第30話 エンカウント

 興奮冷めやらぬ一行は、スタジオの休憩スペースで飲み物を飲みながらだべっている。


「はぁたまんねぇ! 合わせるのって、あんなにワックワクすんだな! まだ心臓が暴れてるぜ!」

「だね~! わたし、あそこまで強く鍵盤叩いたこと今まで無かったよ~!」

「悪くない、わね。ええ、悪くないわ、非常に」


 克己と優子は分かりやすく高揚してるなぁ。氷上も素直に最高だったって言えばいいのになぁ。上がりそうになってる口角を必死で抑えてるのがバレバレなんだよなぁ。

 と、三人からは一歩引いたところから、翔はメンバーを見つめていた。

 輪に入りたいとかそういうのではない。ただ、一人で、浸っているだけだ。今日、へったくそで、目も当てられない出来だったけど、四人でスタジオ入って、良かった、と。

 これまで一人でBGMを作っていたが、本当にやりたかったのはこうやってメンバーと集まって、他の誰かと一緒に音楽をやりたかったのか、と己に問うてみたり。


「ちょっと、翔、あなた、もしかして泣いてるの?」


 翔の変化にいち早く気づいたのは、氷上だった。


「は? んなわけねぇって」

「嘘。泣いてはないけど、涙ぐんでた」

「言いがかりはよせ。キレんぞコラ」

「かっけるぅ」

「かけるくぅ~ん」

「お前等そのニタニタ笑いやめろ不愉快だ。精算も済んでるしさっさと帰るぞ。大体なんだ今日の演奏は。克己お前もっとリズム練習積め。譜面通り叩けるようになるのも大事だけどまずは基礎の基礎からだ。氷上については、まぁ言うことはない。流石経験者と言ったところだ。優子は、俺もなんだが、バンド用の練習が必要だな。合わせる練習。メトロノーム使って、原曲のリズムより早めて、あるいは遅くして弾くのを繰り返して、どんなテンポでも合わせられるようにするのが目下の課題だな。次のスタ練日はちょっと先になるかもしれないから各自練習を怠らないように。以上! 以上ったら以上! お前等がニタついてるうちは何言われても答えねぇから! 帰るぞ早く!」


 翔は一方的にまくしたて、ベースを背負い早足で出口へ向かう。

 残された三人はアイコンタクトをし、翔の言うニタつきとやらをやめないまま、急いで後をついて行くのだった。



 既に迎えが来ていた氷上とはすぐ別れ、翔、克己、優子の三人は電車に乗り、途中、優子が下車して。翔と克己は二人きりになる。

 電車を降り、自宅へと帰る道すがら。


「翔。自分の勉強、大丈夫か? オレが強引に誘ったせいで支障がでてるとかないか?」

「くどい。俺は事前に知らされてればペース配分考えて進められる。何も問題はない」

「は、はは。流石だな。翔は、父さん母さんから期待されてるもんな。すげえや」

「お前だって期待されてるだろ」

「ないよ。そりゃ」


 翔は食い下がろうとしたが、克己の放つ妙な圧力に気圧され、会話を打ち切った。

 次に克己が口を開いたときには、もうすっかり元のテンションに戻っていた。


「やっぱり電子じゃなくて、ガチのドラムはいいな! 伝わってくる振動が全然ちげぇ」

「初心者が電子ドラムで練習し過ぎるのは良くないから、できるだけ普通のドラムで練習する時間は取った方がいい。電子ドラムだと、力の入れ加減がガバッてても叩けば良い音がでちまうんだよな。ゲームで言うと当たり判定ガバガバで、多少甘くても『良』が出る状態だ」

「なるへろ。確かにシンバルとか、電子だと弱めに叩いても思いっきしぶったたいても同じように鳴るけど、本物の方はちょっとしたニュアンスの違いがガッツリ音に反映されるもんなー」

