第29話 スタジオ練習

「全員集合~」


 翔はマイクを通してバンドメンバー全員を召集すべく声を上げる。

 ひょこひょこと翔の元に来たのは、最初から一貫して自由気まま、悠々自適に演奏を楽しんでいた優子だけだった。

 克己は奇声をあげながらひたすらエイトビート叩いていて、氷上もまたひたすら指をパワーコードの形にしてネックの上を滑らせ続けていた。


「二人とも全力で音を楽しんでるって感じだね~。まさに音楽!」

「優子、お前はなんか慣れてる感じだったけど、オルガンだけじゃなくシンセもいけたのか」

「まだ聞き慣れないな~そのシンセサイザーっていうかっちょいい呼び方。実はわたし、今日は午前中からずっとスタジオ入っててね。それで使い方とか色々レクチャーしてもらってたわけですよ。スタジオのヤスさんって人に」


 ヤスは若い女、初心者には特に優しく世話好き。そんなヤスに教えてもらい、あっという間に習得してしまった優子を翔は羨ましく思った。

 優子は世渡り上手、つまり生きることが器用なのだろう。翔は最初機材の使い方を誰にも聞くことができず、ネットだけを頼りに悪戦苦闘しながらスタジオの使い方を覚えた。


「集合つってんだるぉおまえらぁ! ファ○ク!」


 翔はその身に過激派ロックミュージシャンを降ろしつつ声を張り上げた。


「うるっせえ翔! オレは今、最高にロックしてるんだ! 貴様こそファッ○!」

「ああん!?」


 そんな翔と克己のやりとりに呼応するように、あるいはかき消すように氷上がボリュームをぶち上げる。


「「音量下げて!」」


 言い争っていた翔と克己は鼓膜が破壊されそうになったたため氷上の元に駆け寄りアンプのツマミを直接下げにいく。

 そんなこんなで、優子以外は汗をかき、頬を紅潮させながら、スタジオの中央に集合する。


「まだスタジオ入って三〇分しか入ってないのに異様に疲れた……うし、じゃあ各人この楽譜を持っていくように。二曲分だ」


『ちいこい』『きみしら』の楽譜を三人に配る。


「何よこれ。本当に楽譜?」


 配られた楽譜をめくって中を確認した氷上が疑問の声をあげる。


「ああ。TAB譜ってやつだ。本物の楽譜より直感的に弾けるようになってる。ギターパートのとこ見てみ。六本線が引かれてて、ところどころに数字が書いてあるだろ? 上から六弦、五弦、一番下が一弦ってなってて、その線上に設置されている数字のフレットを押さえるだけで弾けるんだ」

「便利ね。音階、スケールとか勉強しないでもこれ見るだけで弾けちゃうなんて」

「曲コピーすることの敷居が低くなったのはこれのおかげだな。読み方分からないやつは個別に教える。とりあえず今日は『ちいこい』だけみっちり練習して、最後に一回だけ合わせてみよう」

「いきなり合わせられるものなの?」


 優子がもっともな質問を翔に投げかける。


「クオリティにこだわらず、合わせるだけだったら多分いける。どのパートもかなり簡単だからな。あ、体裁だけ整えるのが簡単って意味だから! で、簡単なのに格好良くてノリ良く演奏できる。ありがとうモンパチ。さて、では各自練習開始! 散開!」


 先ほどまでのお遊び的な雰囲気はナリを潜め、じっくり譜面を眺めつつ反復練習をする一同。 

 克己はまず譜面に従って一曲通しで叩いてみて、特に引っかかった部分から練習するタイプ。


 氷上はAメロ、Bメロ、サビと前から順番に一個ずつ練習するタイプ。

 個性が出て面白いなと感じる翔だった。ちなみに優子は既に弾けていた。きっと家で練習してきていたのだろう。かくいう翔ももう弾けている。

 弾けるのをいいことに、翔が弾いていたらそれに合わせて優子が鍵盤を叩いてくる。


 ベースとキーボードだけだが、それは確かに曲となっていた。

 今まで一人でスタジオに入ってきたため、こういう楽しみ方ができなかった。だからこそ翔はそれがたまらなく楽しくて、何度も優子と曲を合わせた。

 優子もそれにノッてきて。


 三〇分後。克己が二人の様子に気づき、参戦する。

 ドラムが加わったことで、新たな血が流れ、別の生き物になる。

 それはまだ歪だが、回数を重ねるごとに無駄のないものになっていって。

 明らかにその場から、音から浮いていた氷上は、自身でそのことに気づきながらも、自分の練習を続けた。そして、本人的に納得がいったのか、ついに氷上の音色が混ざる。


 誰も、今から合わせようだとか言っていないし、合図も出していない。なのに、翔たちは自然と、全員で音を合わせていた。

 延々、延々と、たった一つの曲を、四人で演奏する。

 演奏するごとに、それぞれのリズムが、呼吸が、身体に染み着いていく。

 バラバラだったものが何度も砕かれ統合していき、大きなうねりとなる。

 四人が四人ともトランス状態に入り、時間の感覚が無くなる。


 と、そこで、翔が気づいた。スタジオの利用時間が残り一〇分だということに。

 一人だけ演奏をやめ、ベースをたてかける。

 自分が抜けた後も演奏を続けるメンバーたちを横目に、翔は各種音量等を調整するミキサーに向かった。

 バスドラちょい上げ、克己への返しにベース強め、ギターの音量ちょい下げ、シンセそのまま。そして……マイク音量。


 翔はマイクとマイクスタンドを準備し、氷上の目の前に設置した。

 それを見た翔以外の三人は、一斉に演奏をやめる。翔が再びベースの元へ。

 静寂。四人が互いの心臓の鼓動が聞こえるぐらいの静けさの中。

 氷上が、息を吸う。その音だけが、明確に響く。


 そして、第一声が放たれる。と、ともに克己がバスドラを一回だけ叩く。

 氷上の歌と、ギターだけ。歌いだし数小節は、氷上だけの時間。そこから、全パートが、加わる。歌というパートが加わっただけで、こんなにも、違う。

 真っ直ぐな恋の歌。四人はまだ本気の恋をしたことがないのかもしれない。だからこそ恋を歌った歌詞に憧れ、魅力的に感じるのだろうか。


 歌、ギター、ベース、ドラム、キーボード。それらが渾然一体となり、一つの曲が奏でられる。

 翔の予想通り、ハイになった克己はリズムを制御できず、走っていた。と思ったら、急に失速、またすぐ上がる、等、リズムキープは一切できていない。


 氷上はその技量でなんとかギターも歌もドラムに合わせられているが、いつも打ち込みドラムの全く変わらないテンポの音を聴きながら弾いている翔、弾く曲のBPMを調べ、メトロノームをそのテンポに設定し練習している優子。この二人は、まだ流動的なテンポに『合わせる』ことに慣れていないため、振り回され、ズレる。


 先程まで延々と四人で合わせ続け、互いのリズムを掴んだつもりになっていただけで、仕切り直したらこのザマだ。流石にそんなにすぐバンド演奏はできないか。

 端から聴いたら、聴くに耐えないぐちゃぐちゃな曲として耳に入ってくるだろう。

 曲を演奏し終わった四人は、完成度なんか気にしていられるほどの余裕はなかった。四人が四人とも。ある感情に支配されていた。

 汗ばんだ衣服。火照った身体。開いた口。荒い吐息。


 それらが、物語っていた。


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