第46話 ライブ

「退屈な日々 押し殺した日々 自分はどこにあるのだろう いつからこんな自分になってしまったのか 湧き出る熱は行き場を失い消えていく」


 Aメロ。


 出だし、緊張のせいか僅かに声が震えたが、すぐ安定する。

 流々風が歌いやすいコード進行、歌詞。これまでの二曲とは違う、全力の歌声に観客は息をのむ。会場が、伸びやかな声によって揺れている錯覚を抱かせる。

 克己の、走り気味のビート。普段よりも荒々しく鍵盤を叩く優子。力強くブリッジミュートで音を刻む流々風。克己が走りすぎないよう堅実なリズムを生み出す翔。


 翔は、バンド全体の流れを作るべく、克己の音に集中する。

 バンドの中でリズム隊と呼ばれるパート。ドラムとベース。

 聴く者の心臓を打つ勢いで繰り出される低音は、曲の要。曲の奥底を流れる重みのある音は、バンドのみならず聴くもの全ての呼吸さえ支配する。

 音が聞こえる。自分の出している音。克己の音。優子の音。流々風の音。

 寄り添い、混じり合い、一つに溶けていく。


「そうきっかえさえあれば かみ合った歯車は動き出す 逃さぬように手を伸ばせ 求むるものを口ずさんで」


 Bメロ。


 サビへのつなぎ。優子主体で音が奏でられる。落ち着いたメロディは、その後の爆発的なサビを暗示させる。

 翔、克己、流々風は演奏しつつも優子の音に聞き入る。

 上がっていく。テンション。気分。弓が放たれる寸前の、弦がしなる音が聞こえるようだ。


 サビに入る前の数拍、全員の楽器が強く鳴らされる。

 流々風が大きく息を吸う。翔が小さく跳ねる。優子の指が高く掲げられる。克己の全身の筋肉が限界まで収縮する。


「私 今 歌っている この歌を歌っている この曲を聴いてくれるあなたがいる それが証明 私が変われた証明 私自身になれた証明なの」


 サビ。


 メロディの奔流。魂の叫び。

 流々風は目をカッと見開き、最大声量でマイクに歌を叩きつける。それは増幅され、会場にいる者たち全ての鼓膜を激しく揺らした。


 ジャカジャカ景気よく鳴っているリズミカルなギター。踊るように跳ねるキーボード。一音一音ズシンと響くドラム。それらの最深部で暴れるベース。

 観客たちが手を挙げ、叫び、翔たちの音に飛び込んでいく。

 その様子を見て、翔は、ライブ中なのに泣きそうになった。

 弘子たちには大見得を切ったが、実を言えばやはり不安だった。華やかなメンバーたちの中で、自分は場違いなのではないかと。自分がいるせいで盛り上がらなかったらどうしよう、と。


 そんな心配はいらなかった。自信を持ってよかったんだ。自分たちの歌に。演奏に。

 ようやく最後の枷が外れた翔は、憂いなくライブへ没頭していく。

 演奏中、何度もメンバー同士で目合わせをした。笑顔を交わした。

 バンドで演奏している時は、丸裸で好きという気持ちをぶつけられる。それは、とても官能的で、くすぐったく、気持ちが良い。メンバー全員が、その感覚を共有しながら、腕を全力で振りぬく。


 そんな幸せそうなバンドメンバーたちを見て、観客の盛り上がりも高まっていく。

 一番が終わり、二番が終わる。

 高揚した身体は、脳は、時間を加速させる。もう後は流々風のギターソロと、大サビしか残っていない。

 流々風は同時にエフェクターのブースターを踏み、音量を増大させる。見せ場だ。


 翔はステージから落ちる一歩手前まで進み、ベースのボディ裏に仕込んであったピックを取り出して流々風のギターソロを支えるメロディを奏ではじめた。

 直後、背中が押された。

 動揺して演奏が乱れそうになるのを必死で抑える。


 背中越しに熱が伝わってくる。

 翔は瞬時に理解した。これはライブパフォーマンスの一種だ。

 ギター×ギター、ギター×ベースのような組み合わせで、背中合わせ、または向かい合って演奏する魅せ方。

 向かい合わせではなく、背中合わせを選ぶとは流々風らしい。


 身体に染み込んだ運指。鼓動がどんどん速くなっていく。

 翔と流々風は、パッと離れ、それぞれマイクの前に移動する。

 いよいよ大サビだ。ここからは最後の歌詞まで翔のコーラスが入る。余裕があれば、克己と優子もコーラスに参加するよう伝えてある。


「私 今 歌っている 僕は 今 歌っている 簡単なことだったんだ やりたいことをやればいい」


 声を張る。演奏は身体が覚えているから、歌に集中できる。

 これまでの俺たちを象徴したかのような歌詞。

 見える。手を挙げ、身体を揺らし、うねっている観客の波が。

 自分たちにだけ降り注ぐ、照明の光が。


 「後先考えず 後悔しないよう 今を全力で生きるんだ 私が 僕が 自分自身であるために さあ歌おう 曲は君の中にある」


 汗を散らしながら、流々風と声を重ねる。やがて、克己や、優子の声も加わり、四人全員で、歌う。

 脳の回路が焼き切れそうなくらい、熱い。

 楽しい。気持ちいい。全身が、歓喜している!

 脳髄を貫く快感。俺は今、確かに音の中にいる。仲間たちの音の中に。


 永遠にこの時間が続いて欲しい。その渇望は、もちろん叶うはずもなく。

 翔は、体育館内から噴き出した拍手と歓声で我に返った。

 終わった。終わってしまった。

 全力疾走の後の疲労感がじんわりと広まる中、ふと、視線を感じた。


 克己。


 優子。


 流々風。


 皆が皆、林檎みたいに頬を赤く染め、笑っていた。

 きっと自分も、全く同じ顔をしているのだろう。


 ライブは大成功だ。


 皆と一緒に演奏した。歌った。笑い合った。


 この記憶を、生涯忘れることはないだろう。だって、ここまで明確な幸せの形を感じられることなんて、この先そうそうないだろうから。


 瞬間だからこそ。過ぎ去ってしまうからこそ。一過性だからこそ、かえって残る。ともすれば、死ぬまで。


 幕が降りてから、誰ともなく、抱き合った。笑顔に涙が加わり、何もかもぐちゃぐちゃに、もみくちゃになりながら、四人は抱き合った。


 万感の想いを込めて、翔は言う。


「ライブは成功だ! 大成功だ! ありがとう、本当に、ありがとう! このままここで死んでもいい! それくらい、それくらいにっ! ああああもうさいっこうの気分だ! 愛してる!」

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