと見える。

「やめてよ、私、優等生コンプレックスなの。イイ子チャンにはなりたくない。……それに、実際いい子じゃないもん」

「なんで?」


 迷った末、宮子は天井の木目を見つめながら話した。

「お父さんに、お見合い話があるんだけど、私、再婚して欲しくないんだ。お父さんもまだ四十三だし、いいことなんだろうけど、どうしても嫌なの。理由はうまく言えないんだけど、とにかくヤダ」

 直実が一呼吸おいて、ぽつりと言った。

「それって、普通の感情じゃないかな。私だって、もしお父さんが再婚するとか言ったら、絶対嫌だもん」

 直実が寝がえりを打ってこちらを向く。

「私は『お父さんのために歓迎しろ』とか言うつもりはないな。嫌なら嫌って言えばいいじゃん。それでもお父さんが再婚しちゃったら、だんだん折り合いつければいいんだし。今は、無理しないで素直にヤダって伝えちゃえば」


 嫌だと言っていい、という直実の言葉に、胸が温かくなる。父のためを思えない身勝手な娘だという罪悪感でがんじがらめになっていたのが、ほどかれていく。

「そうよね、言っていいよね。私の『お母さん』は、死んだお母さんだけだもん。それに、お父さんが女の人と一緒になるのって、生々しくて気持ち悪い」

「あ、その気持ち、わかる。私、親の現場だけは絶対に遭遇したくない」

「親に限らず、見たくないよ」


 話題は、三年の先輩が音楽室で鍵を閉めてけしからぬ行為に及んでいた噂になった。

「不潔よね。もっとこう、プラトニックなのに憧れるわ。ジッドの『狭き門』とか」

「あ、宮ちゃん、あれ読んだんだ。私、挫折したわ」

「それは直ちゃんが無神論者だからじゃない」

 直実は少し笑って言った。

「私、別に無神論者ってわけでもないのよ。お父さんだって、あれは半分は意地なの。おじいちゃんが、すごく封建的な人でね。ついでに信心深かったもんだから、それに反発する意味もあって、すっかり宗教嫌いになっちゃったの」


「でも、神様はいないと思ってるんだよね」

 この間もした質問を、宮子は再度投げかけた。

「見たことも感じたこともないからね。でも、他の人が神様を信じることを否定はしないよ。子どもに『サンタさんはいない』って言わないのと同じ」

 神様とサンタさんは次元が違う、と言いたいけれど、たぶん直実は解ってくれないだろう。

 彼女にとって、神様はファンタジーでしかないのだ。自分が物心づいたときから、畏れ、敬い、自身の核となっている大きな存在を認めてもらえないのは、やはり悔しい。


 宗教や恋愛の話をしているうちに、瞼が重くなってきた。直実が寝息を立て始めたのを確認して、宮子も目を閉じる。

 頬に風が当たったような気がして、目が覚める。豆球の明かりで時計を確認しようとして、息を呑んだ。


 直実の腹の上に、黒い靄が乗っている。


 ──どうして? 境内には入ってこられないはずなのに。

 父の言葉を思い返す。「中にいる人から『入っていい』と許可をもらわない限り」と言っていたが、直実には何も付いていなかったはずだ。

 ──そうだ、宅配ピザ!

 たぶん、あれはピザに付いてきたのだ。それを、中から鈴子が「入ってください」と許可を与えてしまった。


 せめて自分が応対していれば、と後悔しながら、宮子は布団の横の袋にそっと手を伸ばした。念のため、大麻おおぬさを用意しておいたのだ。さすがに本物を使うのはためらわれるので、習字の半紙を切り折りし、棒につけて作ったものだ。


 直実が苦しそうに呻く。宮子は、父がお祓いをするときの所作を真似て、大麻おおぬさで直実の上を祓った。紙の束が、シャッという鋭い音を響かせる。

 黒い靄が飛び退く。その隙に、宮子は直実をかばうようにして前に立ち、大麻おおぬさを構えた。


「何だお前は。邪魔をするな。私はこの娘の父親から、体をもらう許可を得ている」

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