第47話 進路
四月。
桜吹雪が舞う中、翔、克己、優子、流々風は、とある保育園に来ていた。
「ゆうこおねえちゃんまてー!」
「ゆうこちゃーん!」
「ゆうねえはやいー!」
運動場では、優子が複数の園児に追いかけられていた。
「待ーたないよーだっ!」
あっかんべーと舌を出しつつ、園児相手に全力疾走をかましている。楽しそうでなにより。
克己は保育士さんたちに囲まれ、雑談をしている。モテモテだ。中には若くて美人な保育士さんもいて、翔は軽く舌打ちした。
「ケッ。克己のやつ、どこ行ってもモテやがる」
「それに比べて兄のあなたは誰とも関わらず、一人佇んでいる、と」
「うっせ。てか流々風も人のこと言えないだろ」
「子ども、苦手なのよ。私は好きなんだけど、なぜか子どもたちは私を避けるのよね。どうしたら仲良くなれるか分からなくて、距離を置いてるってだけ」
「ぼっちの思考だな」
「うるさいわね」
だらだらと、気の抜けた声音でのやりとり。
廊下の縁に腰掛け、開け放たれたサッシに足を投げ出している。
受験が終わって肩の力が抜けきっており、二人とも覇気がない。柔らかく降り注ぐ春の陽気が追い打ちをかける。
「それにしても、良かったよな。俺たち全員、第一志望に合格できて」
「そうね。打ち上げの日に克己が進路変えたって聞いた時は驚いたわ」
「大変だったよ。克己が進路変えるって言った日」
翔は、文化祭ライブの翌日、克己が進路を変えると言い出した日を思い起こす。
ライブから一夜明けて。
文化祭の次の日、学校は休みになる。よって翔も克己も今日は家にいる。
翔は休みの日、ほぼ自分の部屋にこもる。反対に克己は休日に家にいることはほぼなく、大抵外出する。友達との予定がない日でも、一人でどこかに行くそうだ。
その克己が珍しく家にいる。翔は、昨日の疲れが原因だろうな、と予想した。
ライブ後、四人で文化祭を回った。文化祭終了後、翔は生徒会役員として文化祭の片づけのために残り、他の三人は駅の近くで時間を潰す。
生徒会の仕事が終わり、三人との待ち合わせ場所のカラオケボックスに入った翔を待ち受けていたのは、「リーダーお疲れ様!」の声と、けたたましいクラッカーだった。
不覚にも泣きそうになった翔は、それをグッと抑え、入るなりすぐ曲を入れてテンション高く歌い始めた。
そのカラオケボックスではエレキギターを持ち込んで、カラオケの音源と一緒に演奏するこができた。流々風と翔で交互に演奏しながら皆で熱唱する。
バンド会議でカラオケを利用したことはあるものの、メンバーでカラオケのみしに来たことは無かったこと、加えてライブ後のテンションの異常さで、カラオケ大会は終電近くまで続いた。
帰り際に、流々風がこの時間までいることに気付いた翔は、もっと早く帰らなくてよかったのかと尋ねた。流々風は、「母親に、バンドメンバーとカラオケで遊んでる。帰りは〇時前になるかも」ってメール送ったから平気、と答えた。これには一同驚きを隠せず、大丈夫なのかと心配したが、流々風は涼し気な顔で全くもって大丈夫だと言ってのけた。母親と直談判し、行動の自由を認めさせたのだという。
それを聞き、翔と優子がすごい、やるじゃんと持ち上げる中、克己だけが、神妙な表情で何事かを考えていたのが印象的だった。
母親に報告するための証拠写真が必要とのことで、流々風自らインカメでバンドメンバーの集合写真を撮ることになった。
片手でスマホを持ち、自分含め全員を映さなければならないインカメは、経験値の少ない流々風にとって難しく、流々風の顔が半分しか映っていなかった。
じゃあ撮るわよ、と言って唐突に撮影ボタンを押したため、翔は上手く笑うことができず、片方の唇の端のみ吊り上げた怪しげな表情になった。一方写真慣れしている克己と優子は即座に自然且つ魅力的な笑顔を作った。克己はピースサインを頭上に掲げるポーズで、優子は片手を頬に添えるポーズ。
流々風、翔の事故った顔と、克己と優子の完璧な写真映りのアンバランスさがおかしくて、皆で笑った。
正式な打ち上げは後日やると全員で約束してから、解散となった。こうして文化祭ライブ当日は幕を閉じた。
翔はスマホのロックを解除するたびに表示される集合写真を見る度にむずがゆい気持ちになる。ロックを解除し、何かしらメッセージが届いていないか確認し、再び閉じた。
ベッドから身を起こし、翔は克己の部屋へ向かうことにした。