「そのとぅーり」


 翔が軽くレクチャーしながら、帰り道を歩いている途中、何の前触れもなく、その瞬間は訪れた。


「あれぇ、もしかして、克己クンじゃない?」

「ホントだぁ! ひっさしぶりぃ!」


 舗装された道。人もまばらの中。

 話しかけられた克己は一瞬、考えるような間を空けた後、二人の女子の名を呼んだ。


「ああ! 中三ん時同じクラスだった弘子(ひろこ)と沙紀(さき)か! 懐かしいなぁ! 二人とも吉良高校行ったんだっけか」


 弘子と呼ばれたポニーテールで長身の女子と、沙紀と呼ばれたツインテールで小柄な女子は、克己に名前で呼ばれた途端、喜色満面になった。

 爽やかスポーツマンでイケメンの克己、タイプの違う美人の弘子と沙紀が楽しげに話している様子は、道行く人々の視線を否応なく集めている。


「そうそう! よく覚えてんね!」

「克己クンは風間高校だったよね? はぁこんなところで会えるとかウチらマジでラッキーだったね!」

「そうだ克己クンさ、ウチらのあけおめメッセージ届いてた? 返信来てなかったから心配してたんよ~」

「わりぃわりぃ、ちっと連絡先消えちまってさ」

「通りで! んじゃもっかい連絡先交換しようよ~」

「いいぜ」


 克己しか見えない、とばかりに克己に釘付けになっていた弘子と沙紀だったが、じりじりと、ゆっくりその場を離れようとしていた、翔の姿に気づいた。


「は? え、あんた、キモオタじゃん!?」

「うっそ、ホントだ! 相変わらず根暗そうな見た目してんねキモオタ。つかなんで克己クンと」

「沙紀、一応克己クンとキモオタって兄弟じゃ~ん。忘れたの?」

「そうだったっけ? あまりに二人のイメージ繋がらなさすぎてその説いまだに信じらんないんだけど~」

「言えてるっ」


 侮蔑と嘲笑。

 翔は一度たりとも、弘子と沙紀の方を見ない。ただ、地面を眺めながらうつむいているだけ。

 翔は、スタジオを出るとき、帽子やマスクを着用するのを、忘れていた。


「ごめん、オレらちょっと疲れてるかんさ。話はまた今度ってことじゃダメかな?」


 全く裏を感じさせない、爽やかな笑みとともにそう言う克己。


「えーどっかカフェでも寄ってこうよぅ。次いつ会えるかわかんないし」

「それ! 偶然の出会いは大事にしなきゃねっ。話たいこと一杯あるし」

「そーそー。克己クンが持ってるその黒いケース何?」

「ああ、これ。ドラムやる時使う道具で」

「克己クン、ドラムやってるの!? ヤバ! え、バスケは?」

「バスケも続けてるけど」

「はあ、ヤバたんだわ。役満でしょこれは。え、バンドやってるのヤバすぎない? 絶対見に行くわ!」

「ねぇちょっと待って。あたし気づいちゃった。キモオタが背負ってるのギターじゃね?」

「え、うそうそうそ。もしか克己クンとバンドしてるパティーン?」


 微動だにしない翔を横目に見つつ、克己は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「ないわー。だってあのキモオタだよ? ウケるんだけど」

「マジ克己クンこんなんとバンドなんかやらない方がいいって絶対。印象ガタ落ちじゃん。つかキモオタの方からやめろよ。克己クンに迷惑かかんの分かってるっしょ?」


 止まらない彼女たちの口撃。本人たちはそれが攻撃とは思っていないだろうが、それは翔にとって言葉の刃物そのもので。

 克己が何か言いかけたところで、翔は走り出した。


「え、何、キモオタ急にどうしたの? ビビるわ」

「トイレ近かったんじゃない? じゃああいつがいない間に三人でカフェ行こ行こ!」

「わりぃ、これから翔と野暮用あんだよね。この埋め合わせは今度するから!」

 克己は弘子と沙紀にそう言い残し、翔が過ぎ去った方向へ駆けだした。

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