第28話 Em
楽器店から徒歩一〇分あまり。スタジオ七五三は駅の地下にあった。
黒と赤で構成された床や壁面。受付には髪色がピンクだったりブルーだったりのファンキーでパンクなにーちゃんねーちゃんたちが親しみやすそうなオーラを放ちながら受付で待機していた。
「お、一匹狼の翔っちじゃないか!」
「どうもヤスさん」
翔はこのスタジオを月一、二回ほど個人利用しているため、顔と名前を覚えられている。
「すみません、もうメンバーが先に入ってるはずなんですけど。毬谷優子って名前で予約してあります」
克己が受付従業員の放つ独特なオーラに気圧されることなく話しかける。
「はい、もう入ってますよ。Bスタジオですね。って翔っちバンド組んだの!? ウソ!?」
「そんなに驚かないでくださいよ。Bスタっすね。お前らとっとと行くぞー」
翔はヤスさんと呼ばれている、髪色が緑のパンチパーマにいちゃんのこれ以上何か言われて恥ずかしい思いをしないように克己と氷上を急かす。よどみなく比較的入り口に近い方の部屋へ足を運ぶ。翔が扉に手をかけようとしたところで、克己が割り込んできた。
「ちょっと待ったぁ! オレに! スタジオデビュー第一歩を!」
「わーったわーった」
「でだ。このドアどうやって開けるん?」
「下に押すんだよ」
「なるほど! あれ、また同じ扉が!」
「防音のためだろうな。大抵二重扉構造になってる」
「ほうほう。では、いざ!」
二つの扉を開け、翔にとっては見慣れた光景、克己と氷上にとってははじめての景色の中へ。
広さは一二畳。右の壁面は一面鏡ばりになっている。
左奥にドラムセット。右奥にベースアンプ。入り口入ってすぐの左手にギターアンプ。近くにキーボード、ミキサー。また、部屋の四隅にはそれぞれスピーカーが鎮座している。
「ここが、スタジオ。ただの防音室。バンドをやるための機材が揃った部屋。……ふふ」
氷上が小さく笑ったのに気づいた者は誰一人いなかった。
「待っていたよ諸君!」
猫踏んじゃったを弾きながら器用にウインクをする優子。
「待たせたなゆうちゃん! 無事二人を連れてきたぜ!」
「ナイスだかっくん! さあみんなで練習しよう!」
テンション高い二人に呆れながら、翔は大きく息を吐く。
「元気なやつらだ。そんなにスタジオが珍しいかね。付いていけないよな、氷上」
同意を求めるべく隣を見た翔。そこには、ニヤつきながら小ジャンプを繰り返す氷上の姿が。
翔からの視線に気づいた氷上は即座にジャンプをやめ、長い髪をファサーと払いながら、鼻で笑った。
「全くね。まるではじめて玩具を手にした赤子のよう。笑っちゃうわよねあははのは」
目は口ほどに物を言う。翔の目に耐えられなくなった氷上は、いそいそとギターアンプの方へ移動した。
「なあ翔ー、なんかいつもオレが叩いてる時と場所とか角度とか違うんだけど、どうやって変えるんだー?」
「さっき楽器店で買ったろ。チューニングキー。それがあればここのだけじゃなく、世界中のどのドラムでも調節できるぞ。教えてやる。スネアのテンションも変更可能だ」
「うおおすげぇ! てか翔ドラムにも詳しいのな」
「暇つぶしでちょろっと手出してるだけだから少ししか知らないぞ」
翔は手のひらに収まるくらいのT字型チューニングキーを用いてスネア、小型太鼓の張りの強さや各部分の角度を、克己の要望通りに調節していく。
「せんきゅー翔! これで思う存分叩ける!」
「次からは一人でできるようにするんだぞ」
「イエッサー!」
克己は水を得た魚のように、買ったばかりの木製スティックを一回転させてから派手に叩き始めた。
んじゃ次は。
「お前がそんなにおろおろしてるの珍しいな」
「仕方ないじゃない。スタジオやエレキギターについて調べる時間、なかったもの」
氷上はギグバッグから出したギターを抱えながら、アンプとにらめっこをしていた。
気持ちは分かる。アンプはボタンやつまみが多くて何していいか分からなくなるよな。
「まずは、今日楽器屋の人からおまけでもらったシールドを用意する」
「シールドってこの管?」
「そうだ。ギターとアンプをつなぐ生命線だ。で、このアンプはマーシャル。真空管タイプだから、電源付けてからあったまるまでちょっと待たないといけない。待たずにいきなりシールドぶっこんで音出すとアンプ壊れるから注意な」
「危なかった。はやまらなくてよかったわ」
「このスタンバイスイッチをオフにしとけば、シールド差すくらいは問題なくなる。とりあえずアンプの電源入れて、ツマミが全部0になってるのを確認してから繋げて、待ってる間チューニングすませとけ」
部屋の隅に置いてあったイスを持ってきてそれに座り、チューニングしながら待つこと五分。
「そろそろいいわよね」
「五分待てば十分。じゃあまずスタンバイスイッチ入れて、最初だから各ツマミを一二時の方向に。慣れてきたら自分でツマミいじって好きな音を探すといい」
翔の指示に従って、真剣な眼差しでアンプを操作する。
「これで音がでるの?」
「後はギター側のツマミを回すだけだ。初心者だし当分はギター側のツマミはマックスでいい」
「今度こそ、いいのね?」
「おう。あ、そうだ、音色の種類はどんなのがいい? 何も装飾されてないクリーンか、ほんの少し歪みの入ったクランチか、バリバリに歪ませたオーバードライブか」
「オーバードライブで」
即答だった。
氷上の静かなイメージ、これまでクラシックをやってきたという経歴から、クリーンを所望するかと思った翔だったが、顔をほころばせて歪ませる方を選んだ氷上を見て、そのイメージを改めた。
「分かった。それらの切り替えはこの隅っこのボタンで操作できる。……うん、これでオーケー。いつでも爆音出せるぞ」
青いレスポールを肩に掛け、深呼吸。ネックに左手を添え、ピックを持った右手を六弦に触れさせながら固定。
翔は思わず生唾を飲み込んだ。精神統一する姿に妙な迫力があり、翔まで緊張してしまう。
左手をEmのコードの位置へ。
ライブなんかで、最後にジャカジャカジャカと鳴らす時に使われたりする、耳になじみ深いコード。ピックを大きく、頭上高く掲げ、六、五、四、三、二、一弦を一気に通過させるよう、力一杯、振り下ろす。
耳に叩き込まれる、歪んだギターの音。爆発から徐々に音は小さくなっていき、やがて消える。余韻を味わうように、氷上はうなだれていた。
数秒後、顔を上げた氷上は、歯をくいしばって、笑っていた。
今度は、ネックを握る左手をぐいっと上げ、まるでギターを天に捧げるかのようなポーズで、ギターをかき鳴らす。その様は、まさにはじめて玩具を手にした子どものようで。
翔は思うさまギターをかきむしる氷上に背を向け、ベースアンプの方へ向かう。
しばらくは、克己と氷上に音を楽しませてやろう。練習はそのあとだ。
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