かけまくもかしこき
芦原瑞祥
第一部 はじめての友達
第1話 地面に生えていた女の子
地面に、女の子が生えている。
柏木宮子は、目を疑った。驚きのあまり、両手に持った筆洗いバケツや絵の具箱、上履き入れを落としそうになる。
え、どういうこと!?
地面から生えているのは、確かに女の子の上半身だ。後ろで結んだウエストのリボンがかろうじて出ているが、下半身は土に隠れて見えない。何とか抜け出したいらしく、両手で踏ん張りながら、背筋を伸ばしたり縮めたりしてもがいている。
気配を感じたのか、女の子が上半身をひねってこちらを向いた。
年齢は、宮子より少し上の、中学一年生くらいだろうか。頭の高い位置でくくった髪が、しっぽのように宙を跳ねた。目袋がふくらんで腫れぼったい目に、射すくめられる。
「ねえ」
女の子の大きな口が動く。カラーリップでも塗っているのか、赤さが際立っている。その声は、蝉の合唱からくっきりと浮き上がって聞こえた。
「え……私?」
あたりを見回して、他に誰もいないことを確認する。女の子は宮子を見据え、こくん、とうなずいた。
「見えてるんなら、助けてよ」
もっともな非難だ。あり得ない光景だったから、体も思考もフリーズしてしまっていた。
「ごめんなさい、すぐ」
宮子は、空き地の四方を囲むロープをまたいで、中に入ろうとした。
「違う違う!」
女の子が鋭い声で制する。
「そうじゃなくて、そのロープを切って」
ロープは、藁をなった綱で出来ている。ハサミでは切れないだろう。
「ちょっと待っててください。今ほどきます」
宮子は荷物を地面に置いて、結び目をほどきにかかった。手元が見えやすいように、自分の体で太陽をさえぎり影を作る。固い結び目は、爪で引っ掻きだそうとしてもびくともしない。帽子をかぶっていても、太陽の熱さで頭がじりじりし、汗が目に入って沁みる。よく考えれば、ロープを切ってもあの子を助けることにはならない気がするのだけれど。
「早くして! 苦しい!」
「ごめんなさい! あと少し……」
引っ掻きすぎて、爪が剥がれそうに痛む。これでは埒があかない。宮子は、絵の具箱から細い絵筆を取り出した。結び目の隙間に筆を差し込み、ぎちぎちと揺すって動かす。広がった穴を引っ張ると、ようやくロープがほどけた。
両端がぱたりと地面に落ちる。宮子と女の子は、同時にため息をついた。
「ああ、助かったぁ~」
心底嬉しそうな声に、顔をあげる。女の子は両足でしっかりと立ち、ワンピースのスカートを両手で払い、大きく伸びをした。先ほどまで、下半身を埋められていたはずなのに。
「え、いつの間に?」
よく見ると、女の子が埋まっていたところには穴があいていて、子ども一人が入るくらいの壺が見えた。あの中に下半身を入れられ、抜けなくなってしまったのだろう。
「自力で出られたんですか。よかったですね」
宮子も立ち上がる。ずっと座っていたからか、暑さからか、軽いめまいがした。
「ううん、あんたがロープを解いてくれたから。あんた、強いんだね。ありがと」
なんだかよくわからないが、自分は役に立ったらしい。
「大丈夫ですか? 怪我とか、してません?」
「ため口でいいって。あたしは、水野沙耶。小六で、東京の学校に通ってるの。奈良には、夏休みの間だけ来てるんだ」
「どうりで発音が違うと思った。あ、私も六年生で、柏木宮子です。この先の、
同い年なのに、大人っぽい雰囲気に気圧されて、ですます口調になってしまう。
「ああ、それで。……宮子、か。まさに神社の子って名前だね。あたしのことは、沙耶って呼んでよ。宮子とは仲良くなりたいな」
そう言って沙耶は、外国の女優を思わせる大きな口元に、はにかんだような笑窪を作って微笑んだ。やはり都会の子は品がある。歯どころか喉の奥まで見せて無防備に笑うクラスの子たちとは、全然違う。
沙耶は身体の発育もいいらしく、水色のワンピースの胸元が風で押さえつけられる度に、うっすらと二つの突起が浮かび上がる。見ている方が恥ずかしくなって、宮子はうつむいた。自身の体つきは細く、まだまだブラジャーなど必要なさそうだ。
「ありがとうござい……じゃない。ありがと。私も、仲良くしたい。その……沙耶と」
初対面の相手になれなれしい口をきくのは、居心地が悪い。特に、「名前には呪力があるから、敬意を持って扱いなさい」という父の教えからすると、呼び捨ては抵抗がある。指先をもぞもぞさせていると、沙耶が笑いだした。
「宮子、すっごいキョドってる。目はキョロキョロしてるし、体揺れてるし。呼び捨ては慣れてない? じゃ、サーヤって呼んでよ。あだ名なら、気にならないでしょ」
「サーヤ……。ロシア人みたいで、かっこいい。うん、そうする」
二人の間だけの特別な呼び名が嬉しくて、自然と親しげな口調になる。沙耶が、呼応するように笑う。エロかわいいのは外見だけで、中身はさっぱりしていそうだ。早熟な子はなんとなく怖い、というのは自分の偏見だろう。
まつ毛まで流れてきた汗を拭こうと、宮子はハンカチを取り出した。ずっと日向にいるから、暑くて仕方がない。
「サーヤ、よかったら、うちに来る? 何か冷たいものでも出すよ。うるさい妹がいるけど、気にしなくていいから」
沙耶は帽子もかぶっていないのに、汗ひとつかかず平然としている。
「ふうん、宮子は妹がいるんだ」
「サーヤは、兄弟は?」
「いない。一人っ子なんだ」
風が吹き、隣の家の庭木がざわざわと音を立てる。
「……せっかくだけど、今日はやめておくわ。そろそろ帰らなきゃ」
「え、もう?」
思わずそう言ってしまったが、沙耶は先ほどまで下半身を埋められていたのだ。汚れているから、シャワーで汗を流したいのかもしれない。
「そうだね。寄り道せずにまっすぐ帰らなきゃ、だね」
受けを狙ったつもりはないのに、沙耶は大声で笑い出した。
「ハハ、宮子は真面目だね。その分じゃ、一人で校区外に出たこともないんでしょ」
「そ、そんなことないよ」
「じゃあ、明日から夏休みだし、一緒にどっか行こうよ。いいとこ知らない?」
宮子にも、行ってみたいところはある。先月、隣の市にできた巨大ショッピングモール、サファイアタウンだ。親に連れて行ってもらった子たちが自慢げに語っているのを漏れ聞いたが、いろいろなお店や映画館が入っているらしい。父が神社を留守にできることは滅多にないから、連れて行ってとは言えずにいる。
「このあたりだと、サファイアタウンかな。かわいいものとか珍しいものを売ってるお店がいっぱい集まったところなんだって。私も行ってみたいけど、隣の市だし……」
「おもしろそう! そこに決定!」
宮子の言葉を、沙耶がさえぎる。
「え、でも……」
「校区外に子どもだけで行くなんて、校則違反? 親に言えない? 万引きするわけじゃないし、何が悪いのか、全然わかんない。宮子だって、行ってみたいんでしょ?」
「うん……」
「決まり! 明日の一時に、ここで待ち合わせね」
ちょっと待って、と顔をあげると、沙耶はもういなかった。まるで消えてしまったみたいに。
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