第3話 音楽の授業

 向かう先は無論図書室。翔にとっての心のオアシス。

 静かだし、読書か勉強してるやつしかいないし、静かだし、人がまばらにしかいないし、静かだし。

 翔はお気に入りの、窓際一番奥の席を目指した。


「む」


 そこには先客がいた。

 艶やかな黒髪が陽の光を弾き、神聖な雰囲気を演出している。

 ページをめくるほっそりとした指は白く、本を丁寧に扱う様子は繊細さを感じさせる。

 羅列された文字に目を落とす姿さえサマになる、小綺麗な造形の面。

 大和撫子という言葉がこれ以上ないほど似合う女子生徒が、そこに座っていた。

 翔はすぐにその人物の名が浮かんだ。


 氷上流々風(ひかみるるか)。


 同じクラスで、一年生の時からの有名人。

 成績優秀容姿端麗、なんて使い古された言葉を皆口を揃えて発するほどの人物。

 その一方、表面上にこやかに接するも、他人と一線どころか二線くらい距離を取る様子から『氷の女王』なんて呼ばれ方をしているのだとか。


 クラス内での様子を思い起こしてみると、確かに友達と遊んでいるのを見たことがない。たまにクラスメイトと会話するくらいで、基本は一人で本を開いていたような。

 翔とは違った、良い意味で浮いている人物だったため、記憶に残っている。

 良い意味で浮いている、というのは尊敬や畏敬の念を抱かれている、ということだ。印象の薄い、ともすればネガティヴな意味で浮いている翔とは根本的に違う。

 翔にとっては接点も何もない、克己たちリア充とはまた別の意味で違う世界の人間。


 翔は、自分のお気に入りの席を占領されていることに一瞬憤ったが、それは筋違いだと思い直し、氷上の座っているテーブルの一つ前のテーブルについて参考書を開いた。

 氷上は翔がイスに座った音に反応し、チラっとそちらの方を向いた後、何事も無かったように読書を再開した。


 翔は自分の学年の有名人を前にしても特に思うところはなく、自分の世界に没入する。恋心や憧れの念を抱くなどといったラブコメテンプレ的な展開にはならない。

 しかしこの後、別の方向にテンプレ展開に突入するとは、氷上はおろか翔でさえ全く予想できないのだった。



 昼休み後は音楽の授業。

 九月の合唱コンクールに向けての練習がはじまっていた。

 今日はパート分け。クラスがソプラノ・アルト・テノール・バスに四分割される。

 しかしその四つに属さない生徒も出てくる。

 そう、ピアノ、指揮者、ソロを任される者だ。

 ピアノ、ソロは適正のある者が選ばれるのが常だが、指揮者は違う。そもそも指揮の適正なんて測りようがないし、経験のある人間など音楽科でもない限りいないだろう。


 指揮者選定の条件。それはクラスの人気者であるということ。

 考えてみれば当然だ。クラスの全員が歌っている間、指揮者を見つめるのだから。嫌いな人間の顔など長時間見続けられるはずもない。だから最も嫌われていない人間が選ばれるのだ。


 ピアノはクラス内で経験者がいたため満場一致で即決。

 言っちゃ悪いが地味な生徒だった。少人数グループに所属している男子生徒。

 だがこういう場では彼は一気に注目の的。優越感に浸りまくっているに違いない。無論、同じグループのやつらに対する優越感だ。

 翔が偏見にまみれた見方をしている間に指揮者の立候補待ちの時間になっていた。


 教師が呼びかけても一向に挙手する者はいない。

 クラスによってはこういう時、お調子者で比較的クラス内で地位のある人間が名乗り出たりするのだが、うちはそういう人間がいなかったようだ。

 よって多数決へ。結果は見えていた。


「多数決の結果、克己くんに指揮者をやってもらうことになりました」


 上がる歓声。鳴る指笛。

 指笛練習して吹けるやつクラスに最低一人はいる説。

 克己の取り巻き連中の中には二人ほどその無駄な練習を積んだやつがいたためもううるさいのなんの。

 克己ははにかみながら快く引き受けた。多数決では珍しい満場一致感の出ている雰囲気。

 克己の人望の厚さは半端じゃないな。翔は嘆息しつつクラス内を見回した。

 その中で我関せずといった風に無表情で外を眺めていた生徒を発見した。


 氷上流々風。


 氷上はいつもクラスの行事は一切興味ありませんってオーラを発している。それは翔も同じだった。

 翔は勝手にシンパシーを感じながらも、すぐに氷上から目線を逸らし、克己の方へ戻す。


 有名人の女子をねっとりと見つめていた、なんて噂がたったら終わりだ。翔のような立ち位置のやつなんて噂レベルのことでもすぐに最底辺へ落ちてしまう。

 指揮者が決まって盛り上がったところで、最後にソロパートの選定へ。

 風間高校には合唱部が無いため、飛び抜けて上手い人間はそうはいないはずだ。

 まずは全員で歌ってみて、その中から教師が上手そうな人間を数人ピックアップして、それぞれ一人ずつ歌ってもらい、これも多数決で決定する。


 課題曲は先週決めて皆一通り歌えるようにはなっている。

 克己がカクカクと慣れていない動きで指揮棒を振るう姿はコミカルで、クラスメートたちを笑わせつつ一曲流す。


 教師は三人の生徒を選んだ。

 克己の取り巻きメンバーの一人。確か女子バレー部の高梨。

 次は男子。吹奏楽部だったかな。男子女子それぞれ一人ずつだから男側はこの男子生徒で決定。

 三人目は、なんと氷上だった。

 高梨と氷上の一騎打ちだ。

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