日曜日のため、家族四人揃って朝食を摂った後、翔は二度寝した。それは克己も同様だった。
「おい、克己。起きてるか」
「起きてるよ」
「入るぞ」
「んー」
部屋に入って来た翔に目もくれず、克己はスマホの動画に見入っていた。
イヤホンをつけずスピーカーで聞いていたため、翔は克己が何の動画を見ているか分かった。
「俺たちのライブ映像か」
「おう。ちょっと勇気もらおうと思ってな?」
「勇気?」
「そろそろ昼飯の時間だな。下行くか。てか翔何しに来たんだよ」
「あ、ああ。昼飯食ったらスタジオで遊ばないかって誘いにきたんだけど」
「なるへそ。んー、どうだろ。昼飯後のオレの気分次第だな。んまあとにかくまずは腹ごしらえしようや」
スマホをポケットに突っ込んだ克己は、翔を伴って一階へ降りていく。
翔は、克己が普段と様子が違うことに気付いた。
昨日、克己が一瞬だけ見せた、神妙な顔付き。
克己がそんな表情を浮かべている理由を、翔は昼食後に知ることとなる。
「父さん母さん。オレ、進路先、変えようと思う。スポーツ推薦で、北北西大学の経済学部に入る」
「北北西大学? 聞いたことないわね。偏差値は?」
真っ先に反応したのは母親。父親は、母親に任せるかのように黙ったままだ。
「確か五二くらい」
「論外ね。却下よ。私たちの息子が世間に名の知られていない大学に入るなんて言語道断。ねえお父さん」
「そうだ。学歴フィルターは実際に存在する。良い企業に入るために学歴は必要だ。父さんも母さんも学歴によって今の会社に入れた。世間から高収入と言われるくらいの年収をもらっている。翔と克己にも自分たちと同じような道を歩んで欲しいのだ」
父親の、静かながらも威厳のある声。
今までの克己だったら、ここで折れて、両親に従っていただろう。
顎を上げ、決然として言い放つ。
「もう、決めたんだ。オレは、多くのプロバスケプレイヤーを輩出している北北西大学に行って、プロを目指す」
両親は絶句。未知の生物を目の当たりにした時のような、どうしていいのかまるで分からない、というような呆けた顔をしている。
そこに畳みかけるように、克己は自身の想いを、両親の目を真っすぐ見据えてぶつけていく。
「父さん母さんの気持ちも分かるよ。自分の子どもを良い大学に行かせたい。そう願うのは当然なんだと思う。でも、オレ、やりたいことがあるんだ。人生かけて叶えたい目標があるんだ。今じゃなきゃ、ダメなんだ。今やらないと手遅れになる。特にスポーツの世界だと。あの時、あっちの道に進んでいたら、なんて後悔しながら生きていくのは、きっと、苦しい。だから、後悔しないように、自分の進む道は自分で決める」
父親は何事か話そうとするも言葉が見当たらないようで、口をパクパクと鯉のように動かすばかり。母親は、何とか絞り出した。
「その、えーと、克己、学費はどうするのよ? 私たちの意向に添えないなら学費を出さないことだって検討するわよ。それにまだ合格が決まってるわけじゃ」
「大丈夫。スカウトの人から連絡先もらってる。入学する意思があるならいつでも連絡しえこいって。合格は確約だって。オレの今までの成績から、学費も免除してくれる。寮もあるから生活も問題ない。足りないお金は奨学金やバイトで賄うつもり。家に迷惑はかけないよ」
隙のない克己に、母親も黙り込むほかない。
代わりに今度は、やっと言いたいことが見つかったのか、父親が口を開いた。
「克己。それは、親の同意が必要なんじゃないか?」
「……同意というか、親と一緒に面接する必要があるんだ。だから、お願いします。オレが北北西大学に行くのを、認めてください」
立ち上がり、深々と頭を下げる克己。
両親はそれを見てもまだ黙ったままで、二人で目を見合わせたり、唸って頭をかかえたり、何度も溜息をついたりなど、大いに悩んでいた。
その間、克己は微動だにせず頭を下げ続けていた。
もう一押し。あとは何が必要だ。
翔は、まごついている両親と、不動の克己を見ながら、思考を巡らせる。
自分が克己にしてあげられること。
「父さん母さん、ちょっと聞いてくれ」
翔は思いついたことを伝えるべく、重い空気の中に風を吹き入れる。
「俺からもお願いだ。克己を、進みたい道へ進ませてやってくれ。その代わり、にはならないかもしれないけど、俺、父さん母さんと同じ早慶大学に入る。んでそこを首席卒業するって約束する。文武両道って言葉があるけど、俺が文、克己が武の部分を担う。それで手を打ってくれないか?」
両親には言いたいことは沢山あった。価値観が偏っている。この世は学歴だけじゃない。克己も小さな子どもじゃないのだから自己決定を肯定すべきだ、等々。でもそれでは頭の固い両親には通用しないということが分かっていた。凝り固まった価値観を変容させることは至難の技。
「……翔、何言い出してんだよ。オレはそんなこと頼んだ覚えはねえぞ」
低い声で、克己が責めるようにそう言う。
「な、なんだよその言い方。俺はお前のために」
「余計なお世話だ! それで認めてもらったってオレは嬉しくねえ! もしそれで認められたら、翔のおかげってことになっちまう。翔に、重荷を負わせちまうだろうが! 簡単に首席卒業って言うけどよ、それってすごく難しいことだろっ! 大学行っても勉強漬けの毎日になるぞ!」
翔に詰め寄る克己。それに立ち向かうように翔も距離を詰める。
「阿呆! 俺のこたぁいいんだよ! お前は、俺なんかと違って人生かけてでもやりたいことがあんだろうが! そのために兄でもなんでも使ってけや! てかお前のことがなくてもどうせ俺は大学入ってもぼっちで勉強漬けの毎日になるわ! ウェイウェイしてるやつらを尻目に参考書開いてるわ!」
「んなこたぁねえだろ! 翔は変わった! きっと大学入ったら新しい友達できて楽しく過ごす! そんな時に、オレのせいで勉強に身を費やすことになったらオレは全力で目標を追えねえ!」
「この頑固者!」
「それは兄さんだろ!」
「二人ともやめなさい! ご近所迷惑でしょう!」
今にもお互いにつかみかからん勢いの二人を、母親の声が制止させる。
「あなたたちが言い合っている間に、お父さんと話し合ったわ。克己、あなたは本当に私たちからの金銭的援助はいらないのね?」
翔から身を離し、息を整えた克己は、両親に向き合う。
「ああ。今まで塾とか、お金出してもらってきたし。それをフイにする落とし前ってことで」
「……そう。なら私たちからは、何も言うことはないわ。私たちがダメって言ったらあなた、家を飛び出してでも自分の行きたいところに行くのでしょう?」
「うん」
「分かりました。認めます。面接にはお父さんと私で行くことにします。その代わり、大学の講義を疎かにしないこと。履修する全ての講義でA以上の評価をとりなさい。そんなこともできないような人間に夢を語る資格はありません。もしB以下の評価が一つでもついたらその時点で別大学へ編入させます」
「分かった。やり遂げてみせる」
「これでいいわよね、お父さん」
「ああ。克己の件はこれで終いだ」
「……ありがとう、ございます」
克己は、思わずといった様子で、涙を流していた。嬉し涙を。
良かったな、克己。自分で勝ち取ったんだ。自分自身の道を。
翔は胸を撫でおろした。そんな翔に、両親の目線が集中する。
「で、翔はどうするんだ。志望校がいくつかあるようだが」
「元々、早慶大学にするつもりだったよ。父さん母さんが為しえなかった首席卒業を目指そうとも、密かに思ってた」
「そうか」
父親はそれだけ言うと、席を立った。それに続くように、母親も席を立つ。
「昼寝してくる」
「私たちも。翔、克己、食器の片付けお願いね」
両親がリビングから出て行った途端、翔と克己は魂が抜けたようにどかりとイスに身を沈めた。
「やった。やったぜ。はじめて正面切って、父さん母さんに、自分の意見を通すことができた」
「厄介な条件付きだけどな。全講義でA評価、できるのか?」
「やってやるさ。やりたいことやるためならな」
天井を眺めながら、克己は力強くそう宣言した。
それをやはり翔は眩しいと思った。
そういう克己を見てきたから、バスケに真剣に打ち込んできた克己を、一緒にバンドをやるようになってきた見てきたから、翔は、自分も何か頑張りたいと思い、首席卒業という目標を作ったのだ。
「ふーん。ま、せいぜい気張れや」
「A評価取れそうにないほど難しい講義に当たったらその時は、勉強教えてくれ」
なんともなしに放たれたその言葉に、翔はたじろぎつつも「おう」と小さく答えた。
「それと、まあ、なんだ、助けてくれようとしてサンキュな」
「どういたしまして」
克己が横から差し出した拳に、翔はコツンと自身の拳をぶつけた。
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